杉本 どうでしょう?今後もこの流れでやっぱり考えを深めていきますか?今の世の中にこれは言っておきたい、でもいいのですが(笑)
北川 とにかく小さくても世の中をストップさせることでしょうね。いろんな世の中の動きをいったん止める。
杉本 まだ止められるかな?
北川 まあ道路をブロックする、商品の流通をブロックするとかそういう目立ったものでもいいんですけど。小さくてもいいので、何か既存の流れを一旦止める、それが難しいならリズムを変えるというか。そういうイメージです。それが隙間をつくることで、呼吸を整えられる。自分のリズムを整えられる感じかな。もうちょっとすっきり言えば、今置かれている現状の中で、自律的な時間、空間をつくることなんだと思います。ほんとうに些細なことから考えていいと思いますよ。例えば、すごい忙しくて残業ばっかりで、夜11時前とかに家について、また翌朝8時出勤とか。それが続けば、どう考えても、家に帰ってすぐ寝たほうが体力的にはよさそうじゃないですか。でもたぶん多くの人は、帰ってからテレビみたりゲームしたり、ネットをしたりすると思うんですね。人間は、生物学的というと大げさですが、単にそういう面だけじゃなくて、呼吸し、リズムをもち、欲求をもつ存在ですから。そこは絶対に切り分けられない。だから、ちょっとでもそうやって自分の自律的な部分を回復する。リズムを整えようとしていると思うんです。直接的な労働の現場はもちろんのことですが、自律的な時空をたくさんつくりだすのはそれ以外のところでも大事なんだと思います。
思うんですけど、自律性が減ると、超越的なものに頼りたくなる気持ちになる。国家主義とかそれに関連する主張を含めて。だから、小さくても大きくても自律的なもの、自律的な時間と空間を増やしていく、あちこちで。ほんとうに。無力感に支配されないためというとあれですけど。だからね、こうした自律性というのは、既存の資本主義社会の時間的、空間的な流れ自体をいったん止めること、少なくとも緩めることだと思うんです。まずは止める、止まる、せめて緩めることからのようにも思えます。
杉本 資本主義の加速主義、なんて乱暴な考えもあるようですしね。
北川 そうですね、あまりよく理解できてはいませんが、現状の流れに乗っかって進むことは、どうやっても加速する資本主義の時間に乗っからざるを得ないのではないかという気がします。レーニン主義は、時間の流れを先取りするものでした。「え?今革命が起こんの、予想外や」と。しかも「こんなところで、こんなやつらが」という。音楽のシンコペーションというか、跳躍です。でも現在の資本主義のこんな速い流れのなかで、それ以上に速くなる、それ以上に速い跳躍ってなかなか想像できない。もうこれ以上速かったらしんどい、つかれるやんと。だから仮にね、何しからの跳躍が起こるとしても、現状それはまず立ち止まる、停止することからではないかと。そうした別の時間の流れを堆積させていく、分厚くしていくことからしか起こらないのではないか。資本の側が加速するなら、労働の側はまずゆっくりするべきなんです。
移民とプレカリアート
杉本 そんな中で、あらためて聞きたいというか、気になるのが、メッザードラさんが言ってるような、移民とプレカリアートの連帯についてです。やっぱりこれは今後も、鍵を握ることになるのでしょうか?
北川 そうですね。客観的状況からはそう言えるのかもしれませんが、労働者の主体の領域でどうかな、というところですね。例えば、労働階級の国民間の分断、人種主義による分断は、なかなか乗り越えられずにきました。互いに争ってきたわけです。こうした差異は、資本主義によって育まれ続けて、利用されたままですから。人種主義は、資本主義の根幹ですよ。性差別主義もそうです。そもそも不均等な世界の中で、国境の向こう側から来て、というか導入されて。また文化的、「人種」的な差異を理由に、労働市場の下層に置かれる。その点で、当然、移民に固有の困難というのはたくさんあります。権利、法的にもそうです。そこでもプレカリアス(生活も職業も心も不安定にさらされている人々)な状態に置かれる。
奴隷的な労働に象徴されますけど、例えば「不法」になる可能性とか、滞在許可の問題とか、収容とか強制送還もある。あるいは言葉の問題、家族に簡単には会えないとか。そもそも知らない場所にいるわけですからね。別に生活が理由で移住しているだけなのに、“その国を好きでいろ”、という圧力とか。警察からの管理や毎日遭遇するような差別的な目線。ひどすぎる話ですが、いつも「問題」としてみられる、疑われる。何か危機的なことが起これば、それは「なんとか人」のせい、とか。しかもこうしたことが世代を超えても継続される。ほんまに。
杉本 確かにぼくがパンクロックを聴いていた70年代末も、人種差別に反対するロックとか、アンチレイシズムとの連帯とか、海の向こうからそういう話が聞こえていました。
