書きながら自分も自由になっていく

 

――で、つまりこれだけ漂白された2000年代にね。栗原さんのように、ある意味乱暴な言葉で表現せねばならないという人が出てきたということで。「うれしいなあ」と思って。

 

栗原:ありがとうございます。

 

――いや、本当にそうです。結局人に預けちゃう(笑)。じゃあお前は何をやってる?という話ですけど。

 

栗原:いやいやいや。

 

――頑張ってインタビューまとめて、返り血はどこかで(苦笑)。

 

栗原:はははは(笑)。ですから、どういう形でやるかは別ですけど。大杉みたいに暴れる、というのもあれば。

 

――それは広くいえばヒロイズム。

 

栗原:もちろん環境とかがあれば暴動とかを味わうとまた人の感覚が変わったりしますから、それは味わえれば味わった方がいいと思うんですけど。でもその手段方法はひとつじゃないということです。逃げてひきこもったっていいわけだし。

 

――まあ暴動できるような社会状況でもないですしね。日本社会はね。

 

栗原:うん。運動側のほうが抑えちゃいますから。

 

――いろんな形でまた、ガス抜きもできちゃうんでね。微妙に。ツイッター、ブログ、ある意味で毒を吐こうと思えば吐けちゃうんで、それも匿名で吐いてるから。何だろう?返り血を浴びないというところがあり、自分の中に自由の感覚を本当に取り戻しているのか?というと、取り戻さずして出来てしまう感がありますねえ。

 

栗原:そうですね。

 

――栗原さんとかは自分を社会にさらして表現するわけだから返り血浴びる覚悟でやるじゃないですか。

 

栗原:そうですね。

 

――それがやっぱりこうやって書いて本に出すと「やったぜ!」みたいな感じはあるんでしょう?

 

栗原:書いたときはそうですね。「投げ込んでやるー!」みたいな。書きながら自分も自由になっていく。表現をすることで。

 

――ですよねえ。で、やろうと思えばブログとかで匿名の人間もやれちゃったりするわけで。匿名ということは自分の身は隠せちゃうわけだから、そこが一番大きな違いかなあ。

 

栗原:いったん匿名になってもいいとは思うんですけどね。自分が持っている立場から自由になろうということでもありますから。

 

――そういう形でも、自分の持ってる自由の感覚を取り戻すことはできますか?

 

栗原:ただ、ネット上でいまやりがちなのはただ他人を叩いて自分のアイデンティティを確かめるみたいな。それをやるとただただ、自分のアイデンティティを固まってきて。むしろ生きづらくなってしまう。

 

――あとはやっぱり栗原さん、本を出すことで実際、いろんなインタビューをされる機会があって、自分の考えを話したりですとか、いろんな場で語ったりとか、講演したりとか。場がたくさん出てくるから。本当に何といいますか。受け売りですけど、ハンナ・アーレントが言ってる「action」の世界で。

 

栗原:はい。「活動」を。

 

――本当に命の活性化を。

 

栗原:言葉から入って。

 

――自分の得意のところで闘っていることで自由をつかむ。

 

栗原:そうですね。主張をすると、何か抱えている人たちがやっぱり来ますから。

 

 

 

新たにデモを始めた世代

 

――いろんなレスポンスがあることで広がっていくと。書かれている通りなんだなあと思います。ところで先ほどの大杉が生きた時代って本当に直接的だったり。弾圧する側も直接的だし、闘う側も…。

 

栗原:直接で。

 

――直接行動なので。いままでの自分の肉体が。まああの、60年代闘争あとの70年安保頃までですけど、身体ごとぶんなぐったり、ぶんなぐられたり。だから妙に団塊世代くらいの人たちって自信ありげだ、という(笑)。

 

栗原:そうですね。

 

――僕らそういうのを見て、「怖い」と思った世代なので。「わあ~、やられるんだなあ」って思って。大学生のお兄さん世代。頑張ったけど国家権力に思い切り叩かれちゃうんだ、怖い怖いと思った世代なので。80年代にはもう何も。貧困という言葉も一切なくなりましたし。

 

栗原:バブルの頃ですか?

 

――はい。バブル直撃です。人よりそうとう遅れて88年に大学卒業ですから。

 

栗原:うん。本当に貧困という言葉が何かパッと消える時代ですね。

 

――ええ。「一億総中流」という言葉が文字通りにという感じの時代ですね。

 

栗原:うん。僕が大学入る頃くらいからけっこう貧困という言葉が言われ始めた頃なんです。

 

――その頃に小泉政権の新自由主義で経済学者の竹中平蔵がブレーンとして、大きく駆動し始めた時代ですもんね。

 

栗原:ちょうど周りの若い子たちが労働組合の運動を。フリーターとかでやるとか、始まった時期でもあって。

 

――安保法制の反対のデモもかなりの数が集まったみたいですけど。どうですかね?大杉のいう「生の拡充」みたいなことはあり得ましたかね?僕はああいう形でね。絶叫するのはやはり苦手で。絶叫すると言っても、唱和するのが特に僕はいやなんですけどね。

 

栗原:そうそう、そうなんです。「生の拡充」っぽいところはみじんもないとおもいます。特に原発とか安保法制のデモで言われたのがシングルイシューでないとダメだと。関係ないことを言ったりすると主催者が怒ったりするんですよ。「やめてください」とか。別に反安保法制のデモでも「税金いらねえ~!」という人がいたっていいわけじゃないですか?何かそういうものを認める余地がない。

 

――管理されたデモという感じですか?

 

栗原:そうです。

 

――それは体験的に海の向こうではありえない?

