横浜に住み始める
杉本:林さんはひきこもりの自分だ、ということに抵抗感はなかったですか?
林:私ね、なかったんだと思います。たぶんなかったと思います。
杉本:そうなんでしょうね。そうでなかったらこの当時からインタビューは受けてないでしょうからね。
林:逆にこれ、みんなとも良く話すんですけど、頑なに拒否する人っていますよね?
杉本:いますよね。はい。
林:で、一方で私とか、※岡本圭太さんというサポステのスタッフをやっている彼とも関係が古いんですけど、彼とか私は逆にそれを得たことで自分がどう動いたらいいかわかったので、非常に楽になったんですね。どうも2パターンに分かれる。
杉本:うんうん。で、まあひきこもりを引き受けたと。まあ勝山さんは2006年から東京の例会のほうに行って。その期間の中で林さんは横浜に移動するんですよね。
林:そうですね。2003年かな。
杉本:2003年くらい。横浜の方に。それは※関口宏さんという例会に参加していた精神科のお医者さんの「働いてみないか」という引きで横浜で一人暮らしを始めるということですね。
林:そうですね。それも大転機でしたね。
杉本:うん、うん、うん。
林:実家を出る、という。
杉本:どうでした?不安はなかったですか。
林:まあそうですね。本当に実家を出るということも初めてでしたし、あの、「住み込み」という形だったんですよ。
杉本:あ、クリニックに?
林:クリニックに。クリニックってね。ものすごく大きな一軒家なんですね。で、そこに部屋もあるし布団もあるからということで、そこで住み込むという形だったんです。さすがにね。自分より周りがびっくりしてた。「えっ?」と。それやるの、本当に?って。私は普段かなり慎重なタイプだと思うんですけど、10年に1回くらいまわりがびっくりするようなことをポンとやっちゃうところがあるんですよ。
杉本:もうその頃にはこれくらい話が出来るようになってました?
林:え~とね。でも当時を知ってる「考える会」の主要メンバーにはここ何年か会うとやっぱりずいぶん変わったと言われているから、やっぱりそうでしょうね。でもずいぶん元気にはなってましたよ、この頃には。
杉本:ああ、そうですか。で、どんどん元気になっていく過程の中でね。どういう要素があったのかというのは本当にいろいろな積み重ねがあるんでしょうけど、横浜に住むようになる頃には「新ひきこもりについて考える会」になっていたと思うんですけど、例会に出てくるのはちょっときつくなった感じですか?
林:そうですね。Oさんが一回辞める、ということになって。ところがそのときやめるのは困るという声が内部から沢山出たんですね。それじゃあこれからはスタッフ制にして「新・考える会」という形で続けようということになったんですよ。それが2003年か2004年頃なのかなあ?で、そのときに、今までいたメンバーがみんないなくなっちゃうのは困るということで、確か半年か一年だけ、私も「新・考える会」のスタッフをみんなとやったんです。で、その後は私も横浜だし遠いからというので一旦そこからは退いて、今度は横浜で私にとって本当に初めて「暮らす」ことを始めるわけですよ。
杉本:はい。はいはい。
林:本当に横浜に来たのは私にとって大きな転機で、それまではやっぱりすごく頭で生きていたというのか、とにかくいろんなことを考えて、悩んで。けれども日々の生活って、買い物行かなきゃ食べられないし、掃除しなければ汚れるしで。そのリアルな「暮らし」というものと向き合う作業をたぶんそれから2~3年はやっていたんですね。それが私個人としてはとても大きなことでしたね。
杉本:それで2006、7年頃まではお仕事と自分の暮らしを立てることに専念してた時期となったわけですね。
ヒッキーネット
林:はい。で、関口さんのクリニックで仕事をするということはもう、精神科のクリニックなので、そういったことと向き合うことはできていた。で、クリニックの中で親の会をはじめたり、当事者グループをはじめたり、それに参加したりということもクリニック内でやっているんですね。それとちょうど同時期の2002年に関口さんが「ヒッキーネット」というのを立ち上げるんです。その立ち上げの結成記念講演会のときに※上山和樹さんと私が壇上にのぼって話をしたんですね。
杉本:ぼくも見ましたよ。ヒッキーネットのホームページ。上山和樹さんの講演のあとにいちおう匿名の形で林さんも登壇していますよね。
林:当時はそうでしたね。あれが2002年で。その翌年に横浜に来たんです。そんなこともあったので関口さんとヒッキーネットを一緒に手伝ったりして、暮らしは暮らしとしてしつつ、やはりそういうことには割と密に関わっていて。で、ヒッキーネットのおかげで私は神奈川で活動している親御さんたち、「ヒッキーネット」というのは親の会のネットワークなんですよ。
杉本:ああ~、なるほど。
林:ですから親御さんであるヒッキーネットの人たちとすごく親しくなれたのもよかった。私にとっていざとなったら頼れる人たちなので。
杉本:なるほどね。依存先がまた増えていったわけですね。
林:はい。大きかったです。とてもよくしていただきましたし。クリニックの住み込みが諸事情があって難しくなって引っ越しをしたときも戸棚とか、炊飯器とか、洗濯機とかをみなさんがくれたり、手伝いに来てくれたり。そういうふうに私、それまで人に何か頼んだり、頼ったりするということをあまりしてきたことがなかったんですよね。
杉本:ええ。
林:それが少しできるようになったというか。本当にそれが大きかったです。
杉本:それじゃあヒッキーネットという場所も林さんにとっては大きな?
