野枝、一度自分を殺す
――先ほどの話でいえば、伊藤野枝さんはエネルギーのある顔をしてますね。表紙の写真はいつ頃のものですか?
栗原:これは二十歳くらいですかね。
――こんな言い方は何ですけど、*「足尾から来た女」みたいな感じで。ちょっとお百姓の娘さんみたいに見えますが、実はきれいな人ですよね。
栗原:きれいな写真もありますね。大杉と結婚した時は。
――そう、きれいですよね。で、大杉がまた…。
栗原:すごく濃い感じの。
――ええ。濃い感じで。エキセントリックな顔立ち。日本人離れしているというか、中国の人みたいですね。
栗原:ああ、そうですね。だから(中国に)まぎれられたのかもしれないです。
――で、大杉のパートナーになる伊藤野枝さんの場合、古い価値観の田舎がいやでいやで。結婚が決まっていたのを一週間持たずに飛び出し、辻潤のところに転がり込むという。そして辻潤と結婚するわけですね。
栗原:結婚したのは実は辻潤が浮気とかして、その関係が修復したあとだったりもするんです。
――もともとは両者とも惹かれあって結婚したわけでもない。伊藤野枝のほうが彼女の通っていた女学校の教師だった辻潤を好きになった…。
栗原:伊藤野枝は、辻を学生時代から好きだったんですね。で、辻潤はほかの女の子に手を出そうとしてたけど、でもまあ、野枝を泊めた。
――周囲が決めた結婚から逃げたいという願いを受けとめて、辻潤が漢気を出して。これはもう逃げてくるしかあるまいと。引き受けるぞ、ということですよね。で、そのはなしの前にひとつ。
本の第二章のところで野枝が通っていた田舎の若い女の先生がのちのち自殺する出来事があった。このことを小説化した文章がまたすごいわけです。(『遺書の一部より』)
栗原:いいですよねえ。
――遺書の形態をとったこの小説、現代にも圧倒的に通用するというか…。
栗原:そうですよねえ。これが一番キレッキレの文章かもしれません。
――本当はいい娘でいることに窮屈を感じていて。
栗原:田舎でまわりの目を気にしながら生きて。
――世間を気にして、「いい人だ、いい人だ」って言われているんだけれども。本当は私が心の中でどう思っているのか。あなたたちにはわからないだろう。最後に手に入れる自由は、自分の命を自分で処分することでしかないという結論に達した、という。これも切ない話ですけど。
栗原:そうですね。もちろん伊藤野枝も自殺することを勧めたわけではないでしょうけど、でもそういう思いをもったすべてから離れて、自殺するということをもって、自分で自分の自由をつかみ取ったことは肯定してあげたいという気持ちがあったんでしょうね。
――なんというんでしょう、もう、心からの追悼の文章ですよね。
栗原:おそらく自分自身とも重ねてたところがあると思います。田舎で末松家というところに嫁いでいたらいい暮らしもできたと思うんです。でもお世話になったおじさんからああしろ、こうしろといわれて、それを振り切って夜逃げ同然でバッと出てきた。その感覚もその先生の自殺の感覚と近いと思います。それまでの自分の生活も全部捨てきっちゃうわけですから。ある種自分を殺す、じゃないですけど。
――生きてるけれど、いままでの価値観を一回殺すということですね。本当に精神的に強い。まあもともと強い人だったんでしょうね。栗原さんは「わがままな人である」って最初に書かれていますけれど。
栗原:大杉以上に強い人かもしれないですね。大杉の場合どちらかといえば吃音とか、自分の弱さみたいなところからけっこうアナキズムとかに入っていくと思うんですけど、もう少し野枝は素でわがままだったかもしれません。
――生理的にアナキストだったというか。やっぱりどうしても男性の場合は頭から入る感じなんだけど、むしろ女性のもつ根源的な。でも頭もバツグンに切れる人で。論争とかやっても論破できる(笑)。で、けっきょく辻潤とも別れるわけだけど、大杉栄と一緒に震災後に殺されたあとも自分は野枝さんのことが好きだったんだ、ということを辻潤は言ってますね。わりと未練がましく(笑)。
栗原:『ふもれすく』なんて作品はすごく良いです。なんか追悼文で。すごいですよ(笑)。伊藤野枝さんとやったセックスが一番最高でした、みたいな。追悼文だぞこれ、みたいな。
――ははは(笑)。すごいな。じゃあ大杉栄も幸せだったでしょうねえ。でまあ、いろいろすったもんだがあって、辻潤との関係もうまくいかなくなる。おそらくそうとう辻潤のことを尊敬もしていたし、文章もバリバリうまい人だから。野枝が自分の名前で書いている翻訳も実は辻潤が訳したという話がありますけど。
栗原:そうですね。代表作の*エマ・ゴールドマンの翻訳も辻潤が訳したと言われています。
伊藤野枝と自由恋愛
――まあ外国語はともかくとして、日本語の文章は野枝さん、本当に上手くて。で、大杉栄に会う前に青鞜社に行くんでしたか?
