政治の活動主体の分散
田口 そうするとね。あの、もうひとつ違う角度から考えられないかな?というのは前回の最後の所で言ったんですけれども、政治的なものが「分散」してる、っていうかな。どういう言葉を使いましたっけ?政治の「拡散」か。拡散という言葉を使ってますけど。それは実はかなり進んでいて。
杉本 そうですね。
田口 するとね。こういうとらえかたをしてるんですよね。あの~、21世紀の世界各国のそれぞれの国と経済と社会の運営の仕方というのは、運営する主体で見ると円で書きましたよね?政治社会と、経済社会と、市民社会。それから、それぞれ国際社会、一国内、地方とに分けて。こういう多様な活動主体が実際にもう世の中を運営してるんだけど、これを念頭におけば我々がやっているのは市民社会なんですよ。NPOはね。で、実際これは世界中にすごく増えている。いままで行政でやってきたような仕事をこっちでやるということができるわけですから。そういう風に広げていったら何でも中央政府が決めるという形ではなくなって、さっき言った「自己決定」の場所、機会が増えてくるだろうと。そして事実、増えてきているんだろうと思うんです。そちらの方に着目していくことも大事かな、と。狭い意味の政治的民主主義を考えているということ。まあ、NPOの研究をずっとやってきたのはわたくし的にはそういう狙いなんです。
杉本 政治の担い手としてNPOがあると考えても良いのでしょうか?
田口 その場合、政治が拡散しちゃっている。
杉本 ああ、拡散した中で?
田口 うん。そうそう。
杉本 役割として?
田口 はい。
「個人化」の時代
杉本 いま起きている現象というのは拡散していることに対する不安感みたいなものがあるのでしょうか?
田口 うんうん。あると思いますね。「どうしたらいいかわからない」ということね。
杉本 ええ。実は、正直良く分からないんですよ。あの~、そんなに活動してるわけじゃないですけど、学び方としてはかなりこちら側、つまりNPO側のほうに自分自身寄っている気がしているので。実は普通の人たちの普通の感覚が逆に僕のほうがわからなくなってきているのかなあ?と言えるかもしれない(笑)。例えば先ほどのドイツの比例代表制にした方がいいという話もそうなんですけど、「当たり前じゃない?」と私なんかは思うんですけど。でも、実体上は普通の人は全然そうは思っていない可能性がある(笑)。そういうことなのかな、と思いましたね。何かその拡散状況ということは、不安なものになると思っている人が。
田口 個人化という現象だってそれが「いい」と思う人と、「困った」と思う人と両方いるわけですよ。それはまあ、ひとりの人間の中でも個人化の「ここはいい」と思うけど、「ここは困るな」というものがあるでしょうしね。
杉本 はい。それはそうですね。
田口 だけどこれは言ってみれば、否応なしに進んでいくトレンド(動向)であって。
杉本 個人化ということを、個人主義ということばに言い換えるとすると、やっぱり個人主義というものを自分の中で認めるという風に考えると、他人の個人主義も必然的に認めなくちゃならないことになると思うんですよね。そうするとやっぱり「良い」とは思えないような行動とか、良いとは思えないような考えかたとかというものも、キツいけれども認めていかねばならないようなことなのかな、という風にも思うんですけど。
田口 うん。そのように社会の中で暮らしている以上、いまある基準の中でその周りの人、ほかの人の権利を侵害するようなことは否定するけれども。
杉本 そうですよね。
田口 うん。そうじゃない限りは俺の趣味とは違うという、趣味まで強要することはできないですね。それからね。「個人化」と「個人主義化」は違うんですよ。個人化は否応なしだから。俺はいやだ、という人も個人化されちゃうわけです。
杉本 ああ、みんなが。
田口 うん。バラバラになっていくわけだからね。
杉本 全体の中で起きる現象。
田口 うん。個人主義化というのは、「俺は個人主義で行く」ということだから。自分はそちらを選んでそちらがいい、ということだから。そこがちょっと違うね。
個人化の世界と政治はどうつながっていくか?
