2.地中海上の難民たち
杉本 メッザードラさんはそこで移民とプレカリアートの連帯、みたいなことを言いますね。
北川 言ってましたね。
杉本 むしろ今ですよね。2015年からもすごいスピードで、また変化してきていると思うので。いろんなことが。極端なことを言ってしまうと、どこも右傾化してきているようですし、(2019年3月時点で)イギリスも本当にどうなるのやら?という状態でしょう。つまり2015年から3年間。まあ3~4年前の話だけどすでにそこからもう別の次元の話になっていて、今、それこそメッザードラさんとか、ビフォさんがどう考えているのか関心が湧きますね。
北川 そうですねえ。ビフォの場合は、『資本の専制、奴隷の叛逆』で言ってることが彼の基本的な考えだと思います。
杉本 ドイツ、悪いって(苦笑)
北川 ドイツで「ドクメンタ」というアートイベントがあるんです。5年に1回、カッセルという街で行われる現代アートのイベントです。ビフォが2017年にそこでパフォーマンスを行う予定だったんです。そのタイトルが『アウシュビッツ・オン・ザ・ビーチ』。つまり「海辺のアウシュビッツ」というものでした。つまりずっと移民が溺死し続けている地中海の状況って、これはアウシュビッツみたいなことだと。で、ドクメンタがプログラムを発表した時、ドイツのメディアや何人かの政治家などがビフォたちのことを袋叩きにしたんです。
杉本 それはそうでしょうね(笑)
北川 全然歴史分かってない、ホロコーストの相対化・修正主義やと。それで結局そのアートパフォーマンス自体は取りやめになったんです。ユダヤ人の団体からも批判が入って。
杉本 そうでしょうねえ。
北川 そこで彼が実際にドクメンタで別のイベントをするときに、カッセルのユダヤ人文化団体を訪問したようです。ビフォたちが反ユダヤ主義とかそんなんではまったくないことはよくわかるけど、やっぱりアウシュビッツということばを聞いただけで精神的ショックを受ける人がサバイバーを含めていっぱいいるから、私たちはそれに反対だと。で、ビフォはそれでそのパフォーマンスはやめるし、自分のコンピューターからその原稿やデータも消す。そういうことがあったみたいです。代わりに、「私たちは恥を知れ」というトークイベントというか、フロアとのやりとりをしています。お話しした地中海の状況もそうですし、ヨーロッパでファシズムが広がるのをまったく止められない、「私たちは恥を知れ」と。
ビフォは、危険な出来事が起こっているとき、それがもっとひどくなりそうなとき、それに対するある種の「盾」としてアウシュビッツということばを使っていると言っています。もちろん歴史性も違うし、文脈も違うわけですけど、あらゆる国が外から来る人々を受け入れられなくなっている。アフリカからの移民たちが、どの国にも行けずに地中海上で右往左往している状況は、ビフォからみればユダヤ人がドイツから逃げようとしてもどの国も拒否して行き場がなくなっていた状況と一緒だろう、と。ユダヤ人は、しまいに収容所に入れられました。実際、地中海の周辺には、収容所が増殖しているわけです。だから、ドイツの歴史的記憶におけるホロコーストのようなものとして、ヨーロッパの人たちに地中海での虐殺は刻まれると語っています。
まあでも受け取り方によっては、同時にかなり挑発的なことも言ってはいるんですよ。地中海の海の塩水が、“チクロンB”というガス室で使われた物質に、現在では取って代わったのだと。まあこのアウシュビッツへの言及含めて、ストレートなビフォらしいですが。でも時代は違えど、国民国家のあり方も変容しているとはいえ、地中海のジェノサイドは、そういう国民国家の根幹にある原理が引き起こしている現実であるということ。そしてそれが資本主義、植民地主義、帝国主義の過去の堆積の上にある現状であるということはまったく否定できない。
難しいのは、ホロコーストというか、ヨーロッパの中の虐殺ではなく、ヨーロッパ外での虐殺の話になると、どうしてもそれほど問われてきたようには思えないところです。あらゆる植民地主義の国でだいたいそうなんですけど。地理的な想像力、人種主義の壁といいますか。それが今度は地中海をまさに壁とする形で、繰り返されているのだと思います。
杉本 なるほど。いま、シリアの難民ってどれくらいいるんですかね?やっぱり百万単位とか?