栗原:青鞜社は辻潤とくっついてからですね。野枝がけっこう社会的に孤立しちゃって、その時にもともと辻潤が青鞜を知ってて、で、平塚らいてうに手紙を送っていて。辻潤と暮らし始めてから、一回親とかを説得しに故郷の福岡に帰るんです。そうしたら「お前を東京には帰さない」みたいな感じで囲われちゃって、お金もないので東京に戻れなくなった。どうしようか?といったときに辻潤が引っ越しちゃっていて連絡がとれなくなった。その時に青鞜の主幹である平塚らいてうに手紙を送ったら、らいてうがお金を工面してくれて。それで東京に戻ってこれたんです。そのあとお礼をかねて青鞜社に行ったらお金に困ってるだろうし、ウチで働かないかと平塚らいてうが言ってくれて。それで青鞜社の社員になったんです。
――そこからその後、女性の解放運動の先兵みたいな出版社の女性編集長にもなり…。
栗原:そうですね。「新しい女」とか。
――伊藤野枝はそういう人の肯定するための文章を書いた?
栗原:はい。
――青鞜社にいた頃は、大杉は大杉でいろいろと…。
栗原:「近代思想」とか、「平民新聞」とかを出版していましたね。
――出版すれば、次から次へと発禁になっていくので。何とか新聞を流通させるために。
栗原:いろんなところに手を尽くして。それをかくまってくれたのが伊藤野枝と辻潤なんです。
――で、のちに大杉栄が辻潤と伊藤野枝が住んでいる家にお礼に行く。そこから大杉栄が伊藤野枝にだんだん惹かれるわけですね。
栗原:そうですね。
――結局、やっぱり辻潤とうまくいかねえな、という大きなキッカケは例の足尾の鉱毒問題に関しての辻の態度ですか?
栗原:それがひとつと、もうちょっと前に辻潤が伊藤野枝の従妹と浮気しちゃうんです。それでちょっと一回関係が冷めて、で、もうひとり子どもを身ごもってましたから。で、結婚して関係をとりもどそうとしたんですけど、その間に入ってくるのが大杉です。
――そうなんですね。で、三角関係ならぬ四角関係。
――大杉の奥さんと、伊藤野枝と、神近と大杉で。なるほどたしかに四角ですね(笑)。そこで大杉は契約を提案した(苦笑)。
栗原:三条件とか。すごいですよ。「経済的に自立すること」「別居すること」「お互いの自由を認める(性的なものも含む)」。
――栗原さんは「アナキストなのに、契約か?」みたいに書かれていて(笑)。
栗原:そうですね。伊藤野枝のわがままさというのは、自由恋愛のルールすら超えていい、ということ。
――この契約の三条件って簡単に言っちゃうとまさに友情の関係ですよね。
栗原:根本思想はそうなんです。
――セックスするかしないかというのは置いておいて。そういう恋愛と友情は水と油というわけではなくて、一緒だという発想ですよね。
栗原:考え方としては伊藤野枝もたぶんそうなんだと思うんです。ただ、男が何かルールとして上から言ってくるのは。
――ああ~。三つまたかけてて勝手にそういうルール決めんなよ、という。
栗原:だから奥さんは「ふざけんな」で怒って。
――別れるわけですね。
栗原:で、神近市子は守って。伊藤野枝はものの見事に破るという。
――うんうん。で、年代的にいうと1916年がすごいんですよね。いろんなことがあって。
葉山日蔭山事件
――ええ。11月ですね。その前にすごいなあと思うんですけど(笑)。大正時代って抜け穴がけっこうあったんだなあと思うんですが。金がないということで、金がないのは内務大臣が悪いからだということで直談判をしに大杉は内務大臣の後藤新平のところへ行って「金くれよ」って言いにいく。またそれを大臣が出てきて話を聞いて実際に金を渡すって。そんなことってあったんだなあ、と。いまじゃ想像もつかない。それで会ってくれるって、そんなに有名だったんですかね?
