ひきこもりのための生活

杉本:私も思春期はこじれましたからねえ。そこで次にやはりひきこもりの話を少しじっくり伺いたいのですけど。やはりひきこもる人のいまの大きなトピックは「高齢化」の話ですよね。もちろん僕もそこに含まれるわけですけど、そこそこ元気になったけど、就労の手前の所でみな行き詰っていると。そういうことがあって。いわゆる丸山さんが言われる「グレーゾーン」の所で人が滞留している状況。まあ、今回のUX会議(フェス)のような部分にすごい可能性を感じるんですけど。何でしょうね?打開というか、啓蒙としては大変効果があると思っているんですけど、要は生活、お金を含めた生活という風になると距離があるのかなあという気がして。その辺は正直言ってもう、本人の努力だけでは如何ともしがたく、行政とか経済界の人たちの理解というのがどうしても必要になるなあと。これはすごく難しい問題なんですけど、丸山さんはどういう風に思ったりしていますか?

 

丸山:やはり何というのかな。ひきこもり状態になると自分の心のありようの問題と、それから、実際にどういう風に生きていったらいいのかということと、重層的なことなので、じゃあ心の問題というか、自分の心がね。千々に乱れてもうニッチもサッチも行かないような、それでもひきこもっているというような状態というのは、さっき言ったように周りの家族をはじめとして、周りの地域とかそういう人たちの接し方次第でだんだん本人も楽になって、それによってある程度エネルギーが回復してきて一応私生活のレベルではうまく行くようになるというのは僕も相談を受ける中で体験していることなんですね。ところがそこから動き出すまでがまず第一のハードルで、動き出す直前に私生活面では本当にうまくやっていると。ところがそこから人の集まりの所には行けないとか、支援を受けに行けないとか、僕がいうところの「プラトー現象」のひきこもり版みたいな時期があって、それがあるんですけれども。それを支援する側が本人の個々の状況に合わないような、「お仕着せ」というか、ワンパターンの、階段型でワンパターンの支援しか用意されていないことがあるので、いま支援とは関係なく集まれるような、出入りできるところというのもだんだんとじりじり増えていってますので。

 

杉本:自助会などですね。

 

丸山:そう。その比率支援のための居場所ワンステップのための居場所ですね。そこでうまく行けば次の課題、っていって階段状にステップアップさせていく。そういうワンステップの居場所と、支援とは関係ない居場所との比率を僕は逆転させたいと思っている。

 

杉本:なるほどね。

 

丸山:やはり支援と関係ない居場所が多くなればなるほどおそらく本人は動き出しやすくなるんじゃないかなと思っている。だから動き出す直前というのはそういう、まあほかにもいろいろあるでしょうけど、そのようなものがまずひとつ必要だと思います。つまりは支援側の問題なんじゃないかな?いろんな生活支援。先日のUXフェスもね。手のマッサージみたいなことをやる団体とか、ほかにもいろいろありましたけれど、そういう復帰とかということではなくて、本当に生活していくうえでこういうのがあると尚いいんじゃないかみたいなことをやるような人が増えてくれば、またそれもプラトー現象を短くする。そういう時期を短くできるかなと思う。それがひとつです。

 それから仰っられた動いている人。動き出したと。じゃあ就労支援を受けて就労していこうとか、何か仕事を作ってやっていこうとか、いろいろあると思いますけど、それがうまく行かないというのは、先ほどの話と同様、プラトー現象の時期が長くなるのが支援側の問題であるならば、当然就労できないとか、仕事が見つからないとか、実際そういう人たちが現われていると思いますけど、そういう人に対する問題というのはそれは社会側の受け入れの仕方の問題であろうと。

 

杉本:UXフェスの先日のね。「働く」というトークステージで恩田さんとかが言っていたのは社会の側に適応させるという方法論自体無理があるんじゃないかということはハッキリ言っていたんですよ。だから一月の読書会でいろいろ話したこととやっぱり似たような質問は投げかけられていてただ具体的にどうしたらいいか?というのは妙案がちょっと見当たらない感じがしたんですよ。だからあの話題をアフター・ステージでもう少しやったんですけど、相当数の人が残って、やっぱりひきこもりの長期化とも絡んでいると思うんですけど、「ひきこもりと働くこと」の絡みの問題ということへの関心って非常に高いんだな、と改めて思ったんですよね。