北川 そうです。
杉本 いま、ドイツが受け入れたというシリア難民というのは、トルコにいた人たちですか?
北川 通ってきたところはそうです。地理的な移動、地を這うような歩みなので、トルコからエーゲ海を渡って、だいたいギリシャに入る感じです。そこからバルカン半島を通ります。スマホとかを使いながら、国境管理の状況について、リアルタイムで情報を共有したりして超えていたんですよ。このときは、さっきお話したダブリン規則を、ドイツのメルケル首相が中断したんですね。2015年9月に入ってすぐに。ドイツに来て良いとなれば、ドイツの手前にある通過されるだけの国は、じゃあ早くドイツに行ってくださいと思うわけです。今その反動から、ドイツというか、EUはトルコにお金を渡して、難民の移動を止めてもらってるわけです。
杉本 そうですか。ドイツに入っていないんですか。
北川 このときは、トルコとのこの協定でバルカン半島を通るルートが閉鎖されましたからね。ただなおも人々はそこを通ろうとしていますよ。暴力的管理があるので、このときほど簡単には通過できないのですが。地中海を渡るルートも今かなり厳しいので。ただ国境が閉じられても、移動自体が消えるわけではないんです。別の、いろいろ難しいのですが、より危険な道や手段になってしまう。
杉本 それはやはりメルケルは言ってみたものの国民の反対でなかなか簡単ではないと?結局そこは何かキャンプみたいなところに滞留するしかないことになっちゃうんでしょうか。
移民と活動家の共闘
北川 そうですね。だから本当に闇だなと思うのは、移民を受け入れたり、拘留したりといろいろありますが、そういう施設、キャンプを運営するには、中でいろんなサービスを提供するさまざまな協力団体が必要です。これはイタリアの話ですけど、もちろん全部がひどいわけではありませんし、移民たちと連帯を示す熱く真摯な団体や作業員もいるわけですが、中にはカネを稼ぎたい団体が運営を引き受けているケースもあるようです。追放のために拘留するだけの収容所の場合特に最悪なんですが。移民を受け入れると、国から金がもらえるんです。一人当たり30、40ユーロ。サルヴィーニがさらに減らしましたけど。それで食事や衣服などのサービスを提供するわけですが、それが何というんですかね、ある種のビジネスみたいな風になっているケースもある。サービスを提供しきれていないのか、提供していないのか。
杉本 ああ。貧困ビジネスみたいな?
北川 そうです。だからそういう現実も一方ではあると言われていて、だから難民として来てくれないとそういう人たちにとっても困るとも言える。
杉本 なるほどなあ。それはすごい話ですね。
北川 その点では、程度は違うのかもしれませんが、地中海の北も南も一緒かもしれません。アフリカでは、移民を運んだり、密航を斡旋することが、かなり大きな産業になっています。一部の場所だけをちょっと運ぶ人、いわば普通の人たちもたくさんいますが、かなり組織的になされているところもあります。特にリビアはもう重要な産業になっていますね。実際、移民たちを誘拐して収容して身代金を親族に要求することなんかも頻繁に起こっています。カネをとるためです。略奪ですね。
杉本 でも難民ですよね。受け入れをちゃんとすべきなのは。
北川 それがなかなか難しいんですけどね。
杉本 研究されると何か重苦しくなりそうですね。
北川 まあねえ。現実はそうです。この前トリノに行ったんですけど、切ないなぁと思ったのは、家のない移民たちがたくさんいるわけです。ローマとか都市部でも、最近イタリアにたどり着いたのかなという人々を含めて、野宿をしているケースを目撃します。国や行政も臨時受け入れセンターをオープンして、対応はいろいろしているんでしょうけど。ただ、だいたいこういう施設は交通機関のない人里離れた場所にあったりするんですね。隔絶、孤立。事実上の収容になるというか。あと、そういう施設が閉鎖されたり足りなかったりしていることもあるかもしれません。移民を受け入れること自体が、街の人々の激しい拒否にあうこともありますし。
