部屋があっても困っている人が今後増えていくのではないか
杉本 どうでしょう?実体的なホームレスの人たちは今後も減っていきますかね?それともそのまま横ばい状態で行って、生活問題を抱えている人たちが今年急に増えたという話がありましたけど、そっちのほうを考えなくちゃ行けないところに来てるのか。
山内 なにか後ろ向きなんですけども、消極的に減ってくんだろうなと。つまり高齢化ですよね。路上生活できる体力がなくなった人がバタバタとたぶん路上からいなくなるでしょう。で、あらたな流入層も勿論コンスタントにいるんですけども、いまはベトサダなり、ジョインなりがあって、そこがたぶん機能してるので。で、入所したばかりの人は何とかしたいという思いを持っている人が多いので、「何とかしたい」と思っているときに、こう、スッと入っていけば。だから流入はするけれど、出て行くのも早いみたいなかたちになっていくかもしれません。
杉本 昔は路上生活に対して政策的に弱かった。社会制度的な対応はなかった。
山内 それがいま曲がりなりにもできている。ずっと沈殿していたような10年、20年となると、こういう人たちにアプローチするのが難しかったんだけれども、もう「痛い」のは嫌らしいみたいな。痛いとか、身体が動かないとなって消極的な意味での脱路上になり、だから減っていくんだろうと思います。また、減らないと何だっんだ?という話になる。これだけ支援のメニューがあって。まあこれだけと言っても不十分ですけどね。曲がりなりにもあることはあるので。
杉本 曲がりなりにも困窮者支援。
山内 実際に全国的にも数は減っている。ただ、何というんでしょう。いわゆる路上生活している人は減るだろうけど、その人たちが部屋に入ったから生活が良くなるかと言ったらまたそれは別問題なので。それこそ最近の「労福携帯」じゃないけど、部屋はあるけど「困った困った」みたいなのはたぶん増えるというか、変わらず出てくるだろうなと。
杉本 ある種の生活崩壊みたいな部分ですかね。
山内 そうですね。そこにアプローチする手立てが次に必要となるんだろうなと思う。だからケースワーカーさんだけでは無理だし、生活保護はもらってないけど、生活が安定しないというか。そういう人たちはどこへ行ったらいいの?と。
杉本 なるほど。
山内 たぶんいったん路上に出て、「ジョイン」とかがスッと入って、だんだん「ジョイン」で脱路上して、でもそのあとの生活が大変な人というのは分かってきているので、ここをいまボランティア的な部分で路上支援の職員がちょっとやっている。でも、これはもう早晩パンクするのは目に見えている。そこをどうするのか?と。
杉本 この困窮者支援というのは3年ごと見直すという話になってるじゃないですか。いまのその課題というのはやはり……。
継続支援やフォローアップが必要になってくる
山内 あると思いますよ。フォローアップというか、そのあたりは「家計相談事業」という任意事業が多分改正して必須事業になるんじゃないかという話があります。
杉本 そうすると山内先生が仰ってる事例というのは家計相談のほうで?