 

丸山:ええ。

 

杉本;でも、おそらくゲストの方と恩田さんたちと話して、その後三十分聴衆と話してもなかなかこれは簡単に答えが出てこない。(当然かもしれませんが)これは何度も何度も話し合ったり、アイデアを出し合ったりしなくちゃいけないことなんだろうと思ったんですよ。やはり一種の動機づけにはなったけど、まだ動機づけの段階とったというか、これは前に勝山さんとも話したことなんですけど、個人のアイデアや努力だけでは如何ともしがたいというか。社会の方でももう考えてくれないと相当復帰できない層がウン十万といるな、という。じゃあ生活保護しかないのか、というのもね。その人の人間性とかプライドに関わってくる重要な問題だと思ったんですよ。この点に関して何か思うところがあれば・・・。

 

丸山:そう、僕は相談している立場で個々のケースに対応していくので、その本人が例えばまずはキチンと就労するのはまだ無理だけど、でも物欲が回復してきたと。で、こういうものを買いたいと思っているけど、そのためだけに働けないか。つまりそのお金、そのモノを買うために必要なお金、自分が欲しいものを買うために必要なお金は稼いで、またそれで辞めると。要するに一回だけとか。そういうこと出来ないか、みたいな話が出ることもあったり。そうやって本人の出来るだけそういう状況とか、本人の思っている働き方ができるようなそういう仕組みというのは何というか、そういうのを作っていくしかないんじゃないかなと思うんですけど。

 

杉本:丸山さんはもうご存知だと思うんですけど、いままでの日本の福祉って企業福祉中心でやってきたではないですか?ですから社会政策としての労働者福祉は立ち遅れてしまった日本の現状だと思うんですね。社会政策で日本社会が変わるというのはあり得ると思いますか?

 

丸山:それはもうどれだけ、だから何というのかなあ?やっぱりそれはね。従来からの価値観が変わらない限りはやっぱり変わらないですよね。だから僕はその、いまは「生活困窮者自立支援法」をどのように生かす仕組みを作っていくかということ。まだこれからなんですけれども。

 

杉本:そうですね。

 

丸山:例えばいま僕が提唱している生活をいろいろ解決していくということを、まあこれは生活困窮者自立支援法であれば、ひきこもりに限らず全部ですね。困っている人が対象ですから。それを例えばどこがその法律に基づく支援を担うのかということでは僕は地域包括支援センター、ここが担うような仕組みとなる、そうなればひきこもりも含めてきっと相当違うと思う。

 

杉本:なるほど。いま、地域包括支援センターといえば基本的には介護保険を中心に担っているわけですけど。

 

丸山:それくらい仕組みをガラッと変えれば全然違ってくると思いますけど。

 

杉本:イメージとして地域包括支援センターが高齢者のひきこもりの人たちとの関係の中で困窮者自立支援制度が担うといいんじゃないかという考えかたですか?

 

丸山:生活困窮者自立支援法をいま受託しているのは行政の相談窓口で。

 

杉本:そうですね。

 

丸山:社会福祉協議会などが実施したりしてるじゃないですか。これを全部、地域包括センターの事業にする。そうすると結構いいのじゃないかな。本当に生活を支えるとすれば。そういうことになれば全部困ったことがあったら相談窓口がそのようなかたちになると。だから要するに「就労支援」という発想をちょっと棚上げにする。最終的に就労支援もあるんですけど、まず生活サポートから入ってですから、その部分は地域包括センター。そういうことになれば本当に、「そうか。生活を支えてもらうこともこういう仕組みの中にあるんだ」と。いま多分一般の人たちは、自分たちで生活をやらなきゃいけない、解決しなくちゃいけないと思っているからなかなか相談しない。で、民生委員なども機能していない。

 

杉本:なるほどね。生活支援に関しては、地域包括センターがその意味では一番だと?