それで各地にありますが、例えばトリノでは、議会外の左派といいますか、コミュニストの活動家などが、家のない移民たちのために結構大規模な建物を占拠したりしてるんですよ。「こんなでかいのを!」って。先の友人に連れてってもらったんです。空いている建物ですね。もう長らくイタリアにいる人が多かったかもしれませんが、そこで数百人、移民の家族、子どもが生活していました。一緒にそこに住んでいる活動家もいました。彼らはできるだけみんなでこの占拠した空間をどう使うか、今後どうしていくかのという会議を行っているんですね。できるだけ移民の人々も参加するよう働きかけて、一緒に何とかやっていこうとしている。子ども用の学習部屋を手作りしたり、女性用の部屋があったり、あと巨大な体育館をどう使うか議論したり。そういえば、ちょうど「黄色いベスト運動」の人たちがそこに訪問に来てましたよ。そういうスペースがいくつかあるんですね。2006年のトリノ冬季オリンピックの選手村も。
杉本 はい。
北川 その時に建てた選手村なんですけど、これを移民たちが占拠しているんです。しかも移民自身が中心となって占拠したものなんですよ。色鮮やかないくつかの建物なんですけどね。そこで支援しているイタリア人の活動家もたくさんいました。オリンピックに間に合わせるためだけに立てられたものだから、外見だけ鮮やかで、建物としてはやばいくらいボロボロだと言ってました。しかもこの占拠している建物の前には軍隊がいたんですよ。ここが危ない場所だよって世間に示すためだけにいるって活動家の方は言ってましたね。ただ、この選手村も今は強制排除されている途中です。警察の暴力的介入のない「ソフトな」強制排除とか言われてます。とにかく、数年前から移民の住居に関わる闘争や占拠に、それぞれ協調するというのは簡単ではないんですが、アウトノミアの系譜を受け継ぐような人たちや、アナキストたちが取り組んできたということです。移民に限らずですが、住居から住人が追い出されそうなときにピケを張ったりしています。警察をブロックしたり、けっこうそういう闘いをやっている現実はあって、その辺はさすがに「すごいな」と思いました。
杉本 何とか勝ち取ることは出来ているんですか?
北川 もちろん占拠している、そこで生活がなされているという重要な事実がありますからね。あと警察を追い出したり、入らせなかったりとか。そういうことはあるみたいですね。でも代わりに誰かが逮捕されたりと言ってましたけど。
杉本 活動家が?
北川 活動家のほうが逮捕されたと。
杉本 義勇兵ですね。難民の人たちを守って自分は逮捕される名誉。
北川 まあ、シリア、ロジャヴァにも義勇兵で行ってる人もいますからね。とにかく、そういう闘いは都市部ですけど。あとは国境ですね。例えばイタリアからフランスに行こうとしている人々。ここ最近は、アルプスを超えてフランスに行こうとしてるんです。トリノから西にちょっと行けば、もうアルプス山脈なんですよ。当初は、海側のジェノヴァからフランスに入ってたんですけど、ここをフランス警察が完全にブロックしているんですね。電車とかに唐辛子スプレーをガーッと発射したりして。
杉本 唐辛子スプレー?
北川 一両ごと全体にガーッと撒いて。何も考えてないですね。それくらいやってるんですよ。ですから、今は山側から超える。なので冬のアルプスの山中で死んでいる人がいるわけですね……。
杉本 そうなんですか……。
北川 それを支援する。この国境近くにはアナキストが占拠している場所があり、山越えする移民たちの避難所をつくっていました。「ノーボーダー運動」というものです。そして山麓地帯の普通の住民たちも山越えを支援しているんですよ。そこでまた不法入国がどうこうで逮捕されたりしています。先ほどの地中海の救助活動もそうですけど、特にこうした活動が標的にされているなと思います。移民に食料をあげたりするだけで罰せられる場所もあるといいます。まるで接触してはいけないかのように。
杉本 酷い話ですね。アルプスから向こうと言えば、スイスは受け入れないんですか?