山内 要は、恒常的に関わる形ができるという意味では家計相談であれば金銭管理も含めて、タイムリーにと言うことで継続的に関われる可能性があると思うんですね。それがやっぱり現場で困窮者支援法で相談事業をやって、でも手を離せないよね、という人たちをどうするのか。そこをうまく継続していくための事業として家計相談はなり得るかな、というのは何となく思っています。
杉本 なるほど。
山内 要はずっとみていく。伴走型支援ですね。
杉本 やっぱり聞いていて思いましたけど、福祉事業も自立という言葉をたくさん使いますけど、自立ってそんなに簡単なことじゃないなって改めて思いますね。誰かがやはり見守ってあげていかないと、自分でどうこうできるというのは簡単じゃない。社会資源が分かったり、どこへ行けば自分のいまの問題のカタがつくのか分かっていないと。
僕の場合母親が認知症が出てきたので、ケアマネージャーさんについてもらって。それでもやっぱり悩ましい問題はたくさんあるわけです。日常を一緒に過ごしますから細かな問題がたくさん出てくるんです。だからそれに対してどこまでケアしてもらえるのか、ということがある。自分が理想とするものはなかなかないですよね。デイサービスも行き始めたんですけど、まだお試し段階で。でも今のところ僕の家なんかはそんなに難しくない。困難事例ではないですし、僕自身もいよいよとなれば福祉施設を考えてもらおうと。申し訳ないけれどもということは覚悟してるし。
ということは、ある程度の何というのかな。生意気な物言いですが、ポテンシャルみたいなものがあるんですね、きっとね。情報とか、経済とか。ウチの両親もそこそこの生活形態とか、レベルとか、社会保障制度とか全部揃っているところで生きてきたので。経済的にはやっぱりそういうものが今の時代だんだんなくなってきている。かつ、そうはいっても昔からある、僕も含めてですけどなかなか社会適応が難しい人たちというのはいるはずで、ましてかつて犯罪なんか犯してしまったりとか、DV的なことをどうしてもしてしまう人が出てくると、その対処だけして自立しました、あとは頑張って下さいという風にはなかなかならない人が沢山いるだろうな、って思いますね。
山内 そうですね。だからいま現在もそういう人たちはいるのでしょうけど、どうしておられるのですかね。そういう人たちって。制度サービスとも繋がってないんだけれども、すごく不安定な状態の人たち。
杉本 まあ困窮者支援制度はそこら辺の課題を元々何とかしていこうというのが話し合いが始まった当初にあったはずなんですけども。釧路の櫛部さんから聞いた話だと最初は関係性の話とか、つながりをもつための制度という話だったらしいんだけれども、いつの間にか自治体などのほうから抽象的でわかりにくいという話になって。で、経済困窮というのを前面に出されて行くという流れに。まあそれは丁度政権も自民党に移行する時期ともバッテングしてたので。でもどうなんでしょうね。どうも日本人はそう簡単に、例えば英国のように労働党から保守党に政権交代したら急にバッサリ福祉を切っちゃうようなヘビーなことを許容できる民族性でもないような気がするんですけど。
山内 そうですね。
杉本 助け合いそうな印象もあるんですけどね。自助努力論者も沢山いますけれど。
居場所のない人をホームレスと定義を広げていく必要がある
山内 うん。だからホームレスの定義というか、よくその路上生活者イコール、ホームレスになってますけど、やっぱりそうじゃなくて、居場所のない人をホームレスだ、という風に定義を少し広げていく必要があるんだろうなという気がします。別にホームレスという呼び名でなくていいかもしれなくて、何らかの支援が必要な人。見えやすい形なんですよね、やはり路上生活をしてるというのは。でもじゃあ何がその人の、もちろん家がないというのがひとつの困難ではあるのだけれども、この人が何に本当に困っているのかといえば、やはり「つながり」がない所なんだろうと思うんです。この「つながりのない人」って家の中にいる人にもいっぱいいるわけですから。
杉本 ひきこもりの人もそうです。
山内 そうかもしれないですね。そういう意味でのホームレスという風にならざるを得ないと思うんです。これからは。ホームレス自立支援法では路上生活をホームレスと定義するわけだけど、じゃあ一生懸命に路上の人を減らしましょうと。実際減ってきてて、それでいなくなったという日が仮に来たとして、じゃあそれで問題が解決したという風に言えるのか?といえば、たぶん別の問題が生じてくると思う。その人たちがここに来て、ここで大変なことになっているみたいな。その辺りも含めてホームレス問題という話になるのかな、という気がします。
杉本 お金さえ与えれば何とかなるという風な話にならないと言うことは、いうろいろ本を読んだり、人から話を聞いたりして、了解済みだし、事実問題、ひきこもりの話って家があるからとりあえずギリギリ家が守ってくれる。でも最近話題になっているのはやっぱり高齢化で、親が亡くなったあとどうする?という風な話ではあるんですけど。まあそれはあまり強迫、おそれを抱かせるような報道の仕方は絶対止めたほうがいいと思ってるんですけど。むしろでも、僕が思うのは、家があっても人間関係を持てないままでいるということのリスクはやはりあるのではないかと。経済的に困ってなくても、何か困りごととかあったときに誰とも接点がないというのはやっぱりキツイことですよね。
