立正大学 金子充教授インタビュー

 

親のサポートをしなければならないと考える学生たち

 

杉本:まずはあえて最近のトレンドの話からさせていただきますけれど、いまは人手不足で若い人たちの就職も良くなってきているという話を聞きます。例えばトヨタなどもまた業績が上向いてきたという話ですね。ここのキャンパスは福祉学部なので、大学を卒業して第二次産業系の職種に就く人はいないと思うんですけど、おそらく福祉関係とか、第三次産業の方の対人援助職に・・・。

 

金子サービス業みたいなところという意味ですね。

 

杉本:ええ。そういう職場が多いと思うんですけど、やっぱりそちらの業界もいま、良くなってきているのですか?

 

金子はい。就職状況は10年前くらいに比べてだいぶ良いですね。

 

杉本:そこでちょっと気になるのは、そこで皆さん正社員のような形で採用されているのかどうかという所なんですけど。

 

金子:そうですね。それはわりと新卒段階では正社員として就いていると思うんです。ですがその後の追跡調査はしていないので、どう転職していってるかは分からないですね。

 

杉本:そうですか。実はそういうところが大事かなと思うんですけどね。

 

金子:ええ、そのとおりです。

 

杉本:例えば、よく言われる3年くらい勤めて辞めるとか。その後どうなったかというのはよく分からないという話も聞きますけど。そういうことは社会的にやった方がいいんじゃないか?という気がするんですけど。

 

金子:そう思います。大学としてはやるべきだと思います。

 

杉本:そういう話題にはなってますか?

 

金子:なりますが、追いきれないというか、連絡手段とコストの問題があって、最終的には残念ながら大学というところは卒業後のことには消極的なので、やっていないのが現状ですかね。

 

杉本:調査用紙を送ったりアンケート用紙を送ったりみたいなことは確かにやりにくいことかもしれませんね。上手くいってる人だったらちゃんと返送されるかもしれませんが、辞めちゃった人や求職中の人たちはおそらく送っても戻ってこないですよね。

 

金子:はい。あとは、自分が出た大学にどれだけアイデンティティを持てているかにもよりますね。

 

杉本:うちの両親がそうですけど、今は昔のように定年退職まで勤められるのか?という。40年近く勤めて60歳で定年退職できるのかという辺り。きっと今の学生さんは想定がつかないんじゃないでしょうか。

 

金子:あまりそういう長期の見通しで自分のキャリア形成みたいなことを考えている感じはしないですけどね。

 

杉本:「とりあえず就職しなくちゃいけない」みたいな?

 

金子:とりあえず安定収入を得なきゃということが重要で、すごく視野が狭くなってますよね。

 

杉本:考えたらそういう展望が持てないという感じもありますものね。かつてのような大きな会社があって、そこに入ってしまえばもうコースが決まっていて、我慢していれば定年退職までいられるという展望が。

 

金子:うん、無いですかね。

 

杉本:特にぼくらバブル世代、というかぼくはバブルよりもう少し上なんですけれども。50代半ば以降の人たちが普通に想像していた自分の親も含めて定年まで勤められるということが今は20代から難しいかもしれないですね。

 

金子:そうですね。だから就職活動も本当に月給が一万円でも高ければ、他の条件が悪くてもそっちに飛びつくような傾向があります。総合的に見てAの方が安定している良い会社だと思われても、初任給が若干高いBというところがあればそっちを選ぶというのはよく見聞しますね。特に最近福祉職は株式会社が多くて、たいてい介護職を必要としているわけですが。そういうところは初任給を上げて、すぐに管理職になれるとか本社勤務になれるとか言って人を集めているので、条件が一見良く見えるんですよ。社会福祉法人はそういった企業に負けちゃうんですよね。

 

杉本:それは社会保障制度の面も含めて良いということなんですか?

 

金子:う~ん、株式会社の福祉職の良さは、どこにあるんでしょうね?