ヨーロッパの分割
北川 スイスはEUの非加盟国なんですよね。シェンゲン協定には参加していますが。詳しくはないですけど、厳しいと思います。イタリア-スイス国境を、フランスと同じく、スイスの警察が厳しく取り締まってます。いまヨーロッパでオープンな態度で迎えるところはないと思いますよ。まあ南ヨーロッパは北とは違い、移民を安価なというか、「不法」な労働力として、非熟練労働として使いたいという欲求があるとは思うんですけど。だからヨーロッパとアフリカの関係が、ヨーロッパの内側で繰り返されているというか。イタリアが防波堤となって止めといてねって。地中海に接するイタリアも今やヨーロッパの「北」からすれば、「アフリカ」なんですよ。フランス警察は、移民をイタリアへ送り返すわけですが、正直、イタリア側もどうせフランスに行きたい人間なんだから放置しておきたいという考えもあるわけですね。勝手にイタリアを素通りしてくれるわけですから。イタリア南部の収容所まで送り返したりしても、結局移民たちはまたそこからフランスとの国境地帯にまでやって来て、再度国境越えを試みることも頻繁だそうです。フランス警察がイタリア側に入って来て、移民をそこで「荷物」みたいに降ろした、イタリア側に戻したことがありました。それでイタリアとフランスの外交関係が悪くなったり。だから、この「移民」をめぐるテーマは何というんですかね。もう分割。一社会の分裂でもあり、ヨーロッパ社会の分裂になっている。
杉本 そうですね。ヨーロッパの統合ということを一回やっちゃってそのあとの今の状況でしょう。確かに分割、分裂の危機になっている感じですね。で、難民問題に深刻な状況を抱えているとは思いづらいイギリスがEUを抜けるって言っているわけだから。これは波及しますよね。経済的にえらい目に合うのがわかりつつも、それでも抜けると言ったら。本当にEUは何が求心力なのか。経済的には財務的な分配とかをちゃんとやるような組織がない訳ですよね。EU財務省みたいな組織は。
北川 国単位なんですよね。確かに。
杉本 何だろう?日本で言えば日銀みたいなもの?
北川 うん。それはないですね。ヨーロッパ中央銀行の緊縮だけです。本当にもう、EUっていまそれなんです。
杉本 緊縮の話は言われてますよね。やはりまずいんじゃないかと。
北川 国レベルの民主主義というものは、ビフォに言わせるとギリシャのような国でぶっ潰されている以上、もはや期待できないと。また少し話が飛んでしまうかもしれませんけど、やはり基本、人にいま余裕がない。それが一番の問題。これまたビフォで言うと、もうみんな忙しいし、ネットにも接続されて、何かね…。
杉本 愛も培う時間もないと。
北川 そうそう。これはね。本当にもう根本。ひと言でいうとそれが根本にあると思うんです。現代の人間のあり方、労働者のあり方において。同じ場所にいても、同じ時間、同じ空間を共有できていない。
杉本 情を通わす時間もないから、労働運動をやる、連帯もする余裕もない。
北川 物事を受け止めて、噛み砕いて、ゆっくり消化して、それを外に表現するということがなかなかできない。それは言葉も考えも。言葉や議論がたくさんあったとしても、カラ元気というか。速い。喜びもそうですけど、悲しみとか怒りを、ゆっくりと長く受け止められないし、感情のつくられ方も変わってきたというか。政治的なことも、一時的にバーっと盛り上がってすぐ終わる。ジジ・ロッジェーロは、「運動のツイッター化」みたいなことを書いてたような。
杉本 まあそれは結局、プレカリアートの話とか、不安定雇用の人たちの話とかにも…。
北川 うん、特にそう。本当にそういう中で移民が大勢来たとか言われると、なかなか受け入れるとか、余裕をもって受け止める、振る舞うなんてなかなか難しいでしょう。そういう問題でもなかなか余裕がない。余裕がないようにしておけば、権力からすれば支配する上でOK、みたいな。
杉本 ネグリが考える資本主義に対する革命というのが理想なんでしょうけど、繰り返しですがネグリはまずヨーロッパは一つになろうという理想があったわけですね?