山内 うん。そうですね。
杉本 僕だって、いよいよとなったら先生の所に「すみません、困っているんです」と言わなければ(笑)。
山内 ははは(笑)。
杉本 まあそういうことで力ある人に会いに行くということかもしれないですしね。そう考えると甘えられる人を沢山作っておくとか。僕にはなかなか難しい作業というか、苦手な側面ですけど、その意味で「リア充」系の人はある意味恵まれているかもしれませんね。だからほのぼのとした学生さんたち。まあ今後いろいろ長い人生で苦労することが沢山あるかもしれないですけど、ほのぼのとした人間関係を了解していて(笑)。そのあたりがよく分かっている人はけっこう「溜め」はあるかもしれませんね。
山内 そうですね。
杉本 人間関係の「溜め」が一番大きいかもしれない。相互扶助とかね。思いやりとか、「お互いさま」とか。それは素直に。不安に駆られて、じゃなくてね。それができる人がこれからは強いかもしれないですね。だから実際はお金に困ったら生活保護があるはずだし、本当は社会保障制度に対する楽観主義みたいなものがもうちょっとあっていいはずですよね。
山内 そうですよねえ。なんでそうならないんだろうな?というのがあるんですよ。
杉本 そうですよね。政治的にもちょっとキツイですしね。でも何かこう、本来的なものが騙されちゃってるというか。いろんな言説で思わぬ方向にいまあるというか。まあ僕が若い頃はちょっとウザいかもしれないですけど、「連帯」とか。労働者の連帯とかを言ってるような世界観もあったんで、やっぱり様変わりは間違いなくしているなあとは思います。NHKひとつとっても、ずいぶん変わったなあというのはありますから。やっぱり環境とか状況というものを日々見慣れていると、その影響をすごく受けちゃうのだろうなあと思いますね。これが終わらず延々と続くと良くないだろうなと思うんですけど。どこかでちょっと「反転」していくようなマインドセットがないと。つまり意識変革みたいなことが社会的にないとキツイなあと思う所です。
山内 う~ん、そうですね。何かそういう変化というのって、どうなんですかね?起こるものなんですかね?
杉本 (笑)どうでしょうか。
ボランティア組織の継続と、生活支援の関わりでの両軸で
山内 何かいまの社会状況というのが、すごいよく「戦前に似てる」とか。言われてみたらそうなのかもな、という。イメージとして戦前だとしたら言論統制があって、すごく生きにくい雰囲気があって、いまどうなのかと言った時に「あ、これがそういうことか」というような感覚で入りこんでくるというか。だから本当はもう、大きく変わっているのかもしれないんだけど、中にいると変わっていることがわからない。振りかえると「あれがそうだった」ような何かを改めて。社会を認識するというのは、敏感に感じ取れるものじゃなくて、気がついたらこう、「じわ~」となって(笑)。
杉本 そうなんでしょうねえ。う~ん。まさに状況によって人は別の意識を持つことが難しくなるということなんでしょうねえ。まあおそらく政治的には教育や何やらいろいろとイチャモンをつけられて、まあ最近は「オルタナティヴ・ファクト」だの何だのっていう言葉が出てくる妙な時代になっちゃっていますから。
山内 そうですね。
杉本 ただ、同時にツイッターとかFacebookとか。ソーシャルネットでは僕も言いたいこととか、リツイートとかしているし、自分自身のネットでのインタビューも基本的には主流ではない。いや、主流ではないという言い方も妙なんだけれども(笑)。ヒューマニティのある人にしか話を聞いてませんから。だからといって別にどこかから脅されたり怖い思いもしていませんので。別に言論統制されているわけではない。戦前のように何か言ったら弾圧されるわけでもないから、基本何をネットで配信してもやられない。
ただ有名人になるとおそらく「ワー」っとコメントが。右翼的なコメントが沢山くるというのは分かるわけですよね。そうするとやっぱりそこそこテレビに出る人、メディアでは知られている人。そういう人たち、知名度のある人たちはバッシングされると流石に人間だから堪えて徐々に懸命いうのはやめておこうという風になっていって、何となく自粛ムード。これは政治が仕掛けている部分もあるんだろうけれども、自分たち自身がお互いに。何か奇妙なクリーンさみたいなこととか、あるいは、「お前は日本人か」みたいな。ナショナリステックなものが草の根のようにどこからともなく匿名で。そういう人たちの言葉の攻撃というのは、やっぱりちょっと人を病ませますよね。どこもかしこも疲弊させるというか。
山内 きっとそういう疲弊みたいなものを嫌うようになって、みんな黙っていく(笑)。
杉本 政治は弾圧しないけど、大衆が大衆をバッシングするというね。やっかいな問題になってきましたね。今後も考え続けないといけないようで……。すみません。少し脱線しまいましたが。
山内 いやあとんでもない。こちらこそとりとめのない話になってしまって。
杉本 いえいえ。最後にこれからこうしていきたいとかありませんか。やっぱり今後は生活相談みたいなことが増えるだろうなという印象ですか?