 

栗原:そうですね。そういう管理されたデモはないですよね。

 

 

 

踊る文体

 

 

――なるほど。その後栗原さん、なぜ急に一遍上人のほうへ向われたのかなあ?と思ったんですが。いまの秩序的な管理された身体から考えていくということでは、もしかしたらアナキスト的見地から?

 

栗原:はい。そうですね。踊り念仏とかがまさにそんな感じですよね。

 

――「思わず踊っちゃった」みたいな。気持ちよくなって、恍惚として。

 

栗原:完全に我を失っていく。

 

――(笑)こんなこと言ったら怒られるかもしれませんけど。あの、『村に火をつけ、白痴になれ』からこの一遍上人伝くらいにかけてはもう、栗原さん自身が文章とともに踊ってますね(笑)。

 

栗原:そうですね。特にこの『一遍上人伝』がいちばんですね。

 

――踊ってますよねえ。これは時宗の人、怒りませんかね。大丈夫ですか?

 

栗原:いまのところ怒られてないです。

 

――地元の大型書店に行ったときに大分類で仏教、中分類で浄土宗。で、小分類で時宗のところにこの本が置いてあったんです。「おお。ちゃんと宗教のところに置いてらぁ」と思って。これ、スクエアな仏教徒の人が読んだらどう思うでしょう(笑)。

 

栗原:じつは一遍はそういう論じ方をけっこうされてきたかたなんですよ。

 

――そうなんですか。

 

栗原:いわゆるアナキストが論じるんでなくても、60年代後半に一回ちょっとブームになって、栗田勇さんというフランス思想の研究者のかたが評伝を書いて、それこそ一遍の恋愛の要素とかをガッと入れた評伝とかを書いていたりして、僕よりもうちょっと性的な問題とかをガッチリ扱ったりしています。一遍の恋愛であったり。だからある程度自由にやらせてくれていますね。

 

――栗原さんは踊りの部分にポイントを置いて書いてますね。

 

栗原:そうですね。何か大杉栄伝でいう米騒動的な民衆の動きとかを考えつつ。

 

――野枝伝の話も含めてですけど、小説家になれる人なんじゃないかと思うんですよ、栗原さんは。

 

栗原:よくそう言われます。

 

――例えばおそらく町田康さんとは文体違うと思うんですけど、パンキッシュだし、ロックンロールなノリがあるし、そういう意味ではパンクな文体になってるし、これはいっそ研究者よりも小説家になっていただいて(笑)。あの、気づいてました?こういうラインの文体に行っちゃうというのは?自分の中で。

 

栗原:伊藤野枝伝あたりからはそうかもしれないです。何かその辺が良いといってくれる編集者が集まっているものですから。

 

――確かに一遍上人伝は、野枝さんの時よりも相当はじけてますよね。

 

栗原:一遍上人は特に歌と踊りの人なので、ちょっと意識したかもしれないです。あと踊り念仏はグルグルおなじことをやったりするんで、ちょっと文章も同じようなフレーズを繰り返すとか。

 

ーー何か印象としては、一遍さんって親鸞とか、日蓮とか、法然とか。あと誰がいたかな?鎌倉時代。えっと~。あれですね、禅宗の人。

 

栗原:道元。

 

――道元がいて。その中では何か一遍さんって、まさに放浪の人みたいな、逸脱している仏教者みたいな印象があるといいますか、何というんでしょう?教本も書いてないですよね?おそらく。

 

栗原:ん?

 

――御教本を書いてないですよね。

 

栗原:あ。本は書いてないですね。

 

――せいぜいお手紙とか?

 

栗原:それも全部燃やしちゃってますね。そういう自分の書いてきたものとか、読んできたものを残しておくと、自分を教祖に祭り上げて集団や教団が立ち上がっちゃうので。

 

――アンチ教団なんですね。

 

栗原:だから死ぬまでに全部燃やして。

 

――え?燃やしたんですか。ああ~。書いてあったかもしれませんね。

 

栗原:そうですね。最後のほうに。「一代聖教みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」。そんなことを言いながらそこまで徹底して。それでもまあ、弟子が教団を立ち上げちゃうんですけど。

 

 

 

一遍聖絵

 

栗原:だから一遍で残ってる一次文献は、死んだあとに弟が一遍がまわったところを全部まわって。

 

――年の離れた弟さんですね。

 

栗原:はい。で、絵師を連れて行って『一遍聖絵』というのを書きました。それが岩波文庫とかに入っています。それとあと、死ぬ間際にまわりの、まあ彼は教団ではないので、弟子とは言わず、友だちみたいというんですかね。一遍が喋っていることをみな書き取っているんですよね。

 

――ああ~。お釈迦さんみたいですね。

 

栗原:それが残っていて。それが『一遍上人語録』と言って。だから文献としてはその二冊です。一次文献としては。

 

――そうすると評伝を書くのはなかなか難しい?

 

栗原:でも「聖絵」は本当に旅物語なので、実は書きやすかったんです。

 

――ああ~。そうなのですか。これは絵はたくさん?

 

栗原:絵はたくさんあります。

 

――じゃあこの「一遍上人伝」を読み返すときに『一遍聖絵』が参考になりますね。

 

栗原:すごくいいと思います。

 

 

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栗田勇―1929- 駒沢女子大教授。文学,絵画,建築など,さまざまな分野で活躍。昭和53年「一遍上人旅の思索者」で芸術選奨。。著作に評論集「文学の構想象徴の復権」,小説「愛奴」,詩集「サボテン」,訳書「ロートレアモン全集」など多数。東京出身。東大卒。(デジタル版日本人名大辞典より)