 

杉本:給料がいいっていうのは、分かりやすい話なんですけど。

 

金子:そうですね。でも中身をよく見ると超過勤務の手当とか、出勤日数とか、本当に休みが取れるかということをきちんと見ていくと、株式会社の方が条件が悪かったりします。古くさい社会福祉法人の方が昔の基準でやっていたりしているので、それよりも良かったりするんですよね。

 

杉本:そうですよね。仮に僕もそういう立場だとしたら、やっぱり社会福祉法人の方がいいんじゃないかと考えると思うんですけどね。

 

金子:ええ。

 

杉本:最近若い人の両親、親もなかなか生活が厳しくてという話もよく聞くんですけど。そういう事情が反映しているってことは?

 

金子:おおいにあると思います。すぐに稼いで自立しなきゃいけないという学生は多いです。奨学金という名の借金で大学に来ているので

 

杉本:ああ奨学金……。

 

金子:奨学金も返すし、親も支えなくちゃならないっていう話はよくありますね。

 

杉本:親を支えるんですか!?

 

金子:ええ。

 

杉本:はぁ~。奨学金を返しつつ?

 

金子:そうですね。

 

杉本:けなげな・・・。そんな(苦笑)。

 

金子:すごく多くいます。福祉学部だからという理由もあるんでしょうけど。

 

杉本:へえ~。

 

金子:親が低所得だとか非正規雇用だという話だけでなく、鬱であるとか、アルコール依存になっているという話は非常によく聞きます。

 

杉本:学生さんの親がですか?

 

金子:そうです。だから子どものほうが親のことを支えなきゃいけないって考えちゃうんですよね。

 

杉本:う~ん。一昨日かな。友人のところに行ったんです。臨床心理学を学ぶ大学院生さんの修士論文用にインタビューを受けたらしいのですが、その元大学院生が遊びに来てるので会わないかという話で、会ったんです。彼の仕事はサポートステーションなんですね。契約社員で備われているらしい。で、仕事の話を聞いたんですけど、やはり僕らが子どもの頃より親の経済条件が厳しいとか、親自身が問題を抱えているとか、多いらしいんですね。彼は特に10代の子をフォローして欲しいと言われているらしいのですが、心理面はやれていないんです。ご存じの通り、厚労省はサポステは就労に特化して欲しいと。そんな中で思春期の10代の子が相手、もう15歳くらいの子を相手にしているらしいんですけど。やっぱり自分の感情も上手く言葉にできない。だから本当に痛いんだね、辛いんだね、悲しいんだね、と。その子供の感情が、「ああ痛い痛い、辛いのね、痛いのね」っていうようなイメージからまず接してあげないと自分からそういう感情の表現が出てこないらしくて。なかなか悩ましいという話を聞きまして。そういうことになってるんだなって。

 

金子:大学もそうなっています。

 

杉本:いろんな意味で思春期は表現が難しい時代ですけど。表現のありようがちょっと言語化の問題が幼いっていうこともあれば。あとやっぱり親御さんが様々な問題を抱えてるっていうこともあるみたいですね。

 

 

 

社会福祉学とそのカウンター

 

杉本:ところで、先生のご出身はどちらになりますか?

 

金子:東京です。

 

杉本:都内ですか。

 

金子:はい。

 

杉本:研究者になられたのはいつぐらい?

 

金子:ここに着任したのが2003年で、32歳のときです。その前は非常勤講師の掛け持ちと、大学院生を28~29歳くらいまでやっていて。それまでいくつか仕事をやりながら。

 

杉本:あ、では非常勤講師をやりつつ?

 

金子:そうですね。

 

杉本:正式に非常勤でなく採用されたのは、こちらの大学ということで?