杉本 Continueのお二人はどうですか?何かありませんか。前回の続きで、もう構わないので。僕はいま、どっちかといえばオーソドックスな話をしたところですけど。なかなかちょっとこういう話で一般的に難しいのは、わりとこういうことっていうのは、知ってる/知らないあたりの中で。
実は少し前にいま作っている本の共著の先生と話をしたんですけど、いま、政治の話とか、社会組織の話とかになると学生さんたちは外国語をしゃべっているような会話に聞こえるようで、ちんぷんかんぷんだ、という話であるらしくて。
田口 高校までの教育が非常に大事だって話だね。
杉本 そういうことですね。
田口 18歳選挙権になったらね。
杉本 そういうこともあるのかな。何かそうらしいんですよね。あの~、政治の話とかされても、外国語を喋っているように聞こえるという風に言われてしまうらしくて。でも、あるはずですよね。個々にはおそらく。「糸口」が。
田口 うん。あるはず。
杉本 あるはずなんだけど、言語が外国語のように(笑)存在しているようなので。そうすると自分との間の共通言語になっていないから、どんどんどんどん、縁遠くなってしまって。
なんだか「分かっている人だけ勝手にしてればいいじゃないの」という風になって、「そういう話は分かっている人だけで勝手にどうぞ」みたいな(笑)。そういうことが無意識のうちに起きてくることがあるので、僕はそこはちょっと意識しておかなければいけない部分だと思うので。ぜひおふたりの。何だろうな?自分の感覚から出てくる表現が大事だと思うんですよね。その部分は僕も気づかないところもけっこうあると思うので。だからその辺りから聴いてみたいな、というのがあるんですけど。
田口 あの、いま出てきたけどね。高校の社会科の教科書にはね。例えば「日本経団連」なんか出てこないですよ。いちばん強力な(笑)。政治力を持っている団体が出てこない。だから世の中がどう動いているか全然分かんない。
杉本 うん。いや、それを言われてみると、私も十代のときは全くね。そういう具体的なことは(笑)。
渡部(理) 選挙権を持っても、選挙権持つ前に知識というか、そういうのを全くわかってないまま、投票に行くという状態は私もそうだし、自分の親たちにしても、余程そういうふうに関わっている人じゃないと、無いのかな?という感じで。だから、私が聴いていて、社会主義がどうの、共産主義がどうのというのも、漠然として、テレビとか新聞とかちまたの話の中で、簡単な言葉でマイナスの表現をされて、そこだけが耳に入ってるだけで。でも今回こう聞いてみると、そういうものではないっていう(笑)。ちゃんと中身が分かってから考えるべきことだったんだなあというのはつくづく今回感じているところで。
だから興味を持つようになってはきてるし。そういう言葉が出てきても、考える余地が生まれたというか、近づけるというか。だから政治っていうとマイナスなイメージの一般的な言葉しか入って来ていなかったというのはつくづく感じてますね。で、「個人化」という風にされてしまうとますますどうなるんだろうか?って。
田口 そうですね。それが政治の世界とどうつながっていくか、ということですね。
渡部(理) ええ。で、政権交代もあったほうがいいかどうかといった問題にしても、ずっと一党で自民党がやっていればいいんだ、という風な空気が(笑)。私の思っていたところではそういう感じだったので。それが自由であり、民主的であり、いい方向に行く、みたいな言い方だけを鵜呑みにしていたから。でもこう聴いていくと、ああ、そうじゃないんだな(笑)。自民党というのもそう思ってたものとまたちょっと違ったんだなというのも分かったし、これから考えていかなきゃならないかなあという。
田口 うん。まあ、そうですね。
渡部(理) ええ。気がしています。
田口 まあ、冷戦時代は中学、高校で政治を教えるというのは非常に難しかったんですね。日教組と文部省の対立は非常に激しくて。だから前の教育基本法には政治教育をやる、とちゃんと書いてあったんだけど、結局全然できなかったんだよね。これからじゃないですかね。
杉本 あと、そうですね。出来上がったもののように、というか。制度政策、それが作られる政治。それとか政治体制とかというものと、もうひとつはその、何だろう?人間の集団を作る仕組みとか、もっといえば哲学的な、というか。人間とは、自分とは何だ?自分が属している社会とは何だ?という「人との関係」における考えかた。思想の問題というのがもう片方にあると思うんですよ。だからなかなか、できあがった制度とか、出来上がった仕組みの中で統治の問題とかだけで言っても。
田口 はいはい。それをどう使うかという問題だけじゃなくてね。
杉本 ええ。そう、そうなんです。
田口 自分の考え方とどうつながるかということの中でね。
杉本 そうそう。そちらから考える方がいまは結構大事かな、と。もし仮に政治というものに関心を持たなきゃいけないような時代状況だとするならば、ですけど。仮にそうだとするなら、やはりそちらをどうやって引き出したらいいんだろうかな?という気がするんですよね。
田口 うん。他の人がいま一番悩んでいることは何だろう?やっぱり働くことかね?