北川 あります。状況的に今に限れば、それほど言ってないような印象もありますが。
杉本 最初はあったと?
北川 さっきもありましたが、根本はヨーロッパ主義者だと思います。オペライズモの時代の前、もっと若い時から自分はヨーロッパ主義者と言っていますから。今もそうでしょう。とはいえ、最近ネグリは、「都市」ということもよく言っているような気もしますね。「大都市」、メトロポリスと言ってます。そこが人間の協働というか、つながり、社会的な交わりにとって大都市は極めて重要な要素であり、しかもそのすべてが潜在的に価値を生む生産的な労働になっているという話なんですが、実際に政治面でも、バルセロナとか、ナポリで何か「新しい都市自治主義」みたいな運動が出てきて。バルセロナなどが典型ですけど、金融危機、2007、8年の住宅危機の中でそれにあらがっていた運動の中から市長が誕生しました。ナポリでもそういうことに理解ある*デ・マジストリスという人が出て来たりしてます。都市の中から少し金融資本に異議を唱えるというか、そこから一定の距離を保てるような場の確保をイメージしてるというか。バルセロナは、市長が避難都市ネットワークの訴えをしてます。地中海で移民を救助した後、どこにも着岸できずに右往左往させられていたNGOの船を受け入れたこともあるんですよ。こういう避難都市というのは、行政の行動も重要なんでしょうけど、都市である限り、まずはそれこそ移民と社会的な交わりをつくる住民や運動の日々の実践なしには不可能なものです。こうした社会的な交わりは、国家とは違う都市の都市性を堀り起こし、考え、つくりだす上でとても重要と思います。こうした新たな都市自治主義はいずれにせよ、ヨーロッパの広い運動の一部を担うものなのでしょう。
杉本 そうですね。難民問題を考えると、それをどうとらえるのかという。
社会福祉国家以後の世界で
北川 何かね。杉本さんの話を聞いてると極論でもないような気がしますけど、「内戦」と言っちゃうと言葉としてはまだ硬いんですが、何といったらいいんでしょう?例えばビフォも言ってますけど、いわゆる代表制民主主義と資本主義がうまくマッチした社会国家、福祉国家ができたのは戦後の西ヨーロッパで言えば30年くらいだけの話です。それ以外は露骨な資本主義の時代。世界各地でも基本そういう状況のほうが多いわけですよね?代表制民主主義というのが、社会紛争とか、歪みとか、過剰な欲望を回収し、調停するひとつの主要な回路なのだとすれば、要するにそれは「紛争」が「内戦」へ転化しないような装置だった。それが基本的に機能していない以上、その社会の中の敵対とか、ズレとか、紛争とかはある程度激化せざる得ないはずなんですよ。それがどう表現されるのか。結局、民主主義のような回路に人々の欲求を翻訳、吸収できていた時代ではもはやないとするなら、こうした状況を見据える上で鍵となるのは、植民地主義の記憶というか、世界の植民地支配を受けてきた国々の過去や現在であり、何よりそこにおける社会闘争だと思います。もちろん植民地支配をした側にもそのような場所や状況は数々存在してきたわけですけど。日本でも釜ヶ崎や沖縄はそうでしょう。植民地化された社会を支配していたのは、やはり端的に暴力じゃないですか。「市民社会」みたいな理想は無いわけですよね。
杉本 残念ながらそのようで。そこは共通話題にはできないし、哀しいところです。
北川 そもそもの話ですが、福祉制度や福祉国家は、19世紀以来の労働者の暴動や運動によって勝ち取られてきたものだと思います。また同時に、その過剰すぎる自由や要求を一定程度抑えつける、緩和させるためのものでもあったはず。現状ネオリベの中で、福祉抜きで支配ができてしまうから、調停や媒介がさほど重要ではなくなってきた。グローバル資本からすれば、人権とか民主主義なんてさしあたり無い方があリがたいわけでしょう。ただ、世界各地どこでも本気の戦争状態、内戦状態だと、軍需産業は別として、流通や消費一般が難しくなるから、資本にとってさすがにそれは困るでしょう。じゃあそれなりに安定した社会や市場も必要だから、人権や民主主義が整えられた地域や国も必要だよね……と今はならない。人権とか民主主義というぼくたちがよく知って来た方法を通してではなく、もっと別の方法である種の安定性を確保しようとしてる。それは「権利」とか、そういう制度や言葉、いわば民主主義の政治を通してよりも、もっと高圧的に、かつ、もっと人々の内側に入り込んだやり方です。それこそデジタル技術、金融資本がそこでこそ、重大な役割を果たしてるのかもしれません。それは、一見スムーズな統治がなされた政治的に静かな社会、そういう安定性でしょうか。
杉本 高度な技術で統治する、疑似的な民主主義かな……?