北川 はい。ただ、いろいろ違いはあるんですけど、生活や労働において、その都度その都度、こうした社会状況の中でプレカリアートも同様の困難を生きている部分、そういう領域もいくつかあると思うんです。例えば、さっきの住宅闘争。イタリアで住宅闘争といえば、これまでは当たり前のように、その闘争の担い手はイタリア人だったわけですよね。当たり前のように。でもいま住宅闘争をみたとき、移民たちがその重要な担い手になっているんですよ。というか、移民たち抜きで、住宅闘争の実践がイタリアではありえないものになっています。彼らが重要な位置を占めている。だから、住居をめぐる闘争の中で、こうした変化、こうした出会い、つながりが生まれてくることもある。労働や生活に関わる社会闘争において。きっといろいろな闘争において起こってきていることかなって思います。
杉本 なるほど。かつてのスクウォッテングの文化は移民の人たちが引き継いでいると。
北川 もちろんイタリア人の占拠も多々ありますよ。あとね、なにしろ公共サービスを得るためには、移民たちにはどうしても住民登録が必要ですし、その闘争は制度的な次元に関わらざるを得ない部分が多いですから。でもそれは彼らからすれば、自分たちの生活の自律的な領域を増大させる行動で、アウトノミアの言葉を持ち出せば、カネやサービスを奪い取る、奪取する行動として考えられるべきだと思います。
杉本 なるほど、より現実的にアウトノミア的なものが必要とされるわけですね。
北川 さっきのミケーレという自殺した男性。このイタリア人の絶望は、移民で来た人の抱える苦しみや絶望と重なる部分もあるのではないかと思うんですね。それぞれの困難が絶対的に独自なものですけど、かといってまったく異なるわけでもない。すごく我慢していっぱい働いて。不安定な仕事で、それでも生きて。子育てして、就学させて、仕送りしたり。移民にせよ、そうでないにせよ。でもじゃあ両者が社会の中で、自動的につながるか、共闘するかと言ったら、事実はそれほど簡単ではないですよね。闘争の中でつながることもありますが、つなげる仕組みをつくることも必要かもしれません。
どうつなげるか。ぼくはいちおう地理学専門ですし、その知見からすれば、抽象的な仕組みとか組織とか制度がというよりも、具体的な場所から、あるいは何からの拠点をつくるというところから考えたほうがいいと思ってます。例えば、そうした場所として重要だったのが、長らく「都市」だったわけですよね。都市のどこかを拠点にする。それは原口さんの本に書かれてあることですね。流動的下層労働者はまさに流動的に各地の寄せ場を移動していたわけですけど、寄せ場という拠点を持っていた。釜ヶ崎のように。そこでより社交性、集団性を持ち得たと。こういうのは、闘争の貴重なアーカイブだと思います。
ただヨーロッパでも、もう大都市に限らず、中小の都市、小さな町にも多くの移民労働者がいるんですね。日本で言えば、三重もそうです。この津市にだって移民労働者が多いわけですから。津は、大阪とかとは全然違いますから。ぼくらがイメージするような都市性はなかなかないんですよね。人が集中、密集するような感じがまったく持てない。というか、それはない。スカスカな感じで、いろいろなものが通過していく感覚です。車が中心、車が主人の社会ですからね。それこそ流れがメッチャ速いし、路上の人の出会いとか、街としての拠点性というのが想像しにくいんです。ぽつんと歩いていると、いつも周りの車の速度に置いてきぼりをくらう感じがある。これは今でもけっこうきつい。そもそも歩いている人がなかなか居ないのもありますが。まあぼくの勝手な印象ですけど。
杉本 確かに来てみたすぐの印象で申し訳ないですが、典型的な地方都市の印象があります…。
北川 だから場所や拠点といっても、都市部というか、それこそ釜ヶ崎のような「面」というか、しかも一定の街としての「面」を想像することがほんとうに難しい。あっても「点」でしょうか。その意味では、点としての拠点性をどうつくるのか、いくつか点をつくり、点と点をどうつなぐのか。いや、そもそもそれでもミクロな「面」をつくるべきなのか。どんなに小さくても都市性のようなものが必要なのか。もうその速い流れを止めてしまう、遮断するべきなのか。いやもっとその他のやり方なのか。これまた、こういう町にふさわしい独自の形が必要だと思います。まあ、何にしても車移動の問題は常にあります。
あ、それで言うと、黄色いベスト運動は、この意味で、こうした地方というか郊外というか、そうした町にとても関係する話だと思いますよ。あれは車社会の闘争ですよね。
杉本 へえ~、それは全く知りませんでした。