改めて、「自己決定」から考える
杉本 そうですね。だから個人的に考えると、日常生活における社会の構成の話も思っていて。一人ひとりの生きることに対する幻想を持っているのかもしれない、ということを考えると、まず「ひきこもり」ということを私は一応(笑)。そちらの方を一応リアリティを持つ問題と考えるとすると、そういった所を問題視して話し合っている場では「ひきこもり」という観念の中にみんな縛られていて、それ以外の全然別の価値観とか、考え方がもっと入ってくる余地がないので、ちょっと目詰まりしているような。ひとつの問題を巡り、経済だ、逆に人間関係だ、出る/出ないという話の中でぐるぐる堂々巡りしてしまっている。ちょっと待て、と。ひきこもりというけど、そのひきこもりということは、そのひきこもる個々の人がいて、何を考えているのか、それはどういう気持ちなのかということを実はその主体者がいない中で起きている話し合いも多いかもしれないので。
田口 そうだね。民主主義論も一歩間違えるとそっちになるかな?
杉本 それが(笑)。ちょっと似てるのかな?という。
田口 だから「自分のことは自分で決められる」というところから出発点にして、で、それがどうして出来ないんだろう?と。どうしたら出来るんだろう?という話から考えていったらいいかな。
杉本 そうですよね。そこのところでいうと、結局働くということを大事に考え過ぎてしまっているのかな?という。いまの若い人はそうなっているのかな?という話にもつながっているのかもしれないですね。『まずはとにかく(働かねば)』みたいな。
働けない人が増えていく時代に
田口 うん。そもそも「働くとは何か?」ということが非常に分かりにくくなってきてるね。
杉本 うん。
田口 スタッフの渡部くんなんかもベーシックインカム*論はどう思うの?
渡部(ス) ベーシックインカムですか。正直、僕の知ってる範囲で聞いたり考えたりしてると根本的にすぐ「無理だ」という話が先に来ちゃってあまり現実的に考えれていないです。僕としては仕事というものをどうとらえるかを考え直さないと多分無理だろうという気がしています。いまのままベーシックインカムをやった時に賛同するよりは反対する人のほうが多いかもしれないと思っていて。
田口 だからそれはあの。仕事がもう。働く場所がね。もう一定程度必ず「無い」と。そういう社会になっていくというそういう前提。
杉本 仕事の場所がないと。そういう前提になっているんですね。
田口 うん。中期的にはそういう状態が続くだろうなあ。
杉本 働いてない人がぐっと増える?
田口 一定程度の割合でね。まあ、処方せんとしてよく言われるのは、デンマーク的な「ワークシェアリング」。オランダもそうですけどね。ワークシェアリングをして、みんなが働く時間を減らせば、働く場を作れるはずだという理屈はそうだし、かなりそれはやってる所はある。
杉本 やっぱりなかなか難しいんですかねえ?私の印象では仕事ができる人びとはとにかく忙しく、ポテンシャルはあるけれど仕事を持ってない人はきっかけをつかめないまま無職の状態が続いているという印象が強くって(笑)。「仕事をわける」というのはすごく難しい時代なのかなあという風に。
田口 つまり個別企業の中で考えていると難しいですよね。だから日本の場合労働政策もそうだけど全体をならしてどう考えるか?という発想が伝統的に弱いわけですよ。だからむしろ昔だと大企業の中の配置転換でワークシェアリングをやっていたわけだね。まあ、いろいろ労働組合の話もあるしね。
杉本 大学の先生もね。何しろ忙しそうにしてらっしゃるんで。
田口 はい。忙しくなってきてますよ。本当に。
杉本 あとやっぱりできる人にやってもらうことが非常に効率的なんだ、という意識が社会にすごくあるのかなあ?と思ったりしますね。例えばポテンシャルあるよ、と。資格も持ってる、大学もそれなりの大学出てるけれども何年も働いてないという人と、いま現在働けている人がいたら、仕事を注文する側の人はどちらの人に頼みたいか?といった時、潜在能力のある人に頼むのか?というあたりは、すごく効率性で考えると、結局いまできる側の人に。
田口 短期で考えたらね。
杉本 ええ。ということで、できる人にやってくださいということがあって。やれたり、やる意欲が強かったりするから、そういう人はどんどんどんどんますます忙しくなっていくという。そうすると浪人のひとがますます入っていく門がね。就労の道が閉ざされたままというか。
渡部(ス) その、仕事という言葉が営利企業に勤めて賃金労働する事と直結するものなのかというのが最近疑問で。
田口 いま一部の人が言っているのは「職人」ね。職人を再発見して若者に職人になろう、と言ってますけどね。
渡部(ス) その職人も何のために何を作る人なのか。営利企業の短期利益のために物を作って売るというので、職人という立ち位置が成り立つのかどうかもよくわからなくて。
田口 あの、いろいろすき間はいっぱいあるから、職人でそれなりに自分の生活を立てていくことは可能みたいだけどね。それももうちょっと私も調べなくてはならないね。
*ベーシック・インカム ベーシックインカム(basic income)とは最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想