栗原:大杉は当時はもう有名人です。
――へえ~。どういう人が大杉シンパに?
栗原:近代思想という雑誌を出したときに文芸界隈で小説とかを読む学生とかですね。
――なるほど。普通の人はどうなんです?
栗原:大杉の文は新聞とかにも出てたりするんです。当時の新聞ってたぶんいまよりももっと読まれていました。
――ステイタスがあったわけですね。
栗原:だからいまでいう芸能人レベルの有名ですかね。
――なるほど。じゃあ会ってくれるのもアリといえばアリなんですか。
栗原:あと、後藤新平からしたら大杉はアナキストのボスですからね。金をやって懐柔する、みたいなこともあったんでしょう。でも逆にそれがバレて金をやって支えていると叩かれた。それに後藤新平自身、相当懐の深い人だったりしますから。
――で、大杉自身はお金をもらったら今度は急に気が大きくなってまたあちらこちらに金を回しまくって。
栗原:奥さんのところに金を渡して、伊藤野枝には服を買ってあげて。
――何か社会運動には使わないの?っていう(笑)。金払いがいいというのか、お金を手放すのが早いですよね。
栗原:あったら使う。
――あったらあった分だけ使うという。それで葉山でいろいろ。
栗原:まあ、文章書こうかといったら、伊藤野枝がついてきちゃって。で、神近市子は私を連れて行ってくれるといってたくせに、と。
――ああ~!最初は神近のほうに声をかけていたんですか。
栗原:あと、神近市子は後藤から金をもらったことを知らないですからね。
――自分が貸したお金で行ってるはずだと思っていたら…。それは修羅場ですね。そこで伊藤野枝もさすがに気まずくなって。
栗原:一回帰ろうとしたら宿の日蔭茶屋のカギを持ってきてしまった。夜中大杉が迎えに行って。川の字になって三人で寝たとか。信じられないですよ。
――で、次の日に伊藤野枝が早々に帰ったら。
栗原:夜に大杉は刺されたと。これは「神近、よくやった!」という気もしますけどね。
――ははは(笑)。でもこの人ものちのち、ことの顛末を書いているんですよね。刑期、どれくらいだったんでしょう?
栗原:そんなに入ってないですね。2~3年とか。
――でも重傷だったんでしょう?
栗原:死ぬ間際まで行ってますから。
――重体ですか。で、それはもちろん大スキャンダルになって。かつ、大杉の妹さんも「スキャンダラスな家の者とは結婚させられない」ということで、結婚が破談になり悲観して自殺してしまう。兄弟もたまんなかったでしょうねえ。こう言っては何ですが、何かとんでもない兄貴を持ってしまって。
栗原:妹さんはかわいそうでしたね。まあ騒ぎたてたメディアがわるいとおもいますが。
――もちろん大杉本人はそんなつもりはさらさらなかったでしょうけど。
栗原:どちらかというと大杉はお父さんが亡くなったあと兄弟の面倒を見てて、特にその自殺しちゃった女の子なんかはすごい手塩にかけてたんです。それこそ最初の奥さんなどがすごく面倒を見てあげています。
――え~と。なに保子さんでしたっけ?
栗原:堀保子さんです。
――この人は…のちのち?
栗原:1923年に亡くなっています。病気がちで。
――そうだったんですか。
栗原:大杉が死んですぐ亡くなっています。
――あ、大杉が殺されたあとに?この人は確か、社会主義者の?