北川 でもね、ヨーロッパ、日本もそうでしょうけど、そういう「代表制」みたいなこと自体が空洞化していけば、やっぱり多かれ少なかれ拾いきれない欲望がある程度激しく表現されてくるというか、すでになにかしら表現されていると思うんですね。それがただちにぼくたちに馴染みのある政治的なかたちや言葉、表現をとるとは限らない。まったく知らない、皆がわからない形かもしれません。ネオリベのなかで、人間の集団性は失われてきた訳だし。もしかしたら、想像できないような集団性の形をとっているのかもしれません。また、それこそ集団でもなく、断片化、個別化、細分化した形かもしれません。自殺かもしれないし、ひきこもりかもしれない。あるいはサッカースタジアムの「暴徒」かもしれない。そういうことを考えると、たぶんそのレベルの現実から言葉を拾っていく、そのような「政治ならざるところの政治」を作っていかなければ。
杉本 「政治ならざるところの政治」ですか。なるほど、すさまじく示唆的です。
北川 そこで最近思ったことがあって。ネグリの都市論をこのあいだ翻訳してたんですけども。当然とても大事なことも言ってますが、彼の過去の運動が敗北した反省もあるのかもしれないけれど、社会に広がっている「暴力的な何か」をつかみ取る感じがあまり感じられないというのが印象だったんです。もちろんネグリはモラリスティックな非暴力なんて絶対支持しませんよ。暴力は既存のシステムの中に常にあるし、例えば、パリの郊外でずっと差別されきた移民にルーツもつフランス人たちが暴動を起こしても、暴力だからダメとかそんなことは絶対に言わない。ただ言葉というか、理論が、それこそ労働者の欲求と結びついていないというのかな。何って言ったらいいんですかね?今ある目の前にある何らかの集団化された闘争と結びいている部分もあるわけですが、もっとその闘争の手前の次元がほしい。この都市論のインタビューの中で、過去のアウトノミアの敗北についてちょっと語っているんですけど、運動が武装闘争の暴力に傾倒していった要因を、運動の声、いわば政治的なものだと思いますが、それが社会・政治に聞き入れられなかった結果だというんですね。きっとそういうこともあると思うんですが、ただこう、政治的なものと暴力とを割ときれいに分けることにちょっとうーんと思ったんです。ここがそのように切り分けられないところをたどらないといけないはずなんです。特に現在の世界、とりわけ日本社会というのはそうなのではないかと。まあネグリはもっとイデオロギー化された暴力、組織された暴力のことを想定しているのかもしれませんが。
この辺に関してはそれぞれ独自の哲学はありますが、ビフォやジジのほうがより何かしらを捉えようとしている気もします。
杉本 最近のビフォの新しい著作(『フューチャビリティ』法政大学出版)もそういう感じなんですか?これはいつ頃出たのでしょう。
北川 2017年ですね。
杉本 じゃあ結構リアルタイムな問題が?