林:はい。大きいですね。特にいま読書会を一緒にやってるKさんも当時から知っていて。
杉本:あ、Kさんはそうするとヒッキーネットの設立当初からいらっしゃった?
林:はい。
杉本:聞き上手なかただなあと思いましてねぇ。
林:ああ~。
杉本:僕なんかは喋りだすととっちらかってズレてしまうという癖が抜けなくって。自分で収拾つかなくなっちゃうんですけど、「いや、良く聞いてくれる人だなあ」と思いました。実に相槌とかうなづきとかしてくれる人で、優しい人だなあと思ったんですよ。
林:そうですねえ。本当にそうですね。
読書会
杉本:でまあ、僕も参加させてもらった「読書会」なんですが。これが2006年くらいからですか。
林:そうなのかなあ?そうなんですかね。11年経つから。
杉本:ああ、2005年ですか。
林:その頃ですね。
杉本:ぼくはすごいことだと思うんですよ。毎月ひきこもりがらみの本を11年も継続して読みあって話し合うということは。
林:そうですね。もともとは「新・考える会」の中から派生する形でね。確かKさんと石川さんが始めたんですよ。
杉本:石川良子さんですか?
林:はい。石川良子さんとKさん。私はさっきも言いましたように「新・考える会」からしばらく離れていたので、読書会も当初は参加してなかったんです。参加はたぶん一年後くらいになるのかなあ。
杉本:その頃はそうすると仕事先と暮らしと。
林:はい。それであるとき何がきっかけだったかな?ちょっと私も余裕ができてきたんでしょうかね、精神的に。ちょっと行ってみようということで、読書会に来てみたらやっぱり面白かった。場所もここ(かながわ県民センター)だったら楽に通えますし、そこで通うようになって。そこで勝山さんと再会したんです。
杉本:その頃の勝山さんは、もうあの勝山さんになってたんですか(笑)。
林:そうです。たぶん5~6年前だと思います。もういまの勝山さんだったと思いますけどね。まあ、いまのほうがより活動的ですよね。
杉本:そうですね。昨日も(UXフェスで)「どうでした?」と訊ねたら、「いやあもう、いつもの調子でバリバリですよ。もう慣れちゃったのかなあ」と言ってて。「慣れたからちょっと爆発できなくなったかもしんない」って。
林:ああ、何か言われてましたよ。毒や棘がなくなって丸くなってきてるからもっと毒を出さなくちゃダメですよ、って。みんなに(笑)。
杉本:いや、確かに優しい人だ、っていうのは認識してましたので。
林:本当にあの人は優しいですね。
杉本:特に当事者の人には優しいですね。
林:そうそう。それはまさに。
杉本:その分、逆にリアクションとして親御さんとか支援者の人に対してはまあ厳しいというのかな。そこら辺がちょっと親御さんとか、支援者、研究者の人に。
林:誤解されるというか。
杉本:誤解されてる部分があると思うんですけどね。だから人となりを知られるとニュアンスが相当違ってくると思うんですけど。
林:そうだと思います。圧倒的に当事者の味方だし、当事者に優しいというところが勝山さんを一番信頼しているというか、尊敬をしているところですね。
杉本:そうですね。根底的にそうですね。あとはもちろんあのかたが持つ言語能力というのかな?(笑)。視点の新しさ。普通の人の持ち得ないような視点からの発言とか。実に「頭がいいなあ」と思うんですよ。
林:頭いいんですよね。おとといのトークでも「自立からの卒業」って話をされてたらしいんですよ。ふふふ。「うまい!」と思って。
杉本:(笑)。
林:みんなでそれで次の本を出さないと、って言ったら、「どこへ持ってったって取り上げてくれませんよ」って。でもいいでしょう?「自立からの卒業」って。
杉本:いいですねえ。あのね、常にね。商標登録モノ、というのかな?