山内 生活相談が増えるというか、たぶん「労福会」という話で考えると現体制だともうキャパを越えてるようなところがあって、そういう生活相談とかよろず相談的な受け入れ窓口となる所をどうやって作るか。だから労福会ではたぶんもう無理がある。でもそれをしないかというと、労福会って何するんだっけ?みたいな部分もあって難しい。悩ましい所なんですけれども。
杉本 いま少しずつホームレスの観察支援という所からもうちょっと生活そのものの中で困難を抱えている人が増えているという現実のほうに寄せて、問題が少しずつ見えてきている、ダイレクトに受け止める機会が増えてきているという。家があっても崩壊するかもしれない不安定な人が見えてきて、それをどういう風な支援体制を作るのかということ?
山内 ですからそこは、それこそ僕は「ジョイン」のほうにもかかわりがあるので、そっち側で何かそういう事業を興していくとか考えられますね。労福会はあくまで何というんでしょう。高校野球みたいな。つまり学生は入れ替わっちゃうので。出来上がったと思ったら卒業していく。それがもしかしたら長続きの秘訣のひとつで、ずっと永遠の素人みたいな。素人だから変に深入りしちゃうこともあるし、実はそれが問題の発見だったという場合へつながることもある。なので、僕自身ができるかどうか分からないけども、いまは労福会にかぶさっている諸問題というか、相談内容というのは、労福会が掘り起こした部分なんだけれども、それを本格的にやるとすのであればどうするか、みたいな。だから労福会があり、ベトサダがあって、というそういう新たに必要な支援を事業化する窓口みたいになったらいいのだろうなと思ってます。まあ、それはホームレスに限らずなのかもしれません。
杉本 困窮者支援制度の枠組みなんでしょうね。今のところ。可能性としては。
山内 だから生活保護と切り分けるのはどだい無理なんだということに早く気づいてくれ、と思うんですけどね(笑)。
杉本 (笑)。生活者支援ということですよね。困窮者支援もなぜ「困窮者」ということばを使うのか。要は「生活者支援制度」でいいじゃないかと思うのですが。
山内 確かに。
杉本 まあ経済困窮というところにもっと光を当てて欲しいという所になっちゃったみたいでね。で、結局最終的にそこは、ケースワーカーさんもプロにならないとまずいんじゃないですかね(苦笑)。
山内 ははは(笑)。
杉本 よく言われる何年もやってるとよくない関係性が生じるとか云々で。それも分かるような気がするんですけど、2~3年行政職の入り口でやってそこからケースワーカーからまずやってください、みたいなのはどうなんだろう?
山内 それこそ専門職化する方向か。あるいは指導するケースワーカーと支援するケースワーカーと切り分けるとか。いまはそれをひとりで両方やらなくちゃいけないわけですから。
杉本 はい。櫛部さんもその点は言ってました。
山内 だからそこを、2種類にわける。まあケースワーカーが2種類か、何とかワーカー、何とかワーカーにするか分からないですけど、そうしないとケースワーカーのなり手がいつまで経っても育たないというか、それこそ新人の登竜門みたいになってしまうと思います。
杉本 税金を使っているから、お金の管理は必ず必要でしょうから。かつ、自立支援ということも必要に今度なってくるでしょうし。仰るとおりで、2種の両輪でひとりの被支援者を助けていくというのは本当に必要でしょうね。オールマイティの人にやらせるというのも、結局その人がいなくなったら続かなくなっちゃうということでしょうから。
今日はさまざまな角度からとても貴重な話をたくさんいただきました。本当にありがとうございました。
(2018.1.31)
札幌国際大学 山内太郎先生の研究室にて。
(山内太郎さん:略歴)
・北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程中退
・帯広大谷短期大学講師
・北海道民生委員児童委員連盟主事
・札幌国際大学短期大学部准教授