北川 面白かったですよ。でも、現状認識はこの本(『資本の専制、奴隷の叛逆』)の感じです。
杉本 本質的なことを言いますよね。けっこう過激な(笑)
北川 ストレートですよね。
南欧からの声
杉本 でもドイツもひどい所はあって。ぼくは全然知らなかったんです。ヨーロッパ南部の人から恨まれるくらいのひどさなんだとは。それだけヨーロッパの話って入ってこないですから。だからこの『資本の専制~』は勉強になりますね。南ヨーロッパからの報告なので。正直、ビフォが一番過激ですけど、ほかの人たちも「ドイツひどいよなぁ」みたいな印象を語っていますね。
北川 そうですね。言ってますね。
杉本 ギリシャの資産をはく奪するような。やっぱり圧倒的に強いんですか?ドイツは。
北川 みたいですね。その感覚はいま日本のメディアにふれているだけだとやはり分からないですけどね。
杉本 ドイツはやはり、何をやっても強いなという印象がありますけど、いま覇権的にふるまい始めているというのがビフォさんの意見ですよね。
北川 ギリシャはドイツの植民地とも言われてましたよ。ビフォは金融植民地主義と言ってます。輸出などの経済的な仕組みもあるみたいですけど、ドイツはギリシャの債務危機から相当な利益を得ています。貸付の利子だけでたぶん数十億ユーロ近くとか。もちろんそれがドイツの労働者、それこそプレカリアートや移民にとって意味があるかどうかは別ですが。あとやっぱりこうした分割とヒエラルキーを示すのが、南欧、ギリシャ、イタリア、スペインから若者などがドイツへ仕事を探しに行ってることです。今再びそういう状況なんですよね。ヨーロッパの外部の人たちだけがドイツに来る状態ではない。
杉本 ヨーロッパの南部の国からドイツに移動してきているということですね。移動民というか。
北川 そうですね。例えば最近のイタリアは、入ってくる外国からの移民より、外に出て行くイタリア人のほうが多いんですよ。だから何でしょうね。現実はこんな感じで動いているけど、一方でというか、だからこそというべきか、排外主義みたいなものが台頭している。
杉本 いやでもね。ヨーロッパが移動の自由を完全に認めてひとつのヨーロッパ連合体みたいな形にして国民国家をいま敷居をぐっと下げたけど、その結果、ドイツが独り勝ちしてました、みたいな結論になったという。これはやっぱり始めたときにはこうなるという想定は?
北川 まあ先ほどの話を思い出すと逆ですもんね。
杉本 そうですよね(笑)もともとドイツが覇権的にならないように始めたECが結論はおんなじことになったと…。
北川 まさに結論的には同じ。
杉本 そうするとビフォさんが言うように、プロテスタントと資本主義、みたいな。でも、自助努力主義者は共同体主義の南欧の人たちにとても冷たい。結局、植民地化しはじめてるぞみたいな。
北川 さっきも言いましたしちょっと不適切な比喩かもしれませんが、ある種「アフリカ」なんでしょうね。ドイツからみたら。それは人間の移動をブロックする、追い返すという点で。
杉本 そうなんでしょうね。俺たちは俺たちのやりかたでいいじゃん、と結局オペライズモのゴロツキの話に戻っちゃうけど(笑)。ゴロツキのいうことなんか聞けるか、みたいな。
北川 まあ野蛮な異人種。「ルーデ・ラッツァ・パガーナ(rude razza pagana)という。野蛮な異人種たち、異教徒人種たちって当時のオペライズモの若い南部から来た労働者たちはそう言われていましたから。マリオ・トロンティに。もっと「野蛮」になるしかないのかもしれない。でも「野蛮」って言っても、当時の労働者のイメージとは異なる現在の労働者の振る舞いの中で考えられなくてはなりません。だから「暴れる」みたいなイメージも含むでしょうが、それだけにしばられる必要もないでしょうか。
*デ・マジストリスーイタリア、ナポリの左派系市長。