 

丸山:ええ。だから介護だけじゃなくてね。私もそんなに詳しくはないんですけれども、要するに僕は自分の介護の経験でちょっと関心があるということもあって。例えば地域包括支援センターの人とか、民生委員の人が実際にね。高齢者の介護で家に入ってみたら長期にひきこもっている人がいることがわかったと。だから完全にひとつの枠で考えられない。考えるべき問題じゃないと思うんです。

 

杉本:ですからおそらく、現状では高齢になって手立てもなく、長期を過ごして自分のエネルギーで動くのが難しいというひきこもりの人も当然いると思うんですよね。そういう人たちに関しては地域包括支援センターの行政的役割というのが出てくるでしょう。 

 そしておそらくいま起きているのは非正規労働者40%近い時代の中で、現状のひきこもりの人たちと同じような将来が待っていると考えたとき、基本的にはもう親世代が持っていたような収入を得ていくことは考えにくいと。そう考えたとき、もう生活の仕方そのものを組み立てなおす。それは自分ひとりで無理だったら同じ志をもっている、そうですね、「アソシエーション」(特定の目的のために結成される機能的集団)みたいなものでしょうか?そういう意味での共同体作りみたいなことに期待をかけていくような感じですかね。やり方としては。

 

丸山:あとはAI、人工知能の進歩によって仕事が減っていく状況というこの事態の中で、つまり仕事が出来ない状態の人だけではなく、もう仕事が出来る状態、あるいはもう仕事をしていたという人が職を失う時代がやってくる。それに合わせて仕事をしていたという人が職を失う時代がやってくることによって、それに合わせて仕組みを変えなくちゃいけないところにまで追い込まれて、そのときが変わり目かな、という気がします。

 

杉本:そうなんですよね。でもね、急速に変わるものなのかなと。ロシア革命みたいにね。革命をやっちゃったら何か結局、準備が整わないときにやっちゃうと崩壊してしまう、みたいなこともあるので。「考えておく」というか、準備というのは必要ですよね。

 

就労のために使われる方法について

杉本:ちょっと具体的な話に戻りますが、就労の話にもつながるんですが、最近自助会をみたり、いろいろ現場を見てきているんですけど、やっぱり年齢のこともあって就労しなくてはいけないという意識が当事者側に非常に高くなっている気がするんですね。でも一般就労だとどうしても履歴の空白などで採用されないので。そこでいま、障害者雇用による発達の枠組み。これを結構利用して就労という人が少しずつ少しずつ増えてきている気がするんですよ。それはそれで合理的選択だとも思うんですけど。個人的にはこの、まあ要は障害者枠で就労だと。働けば障害者ということで実際に特別な配慮をしてくれるわけでもないようですけど、それでも枠組みとしては特別な形での求人枠が出てくるので膨大な求人世界の中では仕事が見つかりやすい。でも、どうも僕にはクエスチョンマークがあるんです。障害者枠に納まる人なのだろうか、みたいに思うこともあって。僕にはこのような社会の流れというのは、課題を感じざるを得ないんです。丸山さんはこの話題に関してどのように思いますか?

 

丸山:うん。これはね。その人その人の選択なので何ともいえないですけど、まあそれは何というのかな?障害者枠でも就職したいという人はまあ、常にいるでしょうから、僕が直接相談を受けている人は、「就労する、しない」という話にはいかない人たちがほとんどなので、そういう具体的な話はあんまり出てきたことはないんですが、そこはむしろ精神科医とか、サポステなど支援をやっている団体とかの考え方としては障害者枠で、まあそのためならいっそ障害者になる、みたいなね。実際、それ勧めているところはありますよね。だからそれが結局最初の話しに戻るんですが、本人が「自分」というものが削られるということが、それはもう本人の人生観。自分は障害者でもないのに障害者枠とか、障害者手帳をとるなんてとんでもないと。それは自分というものの原型をとどめていないと。そういう人はそれは拒むだろうし、逆に、いや、それぐらい削がれてもいいと。それこそ許容範囲だと。そうじゃないよりは障害者になる方が自分を削がれるけれども、でもそのあとの自分の形ではそれでも良いと。そう思える人は選択するんだろうなと。まあ、そういう風に思いますけど。

 

杉本:ええ。非常に戦略的な思考ができる人であればとりあえず障害者枠で就労すると。で、ある時が来たら障害者的なものは返上しますと。そういう戦略もあるかとは思うんですけれども、そこまで高度な戦略性を持つ人は結構一般社会でもうまいくんじゃないかという気もして(笑)。ちょっと個人の考えになりますが。インタビューアーの立場からははずれてしまいますけど、ひきこもりというスティグマを引き受けて、かつプラスアルファで障害者というスティグマ的といえるかどうかはとりあえず別として、障害者枠を自ら引き受けるというのは何か二重にね。自分の本来的じゃないものを含め、それでも働かなくてはいけないから働くというのは何か社会の方が病んでいるような気もしないではないんですね。