栗原:そうです。社会主義者の堺利彦の親族に当たる人ですね。すごくしっかりした人だったみたいです。
――そうですよね。ですからある意味では活動家の奥さん稼業をしっかりとされて。本の差し入れから何から、一番貢献している。
栗原:大杉の妹や弟のことも。
――貢献している、と(笑)。
栗原:してますね。
――本当は自分で手をかけるのは最初の奥さんじゃないか(笑)
栗原:大杉もあたまがあがらなかった。
――優しい人だな、って気がするんですけど。
栗原:ほかのひとのことも変に悪く言ったりしないです。
――それは大変なものですよねえ。
栗原:神近なんかだと、すさまじいです。瀬戸内寂聴さんにお会いした時に、80代くらいの神近市子にあったことがあるらしくて。瀬戸内さんが伊藤野枝さんってどういう人でしたか?って聞いたら、「臭かったわ」ってひと言でいわれたみたいで。
――それは匂いが?
栗原:匂いが。臭かった、汚かったって。80代になっても恨みが。
美は乱調にあり
――まだ終わってない(笑)。修羅ですねえ…。瀬戸内さんが出家する前の小説のタイトル、『美は乱調にあり』(岩波現代文庫)って元々は大杉栄の言葉なんですよね?
栗原:大杉の言葉で、「生の拡充」の中にあります。
――だから寂聴さん、アナキストの世界はよく読んでいた?
栗原:もちろん、もちろんです。続編の『階調は偽りなり』(岩波現代文庫)には思想的なこともかなりふれています。これも大杉の言葉なんですけど、すごく分厚い本でこちらは大杉とか辻潤の思想とか、けっこう紹介しているんです。ちょうどいま岩波現代文庫で再発が出て、解説で僕らの対談が入っています。
――ああ~。そうなんですか。どうでしたか、寂聴さんって?まだお元気でしたか。
栗原:ぼくがお会いした時は元気でしたね。2時間めいっぱい喋ってくれて。
――(笑)もう、ガンガン喋るほうですか?
栗原:喋りましたね。
――すごいんだなあ、やっぱり。でも栗原さんもすごいですね。瀬戸内寂聴さんと対談するとは。
栗原:ありがたいことです。寂聴さんも一遍上人の小説を書いているんです。『花に問え』(中公文庫)。
――なにしろ僧侶ですからね。
栗原:(笑)。
――すみません。話を脇にそらしてしまいましたが、そして野枝さん…。
栗原:そう、社会的にすごいバッシングを受けて、大杉の妹も死んでしまった。
ひとつになってもひとつになれないよ
――私も栗原さんにメールしましたが。この結婚制度の出来上がりかたというものが、なるほどと思った部分があるんです。つまり野枝の言葉に「ひとつになってもひとつになれない」というものがある。
栗原:本当は男女関係って友情をベースにしたらそれが当たり前だと思います。それを「ひとつだ」と言い張ってくるのが結婚制度ですね。
――「違う」というのが常にある同じ人でも新しい人として出会っていく。本来そういうものなんだろう。だけど人間というのはそういう愛情というものが怖くなってしまう。相手を異質な存在として扱うというのは、何度会っても相手のことはわからない、初めて会うようなものだ。不安だ、寂しい、耐えられないと。だからそれが怖い人は結婚制度に逃げ込むのだと。すごい。これは栗原さんの書いている部分ですけど、本当にそういうことなんだろうなと思ったんです。とにかく私、付き合ったことがない身で生意気なことを言いますけど、異性はわからないものの究極のひとつだと思うんですね。分かったつもりでいてもどこかでわからない部分がある。だからこそ一緒に生活し、セックスするということであるんでしょうけど、とはいえ、分からない者同士が同居し続けるわけだから、結婚という形で契約を結ぶ。そして個性ともうひとつの個性のルーティンをどこかで妥協しあいつつ子供を産んで、「お父さん」「お母さん」として、男女というよりも役割でいくのであって、今度は子どもに対して社会的にいいところ、と。子どもがただ生きてれば良かったねじゃなくて、なるべく社会的により安心安全なところへと導こうとする。
栗原:そうさせなくちゃいけない。財産という感覚ですよ。で、自分たちの財産はより良く投資という感覚でしょうか。