林:(笑)。勝山語録。
杉本:そうそう。特許申請したほうがいいくらいなキャッチコピーをね。繰り出すんですね。もうびっくりします。あれはね、家で考えてできるというものじゃないんだよな。ほとんどもう、生理的に(笑)。出るアドリブだと思いますけど。
林:まあ本もよく読んでらっしゃるんだと思いますけどね。
杉本:もちろんそれはね。ただ、どう考えてもオリジナルな思考なのでね。本から借りてきた言葉で喋っていないので。
林:私もそう思います。
杉本:そして丸山(康彦)さんもその頃には読書会に?
林:丸山さんもいたと思いますね。丸山さんも当初からヒッキーネットのメンバーでしたから。
杉本:ええ、そう聞きましたね。
林:だからたぶんいたんじゃないかな。
杉本:そうですね。ある意味においては丸山さんがひきこもりがらみの居場所に関しては一番古参のかたのようですね。昨日もいろいろ話を聞いて。
林:そうかもしれませんね。特に神奈川はそうかもしれません。
杉本:いや、本当に神奈川はすごい。ぼくはまあ、メールにも書きましたけど、読書会のレポートは2009年くらいから。それまでは例会のレポートがだけがずっと載ってましたけど、2009年頃から読書会のレポートもおそらく「考える会」のブログにあがってると思うんですが、これは林さんが書いているんですか?
林:ああ、それはKさんだと思いますね。
杉本:そうですか。もう2009年くらいから読書会の終ったあとの様子みたいなものが載っていますよ。本の褒めている部分と、でもこういう意見もあった、反対意見もあったということはちゃんと両論併記されていて。その客観性の高さというものにもぼく、相当驚きましたし、地方人ですからね。やはりこれはすごいなあと思いました。当事者の人たちが自分自身の問題とじかに向き合って話し合うというのもすごいし、自分の問題にしていると同時に、ひきこもりという問題をも相対化しながら考えているというようなね。これはなかなかなことだな、と。ひきこもりの人が自分のことを語ることの難しさも含めてね。それは「本をあいだに挟む」ということもいい結果を生むのかなあ?と思ったんです。
林:うん、うん。
杉本:昨日も丸山さんと同じことを話したんですよね。
林:すごくいいんですよ。
杉本:あいだに仲介物があるということで話しやすいこともあると思うんですけれども。でもやっぱり読み込む力とか、毎月やる継続の力とか。これは何だろうね?って。すごいねって(笑)、思うんですよ。林さんはどうでしょうね?読書会に参加されてからは。
林:うん。まあ本当にひと言でいうと面白いから来てるんですよね。
杉本:参加されてからは、ほとんど皆勤で?
林:まあそうです。かかわるようになってからはよっぽど何かない限りは。
杉本:ああやっぱりそうですか。やっぱり面白いと思ったんだなぁ。
林:ええ。まあちょっと外せないですね。自分にとっても一番キーとなる居場所。ある意味においては居場所でもありますよね。
杉本:そういう言葉が聞けたのは嬉しかったですね。
林:ええ、大事な場所ですね。
杉本:何冊目ぐらいのときからの参加ですか?
林:えっと、※リスト見るとわかるんですけどね。いま110冊くらいになるのかなあ?
杉本:そう。110冊以上は読んでますね。
林:たぶん10とか20冊目くらいのときからだと思いますね。
杉本:20冊目くらいからだと、もう100冊くらい(笑)毎月(笑)。
林:ははは(笑)。そういうことになりますね。すごいな。
杉本:本は購入して?それとも?
林:えっとね。なるべくみなお金がないので、できるだけ図書館で借りられる本を選ぶんですよ。でもそうすると新しく出たひきこもりの本とかはなかなか読めなくて。そこはいまだにジレンマなんですけど。もしどうしても購入する場合は新書。新書だったらまあいいかな、と言って買ったりとか。あと時どき論文。どなたかの論文とか。
杉本:そう。論文まで読んでるんですよね。
林:そういうものだとコピーできたりするじゃないですか。ですからそういう風にしたり、できる限り買わずにすむ方法。それが一番苦労といえば苦労かもしれませんけどね。
杉本:でもすごい。平均何人くらいですか?ぼくが行ったときはちょっとレアな感じだったと思うんですけど。
林:はい。7~8人のときもあれば、15人くらいのときもありますね。だいたいこのあいだくらいですかね。
杉本:なるほどね。いや、本当にみなさん良く喋るな、って。沈黙の時間がないですよね。ほとんど。
林:足りないくらいですね、ちょっとね。
杉本:(笑)でも林さん自身が、あの~、振ってるから。みんなに。
林:(笑)聞きたいんですよ。みんなに。
杉本:あはは(笑)。
林:できるだけみんなの意見をね。
杉本:いつくらいから世話人をされてるんですか?