 

丸山:そう。そういう面はあると思いますね。要するに働かなければならないというよりも、追い詰められているというか、追い詰めるような社会であるということは、これはもう間違いないです。

 

杉本:そうですね。それは企業に「勤める」と考えるからそういう選択を迫られるということですよね。でも深刻は深刻なんですよね。結構世代層が高い人たちにとって、親を頼れないとか、もう親も年なので働かなくてはいけないとか。そういう自立をかされているという側面はあって、僕のように居直ってしまうと社会的には「いかがなものか」というのがありますけれど、まあ「どうなんだ?」と思われるのはわかってますけど、それはまた別、と居直ってますけど。

 ともかくも、やはりそういうことはありますから、企業は就労に関して年齢制限とか、履歴の空白でこだわるのはやめて欲しいと思いますね。ひきこもりでもニートでも何でもいいんですけど、履歴の空白がある人は雇わない、というのは非常に強いですね。昔も確かにありましたけれど。でも今では強迫だと思います。だから先ほどの丸山さんのお話にもありましたが、個人が引き受けるこだわり、強迫観念というのはありますけれど、社会も個人を見る目にある種の強迫観念、あるいは固定観念を持っているような気がしますね。個々人の持っている固定観念が非常に強いと。やはり現状では(ひきこもり、ニートの人は)スルーされてしまうというのが一般的なのかな?と思ったりしますのでね。

 

ひきこもりの共通認識と人集まりのありよう

杉本:最後の質問なのですが、一般就労とは別に、社会的にどういう活動の枠組みを作るかということに関わるのですけれど、確かに最早ひきこもりの人はひきこもりの枠組みだけでどうこうするのは限界があるのではないかという気持ちは僕も非常にあります。ただ、きこもり体験が持つ固有の「苦しさ」というもの。これは丸山さんも体験されておられますし、まあ短期には自助会を主催されている近藤さん。あるいは勝山さんや林さん。今回お話を伺う皆さんたちは体験されていると思うんですけど、そして僕ももちろんあるわけですが、そのひきこもり体験が持つ固有の苦しさはなかなか了解してもらえないですし、それを了解してもらったところでどうこうということにはならない。

 ただ、読書会で僕は丸山さんや近藤さん、勝山さんや林さんと知り合えましたけど、丸山さんなどはヒューマン・スタジオを軸に「湘南ユースファクトリー」など、いろいろ立ち上げられていますね。で、近藤(健)さんは自助会とユースファクトリーに関与されているし、林さんはUX会議。勝山さんはいけふくろうの会とか、熊野の共育学舎とかを含めて独自に発信されている。ですから個々で活動の場を持ちつつ、読書会とか「新ひきこもりについて考える会」とかに来ている。そういった部分に僕は面白みを感じている。そこが肝なんじゃないかとも感じているんですが、このような人の集まり方に関して「根幹」はどこにあるべきと思っていますか?

 

丸山:うん。僕はね、やっぱりね。これは共通認識。大げさにいえば「理念」とさえいえるのではないかと。つまり「ひきこもり」ということに関して共通の認識なり、価値観というものがあって、ある程度最大公約数的なひきこもりというのはこうだよねとか、支援ではこういう支援が良いよねとか。そ辺りで大体共感しあってそういう「人の輪」みたいなものによって、それでつながっている。まさに「仲間」という感じでやっているということがあると思うんですよね。だからそこで何となくある程度お互いに自分の、これは又聞きの話ですが、どこかの校長先生が講話でね。「学校の生徒というのは竹林みたいなものだ。それぞれ自分、ひとりひとりが立って、威容を示しあっているけど、地面の中ではつながっている」と。まさにそんな感じだなと思います。そこがあるのでこうやって長いこと付き合っていられるんだと思います。

 

杉本:そう、そこなんですね。

 

丸山:それがないとやっぱり途中で何かのきっかけで対立してしまいますよ。でも本当に人材、どうしてそんなに人材が生まれてくるのかは分からないけど、確かに神奈川県は人材豊富ですね。読書会でもこう、ガチンコで話し合うのが平気な人たちでもあって。