 

金子:そうです。ですからここしか知らないんです、専任としては。

 

                                      『入門貧困論』 金子充(明石書店)

 

杉本:これだけ立派な本を書いてるので。もうすっかり全国に研究者として知られたんじゃないかと思うんですけどね。私はこの本を読んですごく感銘というか、本当にすごいなと思ったんですけど。

 

金子:ありがとうございます。

 

杉本:で、聞いてみたいと思ったのは、どちらかというと「貧困」と「公的扶助」という形で大枠は二部構成になっていますね。最初の1部は「貧困とは何ぞや?」みたいな話の中で、広い意味での貧困を取り上げている。。経済困窮ももちろんそうなんだけど、絶対的貧困から考えるという感じでは無くて、もっと広い意味での貧困をわりあい社会学的な観点からずっと論じられている。それがひきこもりに関する「スティグマ問題」といったものともすごく結びついている気がしました。僕のインタビュー本の監修者である村澤先生というかたも臨床心理の専門なんですけど、社会的排除論とか、おおむね社会学の研究者の引用とかをけっこうされるんですよ。ですからわりと専門をまたいだ発想というか、学際的と言うのでしょうか。そういう意味では金子先生も貧困を量的・質的に研究をしていくだけではなくて、広く学際的な感じで研究されてるんじゃないかと。

 

金子:そういうふうに心がけていますね。あと、実は貧困そのものを調査で明らかにしようとはしていないので。

 

杉本:こういった本って無いんですよね。けっこう今までなかったと思うんですよ。

 

金子:ありがとうございます、そうですかね。私は自分が学んだ大学でも社会福祉学で、その後もずっと社会福祉学なんですけれども。1990年に大学に入ってるんですが、その直後に介護保険の議論が始まったらしくて、今よりもかなり「社会福祉」というものが注目されて拡大した時期なんです。それ以前は、福祉が「社会事業」とか呼ばれてた時代が70年代くらいまでありました。福祉イコール障害者とか老人のためのものというのではなく、誰でも福祉を利用できる・利用し得るという考え方になってきて、社会保障も少し財政的にも余裕があり、拡大しようとしていた頃です。社会福祉士という資格も89年に出来てるんですよね。

 

杉本:89年でしたか。

 

金子:で、それに合わせて社会福祉学もちゃんと体系立てをしなきゃいけないという気運になっていた時代なんです。それで国家試験もあるし、科目をさまざまな福祉論に。障害者福祉論とか児童福祉論と言われる分野分けをしながら、試験を想定した「科目」がつくられたわけです。規格化されたともいえるかもしれません。そうやって当時の社会福祉学の研究者は「学の体系」を作りたかったんですよね。その弊害として、新しい視点は入れないで、定番の狭い枠に何か押し込めていって。縦割りというか、分野割りをしてしまった体系が出来上がっていったんですよね。でも僕の大学院の恩師が、もう亡くなっちゃっているんですけど、社会学とか政治哲学に関心が強い先生で。

 

杉本:ちなみに何という先生なんでしょう。

 

金子:社本(しゃもと)って言うんですけど。

 

杉本:社本先生。

 

金子:はい。イギリスの社会政策学の専門でした。特に歴史に詳しくて。救貧制度とか、歴史を社会学・政治学的に見た著作が少しだけ残っているんです。あまり書かない先生で業績がなかなか残ってないんですけど、若くして、49歳で亡くなっているんです。

 

杉本:ああ、それは若いですね。

 

金子:その先生の社会政策研究のアプローチがすごく面白くて。関心を持ったんです。イギリスの社会政策学の影響をすごく受けていて、それは「障害者福祉論」とか「老人福祉論」とかという体系ではなくて、元々は社会学とか政治学とか経済学とかの理論をベースにして、その論点や視点を使って福祉の政策や思想を考えるというものなんですね。それらをまとめて集大成したような学問領域として社会政策学が築かれていたんです。

 

杉本:なるほど。社会学・政治学・経済学を総合的に見る。

 