――僕の家などもそうだったんですけど、勤めは子どものためであり、だから全然男女関係じゃない。僕が知る限り、それこそ“やってたのか”どうかもわからない(笑)。そういう「女」としての母親は全然私にはピンとこない。でも本質はそうなんだというところで大いにあらがったのがこのひと。伊藤野枝さんですね。
栗原:そうです。
――やっぱりそう言われてみると不安になります。僕の存在がもう55年生きて、いろんなものにからめとられているのは百も承知なんですけども。でもその根源に家庭の中では語られない多様な側面があって、その中で庇護というものがある。
栗原:全員がそこから始まってますからね。
――ええ。それをあえて「奴隷根性」ということばを使いますけど、奴隷根性を意識的にも無意識的にも伝えられてしまって、だからこそつらい、苦しい。もてない、悲しい。という話(笑)。単に俺が自由じゃないんじゃないか、って話なんだけど。恋愛が怖いだけなんじゃない?っていう話なんですけど。
栗原:うん。「怖い」という感覚があって当たり前なんだということ。
――栗原さんの考え方なんですよね。
栗原:だからこそ、妙な気づきあって。そこから生活が本当の意味で豊かになったりとか。だから大杉が持ってない感性を野枝が持っていたりしますからね。
――ただ表現としては同じ表現を使ってますよね。「奴隷制度」という言葉とか。
栗原:ああ、そうです。完全に野枝は大杉が書いているものは全部読んでそれを元手に「青鞜」とかで考えて。
――すごく見事な引用だったんだなと思いますね。政治とかになかなか縁遠い人にとっては野枝さんの表現の仕方のほうが通ずるという気がします。日常に非常に近いので。それだけなおいっそう怖いかもしれませんけどね。自分の生活に近いだけに。
栗原:そうですね。そうだし、一番人がイラ立っちゃうところかもしれません。会社などだと媒介があるぶん何か言われてもいいわけだけれども、家庭生活はもっと身近ですから。
――本当ですね。もうダイレクトに身近ですからね。
栗原:だから家庭は奴隷制度です、とか言われたら「この野郎」という人も多かったでしょうし。
――ええ。いま読んだところはまさに本質的な部分だと思いました。やっぱり背景には恋愛した人間は常に一緒にいることで、そのままな状況では不安。だから「契約」をしたいんだなという風に僕は読んだんです。その読みが正しいかどうかはわからないですけど、そういう風に読んで「なるほどなあ」と思ったんですよ。だって結婚は全然正しいことだって僕も思ってましたし、疑いようがないと思ってたところがありましたからね。
栗原:たぶん最初に恋愛するときの感覚って若いころとか、10代のころの時って野枝の言ってるほうの感覚で、何かしゃべるだけでドキドキしながら。でも失恋とか経験していくごとに、そういうことが何か怖くなっていくとか、どちらかというとそういう理由があったほうが付き合いやすかったりしますからね。一緒に家庭生活をしていくために。
――その話ですが、あとで聞かせてもらって大丈夫ですか?ちょっとプライベートなことを聞いてしまうのはなんだかな、と思いますが…。
栗原:あ、大丈夫です。
――でもそのようにご自分の体験を書かれてるところがアナキストたる栗原さんの本領発揮だと思うところで(笑)。で、大杉とは今度はずっと同志的な生活が出てくるわけですね。
伊藤野枝の相互扶助観
栗原:でも伊藤野枝の面白さってそこから20代後半になってくるとアナキズムの話で最初に言ったように相互扶助とか、そういうところとつながっていくところにあるかな、って思うんですね。やはり「ひとつになっても、ひとつになれない」のが男女関係もそうだし、一緒に生活していくというのも、友人にまで開かれていく。その辺が相互扶助とセットで考えてもいいと思って。野枝には「無政府の事実」という文章があって。クロポトキンを自分の故郷とかの生活におとして分かりやすく書いている文章なんですけど、野枝って自分の郷里郷土に関して、人の縛りがあるって批判する人なんですけど、もう一方でいいところもあるっていう話をしていて。その点ではさきほど言ったように、人は無意識的に人を助けてしまうみたいな。村の中にはそれが普通の感覚としてあるんだと。だからお金がなくておばあちゃんが倒れていたら、あとで金で返せとかいうんじゃなく、医者を誰かが呼んでくれる。面倒見てくれるとか。
