資本とは?
――ですのでね。資本って「社会をどう考えてるんだろう?」って素朴に疑問に思うんです。
原口:誰がですか?
――資本ですけれども。
原口:資本が。
――資本主義って社会をどう考えてるんだろう?って。社会ってどうなってもいいと思っているのか。資本主義の純粋の発想では…。
原口:ああ。ぼくはでも、マルクスの言葉はたぶんまさしくそうだと思っていて。つまり「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ」という句があるんです。
――ああ~。
原口:崩壊はね。
――短期の利益だけ。
原口:そうですね。その間は何とか持ってもあとの時代にカタストロフが、崩壊がたぶん目に見えていたとしても……。
――システムなんですかね?人なんですかね?どっちなんでしょうね。
原口:人ではないと思いますよ。人が加担してるのは間違いないですけど。ただ、たぶん止めようとする意思がない。だから止まらないのだと思うんですけれども。具体的にいうと、もうオリンピックにしろ何にしろ、誰が喜ぶんですか?誰も喜ばない。余計なものを作るのが資本主義だと思うんです。余計なことをやる。必要のないことを「必要なことだ」と思い込ませるのが資本主義だと思います。それは誰が?というのは見えづらいですけどね。押しつけているのが。ただシステムとしては人々をそう思い込ませるように差し向けてますよね。
――そうですよね。冷静に考え構造的に見たらそうなんですよね。つまり、コミュニティを壊し、釜ヶ崎も浅草も同様に。
原口:そうそう。
――そこではやっぱり泥臭いかもしれないけど、人々の暮らしとか、生活とかがあって、まあいろいろ葛藤があるにしても、ご近所付き合いがあって、という。たまにちょっとおせっかいも焼いてみたいな。そこがいまジェントリフィケーションの標的の場所となればある程度のお金を出して立ち退いてもらえばそこでコミュニティは消失する。
原口:そうです。
――ある程度静かな、連続性のある、親から引き継がれる生活の知恵とか、文化的な態度とか、そういうものが根こそぎされていくと結局、我々が教育なり文化資本なりで受けてきた「いい感じ」とか、自分として、「こんな倫理観がいいな」とか。姿勢とか態度とか、こういうものを見習いたいなというものが、社会に出たら何の意味もありませんみたいな風になったら本当に嫌じゃないですか。
原口:ええ。
――それが資本主義の社会なの?と思ったらやはりちょっと抵抗したくなります(笑)。
増殖するインフラと加速化
原口:そうだと思います。原発もそうですけど、原発も含めてたぶん誰の必要なのかというと、資本主義の必要によって作られたとしか思えない余計なインフラが沢山ある。
――今回の停電もある意味でそうなんですよね。厚真の火力発電に集中させたのも泊原発を再稼働させたかった背景があるようで。
原口:そう。結局誰のためか。発展のために、という言葉が返ってくるかもしれないけれど、じゃあそもそも発展・衰退を引きおこしたものはなに?と考えていくとですね。まず目の前に巨大化したインフラはよくよく考えると不必要なものに我々は「囲まれて」いて、それは人が必要としたから作られた物でもなくて、これは*デヴィッド・ハーヴェイなどの地理学者も言うんですけど、資本主義が自己増殖するために常に何かに投資されていないと資本主義はストップしてしまいますから。工場生産が利益を生み出さないとなれば、不動産に投資するとかの手に出るしかなくて、それでインフラがどんどんどんどん巨大化していって、そのロジックの中で我々の生きる環境が「取り囲まれている」こと自体が問題なんじゃなかろうかとぼく自身は思うんですね。その中にやっぱり寄せ場労働者のいろんな犠牲もありますし、意味不明な人工島、海の上に飛行場を作るという無謀なプロジェクトとか。例えば鹿児島の場合、活火山の上に原発を作るというとんでもない人類的にクレイジーな時代がやってきている。
――鹿児島にもあるんですか?