金子:そうですね。かつ、批判理論というか、ラディカルな社会科学、マルクス経済学みたいなものの影響も強いというか。そうではありながらもテーマは福祉なので、やや行政学や経営学に近い、統治する側の視点が混在していました。パターナリズムの視点を持った都合の良い寄せ集めの学でもあったんですね。でもイギリスは80年代くらいにそれが思いきり批判されたんです。フェミニズムとか、今に通じる障害学・当事者学みたいなところから批判された議論があって、1990年代はそれが日本に輸入され始めた頃だったんです。大学院のときにそのイギリスの社会政策学のいちばん新しい議論を社本先生から習って、すごく衝撃的でした。日本では「社会福祉学」の体系を形作ろうとしていて、分野別の型に収めるような、いかに行政に役立つかみたいな視点ばかりだったのに、そういったパターナリズムではない学が海外にはあるんだなと感心しました。そういった勉強が面白かったので研究を始めたのが最初なんですね。

 

杉本:なるほど。

 

金子:そういうイギリスの議論を、日本にもあった福祉国家論につなげながら勉強をしてきたんです。

 

杉本:そうですか。つまり、どちらかと言うと行政から見る、困っている人たちにどういうふうに給付するか、救済するかというのではなくて、当事者側、大きく言えば市民側から「救済されるのはどういうことか」と。そういうような視点の転換がイギリスから、今までの福祉制度や福祉学に対する批判として出てきた。当事者性みたいなものというか。

 

金子:そうですね、当事者とも言わなかったんですけどね。

 

杉本:マイノリティ?

 

金子:マイノリティですかね。

 

杉本:まぁフェミニズムもですよね。

 

金子:女性とかマイノリティの視点で福祉政策とか行政の在り方を捉えなおしてみると、いかにそれが権力的で、権威付けられたものなのかという批判が強く出てきた時代ですね。

 

杉本:そこは両面がありそうですね。そうは言っても誰かの手は借りなくてはいけない、あるいは認知されなければならないわけですよね。普通の人たちにマイノリティの人たちは理解されなくてはいけない。とはいえ、理解されるためにおもねるのではなく、政治も含め、あなたたちによって救済される側、ほどこされる側にはならないというアイデンティティーを主張する。ある意味その両面。

 

例えばぼくら今こそ、ひきこもりの話もですね。当事者発信が最近言われ始めてるんですよ。それはまだいろんな意味で脆弱で、議論が当事者間で深まっているというよりも元気な人たちが各地に散らばっていて、活発な動きがなされていると思うんですけど。ひきこもりもきわめてスティグマ的というかマイノリティのような扱いで、怠けている、あるいは精神的に病んでいるのではないかという風な形で見られがちだったのを、いやそうではない、むしろその誤解を社会に問い返したいということはあるんですけれども。同時に元々ひきこもりがすでに社会から見て逸脱しているように捉えられているので、なかなか説得的な知性とか反論を持ち得ていないのが実情だと思います。僕はそこまで自分自身が研究して掴むということはとうてい無理ですけど。でもこの本の1章から4章までの広義の意味での貧困をどう考えるか?ということについて書かれている様ざまな内容は、ひきこもりのことを考えるときにも応用できるなというふうに思ったんですよね。

 

金子:そうですか。まさに。

 

杉本:スティグマの部分とかですね。

 

金子:そうですね。強い主体になりにくいというところでは貧困も、いまお話を伺って同じだなと感じてます。フェミニストとかマイノリティとか、性的マイノリティとか民族・人種的マイノリティとかは自分たちのアイデンティティを打ち出して、それで対抗しようという運動に持っていくけれども、「貧困者」というアイデンティティはなかなか打ち立てられないので、やっぱり救済というものが残らざるを得ないのかなと思っているんですよね。

 

杉本:いわば社会的弱者の立ち位置からなかなか脱してものを言うのが難しいところがあるんですよね。

 

金子:はい。だから完全な当事者論みたいなものにはしにくいんですよね。貧困・生活困窮者の当事者主義みたいなものは言いにくくて、中途半端な書き方になってしまうんですよね。

 

 

 

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