あるいは嵐があって道の前の木がダーンと倒れちゃって、いまの感覚でいうと行政とかに頼んで直してもらうとかあるけれども、そういうのではなくて、自然に人がバーッと集まってきて、そこで土木関係に詳しい人が指示したりとかして直していく。別にそれでよかしてやったんだから金をよこせとかそんな人は別にいませんと。日常的に人が見返りの関係じゃなく付き合う感覚というのが普通の生活にはあるものですよ、という風に紹介している文章があるんですけど。
案外野枝の感覚ってもともと田舎の感覚がずっとあって、都市で生活してるので、大杉と暮らし始めてからも家庭生活にいろいろアナキストのゴロツキが入ってきたりするんですけど。で、彼らはたいがい大杉と雑誌を作るとか言いながら家で何もしない人たちで、でもそういうヤツが野枝が文章書きたいときはサッと子どもの面倒を見たりする。そのおかげで野枝は子どもをバンバン生みながら文章も書けていた。金が全然なくなって、子どもを産んでもお乳が出ないとかそういう時に、大杉と野枝の家はヤギを飼っていたんです。間違いなく誰かゴロツキがかっぱらってきているんですよ(笑)。だから窃盗がいいかどうかは別にして、何か知らず知らずのうちに人と人とが助け合っているみたいな。そういう生活というものを身近に持っていたし、思想としてそういうのが出てきたのが「無政府の事実」だったんじゃないかなと思ったりしています。
――伊藤野枝は田舎で育って田舎の助け合いというのは肌で知っているわけだから、ある種の土着的な感覚というのは肌で知っている人で、それを使うことにためらいはないし、それもひとつのありようとして使えるということなんでしょうね。この現代社会の都会になっちゃうと全部そこらへんもお金で人にお任せする。私もそうなんです。親の面倒も全部介護保険で見てもらったりしてるので。コーディネート的なことは僕はやりますけど直接介護は一切自信がないからやっていない。でも、いまふと思ったんですけど、最近社会扶助的なというか、コミュニティ・ワークとか、共同生活として一緒に住むシェアハウス的なものもそうなのでしょうが、確かに相互扶助的な助け合いみたいなことが世の中に少しずつ出てきてる感じがありますね。
栗原:そうですね。ありますね。
――そういう意味でもわかるというか。いま野枝の、別に意識しなくても人が集まってくる中でもう平気で頼っちゃうようなこと?ちょっと他人だから、居候だから頼めないわと思わないで、率直に人にものを頼んでしまう。子ども預けるという。それはシステムでやらない。自然にそこに人がいれば平気で頼むみたいな。そういう感じでしょうね。
*「足尾から来た女」―、2014年1月18日から1月25日までNHK総合「土曜ドラマ」枠で毎週土曜日の21:00 - 22:13(JST)に全2回放送されたテレビドラマのこと。明治時代末期に栃木県の足尾銅山で起こった足尾鉱毒事件をテーマに、鉱毒被害に遭う村で生まれ育った娘が故郷を失いながらもたくましく生きていく姿を、史実を基に描いた作品。主演は尾野真千子。(ウィキペディアより)
*神近市子―1888-1981。長崎県生まれ。1909年に上京し、女子英学塾に学ぶ。1912年、青鞜社に参加。1914年、『東京日日新聞』記者になる。翌年、大杉栄のフランス文学研究会に参加し、恋愛関係となる。戦後は社会党の代議士として活躍した。(栗原康『大杉栄伝』巻末人物解説より)
*エマ・ゴールドマンー1869-1940。アメリカのアナキスト。ヨハン・モストの影響を受け、1892年、恋人であったバークマンがカーネギー製鉄所の工場責任者を暗殺しようとして逮捕。エマはバークマンを擁護する演説をして逮捕、一年間投獄される。大逆事件のさいには、日本政府に抗議活動を行った。1919年、革命後のロシアに渡るが、その実情を見て1921年ロシアを脱出。大杉栄や伊藤野枝に大きな影響を与えた。(栗原康『大杉栄伝』巻末人物解説より)