民主主義の現在について(田口晃さんを囲んで)
インタビュー・シリーズの第五回目は元北海学園大学で政治学を教えていた田口晃さんに民主主義について話を伺いました。NPO研究と実践にも関わる田口さんに、氏をファシリテーターとして英語講読会を行っているNPO法人Continueの会場にて今回は同法人理事長の渡部さんとスタッフさんを交え、民主主義についてのフリー・トーク・デスカッション形式インタビューを行いました。事前に七回ほど古代ギリシアの民主主義から近・現代の政治学までの概論のレクチャーを受けた後での話しあいです。アップ・ツー・デートな話しあいともなりました。ぜひご覧になってください。
註:名称に関しては、渡部理事長さん=渡部(理)、渡部スタッフさん=渡部(ス)と表記させていただいています。
民主主義と社会
杉本 今まで全部で7回くらいですが、田口さんに古代の直接民主制から近代国家形成の話などに至るまでのレクチャーを受けました。民主主義に関していえばまず古代ギリシアの民主主義。これはだいたい共同体的な民主主義の方法論だったと思うんですけど、そこから始まって、近代西洋の国民国家形成の話。近代の国民国家で言えば、自由主義社会の民主主義。あるいは社会主義体制の民主主義。あとは社会民主主義。ま、あと、歪んだ形だと思いますけど、ファシズムも一応民主主義の形態のひとつなのでしょう。ですから、話を聞くうちに、だんだん民主主義という言葉の広さに戸惑いもしたんですけど。あと、現代の成熟社会の民主主義ということもありますね。
最初、このインタビューを考えた際の問題意識は、小熊英二さんの『社会を変えるには』といった本を読んで考えた「民主主義の現在」とは?というところからはじまったんですけど。いろいろ話を聞いて思ったのは、その時代とか、その文化とか、社会とかのですね。その中での個人と、集団生活のあり方の対応のしかたとしての方法論。その試行錯誤の過程を論じてくださったプロセスだったような気がしたんですよ。その方法論のひとつが民主主義だったという話へだんだんなってきたのかな、という気がしました。その中で徐々に時代が現代に寄ってくるにつれ、やはり個人の自由を極力大事にする方へ、その上でみんなの意見をすり合わせて最終的な集約をする方向がいいんじゃないか、という。それが「自由民主主義」。そのところにいまあるんじゃないか。
民主主義のルールは守られているか?
杉本 そして僕の最初の問題意識もそうですけど、いま民主主義に関する不信感というものが少しずつ芽生えている。それはやはりだんだん成熟社会化して、「個人化」*1が進んでいるということと関係しているかもしれない。そしてもっと具体的にいうと、そもそも民主主義のルールが、ちゃんと守られてないんじゃないか、ということ。これが私の一番最初の問題意識でもありましたけれど。まず個人化の問題以上に、例えば政治の世界では第二次世界大戦後。戦前の日本は、田口さんが仰られたように、「厳密に言うと民主主義ではありませんでした」という話がありました。それゆえに、戦後に「戦後民主主義」という言葉として定着してくると思うんですけど。それがいまの政権政党では戦後民主主義を否定するような憲法観とか。先に憲法審査会で安保法制について憲法学者たちが明確に憲法違反であるという判断もありました。そうすると政治の主体を担っている人たちは戦後の民主主義を守る気がないのではないか。この点が僕にとってみれば、いまの不信です。民主主義のルール逸脱という部分が後者にはあるんじゃないか。
成熟社会で民主主義を再構築するとはどういうことか?という面と、そもそもその前に、民主主義のルールが守られていないじゃないかというこの二点が考えさせられるあたりなんです。これが僕自身の個人的なまとめなんですけれども。
田口 あの、ルールが守られてないという話はね。多数決なんだから多数が決めるルールに従ってるじゃないかという風にいわれちゃうと、なかなか反論しづらいですよね。
杉本 しかしそれは、例えばですね。国政選挙のときに安保問題などを争点にして選挙をやったのか?という。これは事後的に出てきた問題で。それはもちろん国会で論じ合わなくちゃいけない。当然のことなんですけれども、しかし有利な勢力分布のために、やっぱり争点を別のところ、経済という所に設定して。
田口 はい。それはだから多数を取りたいからでしょう?
杉本 そうですよね。で、でも本質的には実は目的は別の所にあった可能性があるかもしれないと。
田口 だから見破れなかった主権者が無知だったという話です。
杉本 (笑)。でも、それは・・・、どうなんでしょう?どうなのかなあ?民主主義の原則からいくとそういうのは・・・。
田口 (笑)。あの~、ねえ?いちばん身も蓋もない言い方をするとね。私が昔教わった保守派の先生がいるんですけど、「割れ鍋に閉じ蓋」ということ。
杉本 ははは(笑)。
田口 国民に見合った意識だって(笑)。
杉本 前、言われてましたよねえ(笑)。うん。
田口 いやまあ、権力を行使する人たちはいろいろ学んでくるわけですから。「争点ずらし」とか。それからこのようなことを打ち出せばみんなの支持が集まってくるとか。そういうことを次々と学びながら、いろいろな技術を使いながら、新しい言葉を使いながら。働きかけてくるわけですから。国民のほうもそれに遅れないように賢くなっていかないとね(笑)。なかなか大変だということなんですね。それはいまはどこの国もそういう問題を抱えているわけです。
杉本 なるほど。ギリシャの古代民主主義の話で、民会で例えば誰かを弾劾するとか、あるいはそれに対して弁明するとかそういう局面で。「説明」ですか?みんなの前で、公衆の前で自分の思いを語る。その中にはただ本当のことを言うだけじゃなくて、聴衆をひきつけるためにいろいろな方法を使う。ただただ、自分が正しいと思ったことを言っても伝わらない。いろいろに話を広げていったり。
田口 はい。弁論を教える学校がありましたからね。
杉本 レトリックですか?場合によっては「脅し」や「すかし」も使うという話がありましたけれど、そういう方法を現代においても基本的には変わらずに使っていると考えて良いのでしょうか?