原口:そうです。川内(せんだい)原発というのはすごいですよ。桜島という活火山。あれがあるのに原発を作って。避難をどうするかという議論がありますけど、その前に活火山があるんですから。その時点で安全なわけがない。とにかくムダなものに囲まれて今だって余計に作られるマンションだってそうです。
――残念ながらいまの状況が社会主義がまだ生きていた時代のようには行かず、対抗運動が弱いので、やりたい放題の資本主義システムになってるわけですけどね。人々が耐えられるのかどうか(苦笑)。こうなるともはや我慢比べの状態に入りつつあるのかなあ?という感じもしますね。
原口:ああ~。うん。
――自分で自分の首を絞めないか。昔はマルクスの恐慌論みたいな話で、生産物が売れなくなっちゃうと資本主義は自然にダメになるだろうと……。ああ、でも同じなのかなあ?いまの話を聞くと。
原口:地理学者的な議論で言うと、ぼくの考えではとにかく資本主義はインフラをどんどん巨大化していくというのと、プラスアルファ、加速化していくという問題であるんですね。続々と。その加速の範囲というのは人間の限度では耐えられないんじゃないかと思うんです。つまりそれはインターネットも含めてですけど、あらゆる場所にあらゆるものが、正確にたどり着かなくてはならない。常に動かないといけない。この資本主義の速度というのはとうの昔に人間の生理を越えてるんじゃないかと思います。地球が悲鳴を上げ、それに引き続いて身体が悲鳴をあげるだろうし、実際にもう悲鳴をあげてるんじゃないかと思うんですよね。やっぱり我々のスローガンというか、「ついていけねえよ」というのが基本的な声だと思うし、もうちょっとゆっくり行きたいという気持ちをもってる人が多いと思うんですね。いまぼくが一番嫌な風景だと思うのは、電車のたとえをまた出しますけど、ちょっとでも電車が遅れたとき、駅員に詰め寄るじゃないですか?これってやっぱりぼくらの生活がまずくて、電車は時刻通りにつくのが当たり前だと思っている生活の感覚になってしまっている。常にこれでやられてると思うし、電車はたまに遅れてナンボくらいのかたちに少しずつゆるめていかないと、それこそ身体が悲鳴をあげますし、情に厚い街の生活なんか成り立ちようのない状況にあると思うんですね。
――表層的な形でもJRが遅れるとか、台風の影響で遅れますとか、飛行機でも「どうなってるんだ」と詰め寄られるというとサービス業者として職員の人は謝らなくちゃいけないわけですよね。確かに遅れただけで言い寄る人とかいますよね。
原口:鉄道でみますね。
――自分も賃労働者として行かなくちゃいけないけれども、このままでは遅れるとか、明日帰らなくちゃいけないのに、帰れなくなっちゃうかもしれないとか。よくテレビでね。こぼしている風景をやってますけど。
原口:たぶんこういうことを言うと、実際明日は仕事があるのに着けなかったらどれだけ大変かという反論が出てくるんですけど、ぼくらが考えるべきは「社会全体のリズムだ」と思うんです。例えば大学に関係することだとセンター試験というのがありますが、とにかく遅れないことを前提にした試験のプログラムを綿密に組んでいるわけですよ。これって大前提として電車が正確に間違いなく到着するという社会の上に立っているリズムで成り立っているわけで、大学の試験のリズム、職場のリズム、家庭のリズム。すべてに早く正確に届くことを前提に作られていると、ここの部分だけ遅れた。それは大変だということになるに決まっている。ですから全体としてどれくらい加速度をゆるめられるかということが重要だと思うんですよね。その発想がないと個別の部分だけとって「遅れてもいいじゃないか」といっても、それがひずみを生み出てしまうのは、それはそうなので。
――うん、うん。そうですよね。だから社会全体が効率性と合理性みたいなものに取り込まれてしまっているから。それが機能低下する経験を踏まえていかないと。まあでも、40年くらい前は交通機関もストライキをやっていましたから。
原口:インタビューでも話してましたね。授業の一限目がなくてラッキーみたいな(笑)。
――(笑)そうです。割と北海道は組合系が強い土地柄でしたから。交通機関はよくストライキをやっていましたね。北教組もやりましたし。
原口:今回の関西空港ではたぶん真逆のことがあったんですよね。橋にタンカーが刺さってろくに復旧もしてないのに「あさってには再開させます」ということを上層部が言っちゃう。そうしないと赤字がずっと出るから。