林:世話人はね。石川さんがやれなくなって、Kさんがひとりだとちょっと難しいからやめる、という話になったことがあるんですよ。
杉本:ほう。
林:だいぶ前ですけど。
杉本:Kさんと石川さんが世話人をやってたわけですよね?最初。
林:はい。で、そのときに※関水(徹平)さん(社会学者:読書会共同世話人)が、「いや、それは困るから、じゃあ私たちが一緒にやります」って。
杉本:関水さんは当事者側としてこられたんですか?それとも研究者として?
林:関水さんはあくまで研究者ですよね。当時は大学生。早稲田の学生として。いま先生になりましたけどね。
杉本:石川さんも社会学者ですけど、関水さんも社会学者として?
林:はい。いつの間にか居ついた研究者の方ですね。で、そこから3人でやってるんですね。石川さんが抜けて。8年位前から。
杉本:それくらい前からですか。そして、足掛け読書会はもう11年と。
林:ですねえ。
杉本:当面は続けますよね?
林:ん?
杉本:当面はまだまだ続けますよね?
林:はい。
杉本:ははは(笑)。
林:私は少なくともそのつもりです。
杉本:ねえ?いまは東京の例会の方にも世話人として参加しているということで。
林:それは去年かな。去年ちょっと世話人の数が足りなくなってきていたり、みんな忙しくなって毎回出れないということになってて。で、北村さんのほうから関水さんと私にちょっと手伝ってもらえないかという話があって。
杉本:そうですか。そう考えるとKさんってずいぶんと深く関わってくれているんですね。自分のお子さんが不登校をされていたということがあったとしても。
林:そうなんです。で、Kさんがね。いまちょっと家庭の事情があって少し身動きがとれなくなっていて、そこはね。こちらもフォローしながら、またしてもらったり。
※岡本圭太―NPO団体職員。地域若者サポートステーション相談員。神奈川県横浜市出身。就職活動を機に挫折を経験し、25歳まで社会から撤退した日々を過ごす。25歳の時に通院を始め、20代後半は当事者グループや勉強会の運営などに携わり、30歳で就職。現在は仕事の傍ら、講演活動のほかに、NPO法人リロードの月刊通信に連載している。 同法人からこれまで4冊の小冊子(「ひきこもりからの生きなおし」シリーズ)を刊行中。
※関口宏―精神科医、臨床心理士。日本児童青年精神医学会会員。2001年、横浜でカウンセリング専門の相談機関である「文庫こころとからだの相談室」を開設する。ひきこもりを考えていく市民ネットワーク「ヒッキーネット」の呼びかけ人となり、地域に根ざした精神保健福祉活動を展開中。
※上山和樹―著作家。中学在学中から不登校経験が重なり、山梨県の私立高校で寮生活を送るも、通えなくなってしまう。 関西の公立大学に進学するも大学時代は哲学的な悩みに忙殺される。結果として不登校となってしまい、後に卒業するまで葛藤の日々を送る。哲学的な問題については自身のブログで語っている。また、引きこもり現象全般にわたっても雑誌『ビッグイシュー日本版』にて斉藤環との往復書簡を公開している。現在では自身の引きこもり体験をもとに著名人や(元)当事者とともに講演や執筆活動を行っている。主著に『「ひきこもり」だった僕から』(講談社)
※リスト-「新ひきこもりを考える会」読書会
100回目までの本のリストはhttp://h-kangaeru.seesaa.net/category/6451243-1.htmlで確認できる。
※関水徹平―早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。早稲田大学文学学術院助手、同非常勤講師を経て、現在、立正大学社会福祉学部専任講師。専門は社会学。現代日本を生きる若者たちが、社会変動のなかでどのような困難を経験しながら、その人なりに社会と関わろうとしているのかを「ひきこもり」経験を焦点として研究している。著作『~果てしない孤独~独身・無職者のリアル』(共著)。