田口 はい。
杉本 そういう意味では民主主義の方法論は、その当時と同じものが中心に流れていると。
民主主義と選挙制度
田口 あの、民主主義というのかなあ。民主主義が理想の「政治の運営」の仕方か?という問いかけの仕方もあるんですよね。
杉本 はい。
田口 うん。だから理想ではないけど、あんまり悪くはないと(笑)。そういう考え方をする人もいて、まあ時にはそういう視点も必要かと思いますよ。もう少し言うと、まあいろんな民主主義があったわけでしょう。で、最初のほうで言ったように、近代の民主主義というのは「自分のことは自分で決めたい」と。そういう場所や力をどうやって個人が身につけていくかという話になってくると、一番いいという形はまだ見つかっていないんだね。
それでまあ、私が教わった先生なんかだと、民主主義と言うのはもともと「理想」。まあ「思想」ですね。それからそれで組み立てていく「運動」。それからその結果として出てくる「制度」。この三つの違う次元がありますから。思想や理想のほうはちょっとやそっとでは届かないから、「常に民主主義、もっと民主主義」という話になってきていると。
フランスのロザン・ヴァロン*2という政治学者だと民主主義というのは理想実現の「約束」だから、「実現した限りでは絶えず問題をはらむ」と。
それでいまの日本については、何だろうね?権力者が人を動かすための技術が発達して、それを上手に使われているという、そういう話なんですけれども。制度の方でいうとね。小選挙区制ですよね?いまは。
杉本 はい。
田口 それがいいのかどうか?という話なんですね。90年代に政治改革というのがあって、大騒ぎになった。で、実際にやったのは「選挙制度の改革」と小選挙区比例代表制。それから「政治資金規制法」。それと「政党助成金」。この三つですよね。で、その時、いまちょっと力なくなっちゃったけど、小沢一郎たちが考えたのは小選挙区制にすれば政権交代がやりやすくなると。そういう話です。それから政治資金規制と政党助成をセットにすれば自民党の派閥もなくなっちゃうと。お金は全部政党の幹事長が握れるから、小選挙区制だと「一党からひとりの候補者」だと。そして誰が候補かは党が決められると。お金を握ってるからね。そこは揃ったわけです。
ところが政権交代しやすくなったかどうかといった時にちょっとわからない。でもまあ、中選挙区制のときよりはガラッと変わることはできるから政権交代が起きやすくなるということは言えるかもしれませんが。1990何年だったかな?小選挙区の改革のときに、「参考人意見」を全国で聞いてね。北海道にも来たんですよ。で、私、当時野党議員に頼まれて。じゃあ参考人で行きますと。で、選挙制度は当時の西ドイツのものが一番いい、という話をしたんですね。これ、選挙制度の話はしましたよね?
杉本 はい。
田口 併用制かな。小選挙区で一回目は選ぶけれども、最終的には比例代表制だと。それにもとづいた議席配分。で、その時に考えたのはどういうことかというと、要するに「個人化」が進んで多様化してくれば二つの政党で国民が満足するなんてありえない。もっと5つとか、6つとかの政党が出てきて、そういう風にした方が有権者の満足度が高くなるんじゃないかという話なんです。そこの見立ては私はいまでも有効だと思ってますけどね。そこで、そうするとまた選挙制度を変えるという話で、これはまた大変だと。署名活動したところで、そもそも「ドイツ型」がいいというのもまだ少数派だろうし(笑)。
杉本 ほお。そうなんですか。
田口 うん。まだ当面はいまの選挙制度で行くしかないかな、という話なんだね。
杉本 はい。
*1 個人化 個人化とは、社会学的には、社会のあらゆる面での「液状化」[バウマン 2001]が始まっている段階とされる。職業やライフスタイルや人間関係や消費などのあらゆることが、社会の規範や規制といった枠組みによらず、個人の選択の対象になってきたことを意味する。それ自体は、19世紀に始まる「モダニティ=近代」の特徴の延長線上にある。しかし、現代の「個人化」は、19世紀から20世紀半ばすぎまでの「個人化」とでは(延長線上にあることは間違いないが)その様相が異なっている。ドイツの社会学者のウルリッヒ・ベックは現代の社会の流動化と個人化の特徴を「リスク化」という語で説明している。「リスク化」とは、いままで安全で安心と思われていた生活がリスクをともなったものとなることを意味する。それは、生活の多くの局面が自己選択の対象となったことにともない、選択に失敗する機会も増えたことを意味する。そのような生活のリスク化は、近代になって「自分の生活を自分で選択する」という理念が成立したことにともなって、その選択によるリスクが生じてきたととらえる。(小田亮 2013)
*2 ロザン・ヴァロン(ピエール・ロザン・ヴァロン 1948~)
現代フランスの歴史哲学、政治哲学者。主としてフランス革命後の近代民主主義を主題とした政治哲学の領域で活躍する。社会福祉についても積極的に発言し、1982年に共同で「サン=シモン財団」を設立。。なおサン=シモン財団からは、『21世紀の資本論』で脚光を浴びている経済学者トマ・ピケティなども輩出した。