 

杉本:そうそう。そう思いますね。私も「考える会」の読書会の会の後の振り返りをHPで少しずつ読ませていただいていますが、本に関してもちゃんと褒めるところは褒めるけれど、自分たちとしてちょっと意見が違うなということも両方併記されている。ああ、ここはちゃんと相対的に読んでいるな、と思いました。いわばおそらくみなさん自分の問題として読んでるんでしょうけど、同時に自分たちの問題も相対的に見る努力を積み重ねているな、と思ったんですよ。僕たちの本の読書会に参加したときも結構みんな忌憚なく話し合っているんだなと思ってですね。ちょっとこれは他にはないな、と。そもそも10年来、本と毎月向き合ってキチンと集まっては話し合うという(笑)。

 

丸山:そうですね。僕などもほっといたら本を読まない人なので、読書会に参加していると言うのはひとつはそれがモチベーションになるから、無理にでも間に合わせなくてはいけないと。それこそ当日までにはね。感想だって、他の誰かの意見に「何を」と思ったりしたこともありますよ。でもやっぱり読書会という、ああいう真剣に話し合う場の中で、それはそういう「場の力」で受け止められる。いろいろな意見を聞くことによって自分の中でも凄く感じるものがある。ですから、お互いにお互いを深く知ることが出来る機会にもなっているんですよ。やっぱり我々のような常連メンバーにはすごく読書会があったおかげで、関係が深まったと思いますよ。

 

杉本:そういう関係の深め方があるってことですね。常連の活動家のみなさんはそれぞれ自分の個性に合わせたフィールドで最初に自分が立つところから始まっていると思うのですが、神奈川県のサイト「ひき☆スタ」の手伝いにせよ、UX会議もそうでしょうけど、それらはこの長い人脈の継続性の先に生まれたアウトプットだと思うんですよね。ですから、長い継続って結構大事な事だな、と改めて思いますね。イベントをポンポン打つのも啓発の意味では大事なことだと思いますけど、その背後にこういう長い話しあいとか、読書会などによるお互いを理解するための継続的な話し合いを続けていることの大事さを改めて思いました。その上での組織作りなのかもしれないですね。本日はありがとうございました。いろいろ多角度でお聞きして失礼な点もあったと思いますが、誠実にお応えをいただきとてもうれしかったです。ありがとうございました。

 

2016.4.17

神奈川県青少年センター、横浜市桜木町のカフェにて

 

「プラトー現象」ープラトーは技能の学習過程で、一時的に進歩が足踏みする状態をいう。丸山さんはこの場合、不登校・ひきこもり状態の足踏み現象を捉えてそのような表現を使っていると思われる。

一月の読書会ー「新ひきこもりについて考える会・読書会」のこと。2015年12月と2016年1月にインタビューアー杉本の編集本『ひきこもる心のケア』を取り上げて議論された。杉本は1月の読書会に直接参加。

地域包括支援センター高齢者の地域ケアの中核拠点として市町村が設ける機関。センターには社会福祉士、保健師、主任ケアマネジャーの3職種が配置される。家族や高齢者からの虐待などの相談に応じると共に、介護予防の利用計画を作ったりする。さらにケアマネジャーの支援にあたる。市町村が非営利法人などに運営を委託することもできる。 (知恵蔵2015より)

 

(丸山康彦さん:プロフィール)

ヒューマンスタジオ代表。相談員。1964年生まれ。不登校のため7年かけて高校を卒業。帝京大学文学部教育学科卒業後、高校講師を勤める。退任後ひきこもり状態になり、社会復帰に7年を要した後、個人事務所を経て2001年民間非営利相談機関「ヒューマン・スタジオ」を設立。その業務のひとつとして設立2年目から執筆しているメールマガジン「ごかいの部屋」の評価が全国的に高まる。相談業務や家族会業務に関する独自の手法とスタイルを模索し、不登校・ひきこもり等の当事者と家族への支援を実践している。現在「湘南ユースファクトリー」代表理事

●メールマガジン「誤解の部屋」  http://melma.com/backnumber_75173_5289611/

●ブログ「ヒュースタ日誌」    http://blog.goo.ne.jp/husta

インタビュー後記(ブログ)

 

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