北川 そんな中、津で拠点として頑張っているのが「ユニオンみえ」。地域の労働組合です。労働相談、労働争議とかやっていても、この地域の特徴柄、外国人からの労働相談がムチャクチャ多いみたいです。もちろん日本の人もいますけど。だから多言語対応してます。もちろん、移民労働者が契約社員とか有期雇用とか、雇い止めとか、ひどい状況で働かされていることが多いと思うんです。でも、何かあったら異議を唱えている。日本での暮らしのこともあるし、地元に家族がいて、仕送りをしているとか、いろんな事情があってのことなんですけど。彼ら実際に裁判で勝ったりしてるんですよ。数年前に、シャープの下請け工場で、大勢のフィリピン人労働者が自分たちで組合をつくって、ユニオンみえが支援し、勝利してました。
まあここからは勝手な意見かもしれませんし、三重に限られた話ではありませんが、移民労働者の置かれている状況を考えると、ユニオンは労働組合だから、労働はもちろん絶対なんですけど、労働以外というか。滞在とか医療とかの生活上のことにも実際には様々に関わっていると思うんですね。これからよりそのようになるのかな、いやそうなっていかないといけないのかなあと思ったりもします。「移民」というテーマ、生きた移民にふれるということは、労働に加えて、社会生活のいっさいにふれるということです。当たり前ですが、移民は生きた人間ですから。だから、もっと社会生活、社会的な部分を含んだ労働組合が必要になっていく気もします。現実的には、人もたくさん要るし、別の知識や労力も要るでしょうから大変ですけど。ただこうしたものが、都市のような「面」とまではいかなくても、「面」のような要素をもった「点」になりうるのかなと。まあほんまに勝手なイメージですが。
杉本 ぼくが逆にすごいなと思うんですけど、もうウン10万と技能実習生の人とか日本に来ているわけですよね?中国とかベトナムとか。よくこれだけ、労働基準法いっさい関係ない世界で働かされて、暴動とか起きないものだなって。来年から本格的に短期労働者が結局は国家イベントというか、大阪万博に向けて使いたいという思惑がきっとあるんでしょう。まあもっとロングレンジでみれば、介護労働者の人として考えるんでしょうし、短期的にはイベント用に必要だから、日本人がやらないので雇うという考えなんでしょうけど、結局は技能実習生みたいな扱いでやると思うんですが。
北川 いや、絶対そうですよ。じゃないと資本からすれば、移民労働力を入れる意味はないわけですから。
杉本 だから釜ヶ崎、今後新しい世代が外国人労働者の人たち。暴動が起きたときがひとつのメルクマールかなあ……。
北川 本当そうですよ。オペライスタ的に言えば、やっぱりそれは起きるものでもあると同時に、起こすものでもないとダメですからね。まあそれは外国人であろうと、そうでなかろうと、ですけど。
杉本 それに触発されて若い人はやっぱり「そうだ、そうだ」みたいな。
北川 「俺も、俺も」「私も、私も」という怒りがね。「なんでおまえらがやねん」って言われる人たちこそが。
離島民のエンパシー
北川 移民とプレカリアートというか、移民と市民、移民と国民の間をつなぐということでもう一点言えば、僕が調査してきたランペドゥーザという地中海の離島なんですが。
杉本 はい。
北川 もうザ・離島です。シチリア島からもだいぶ遠くて、チュニジアのほうに近い。まあ空港があるので助かりますが。で、住民が6千人くらい居て、そこに移民がたくさんやってくる。それは国が地中海で助けた後、そこに連れてくるからそうなっているとも言えるし、多くの場合、救助した海上から一番近い「安全な港」だったりするんですね。そういう島です。やはりそうなってくると移民排斥を唱えたい人がそれなりに出てきてしまうわけですよ。この小さな島、観光の島で。福祉や病院もない島では子供を産む設備もないので、みんな予定日の前にシチリア島に行って、そこで出産する。そんな島に多くの移民が来て、収容所ができて、警察だ、軍隊だ、人道団体などが来て。政治家もとりあえず視察に来たりとか。大陸のメディアにもすごい注目されて。映画にもなって。でも、島民が自分たちの暮らしのことについて何を言っても無視されていると。何を言っても相手されずに、おかしいじゃないかと。自分たちの暮らしのことなんて誰も相手にしてくれないと。イタリアもEUも。やっぱりそういう声が出てくるんですよね。とはいえ、これは事実なんですけど。で、同盟の政治家もいるんですよ。同盟は、元は北部同盟という政党で、じっさい北部主義です。南部に対して排外主義言説を散々言ってきた政党です。かつて北部独立を掲げていた政党の政治家が、イタリア最南端の島にいるわけですよ。
杉本 そこにも居て、代表されたと?
北川 1回選挙で国会議員になってました。でもランペドゥーザじゃなく、イタリア中部から立候補してましたけど。と言っても、アンジェラ・マラヴェンターノっていうこの同盟のかたは島の人であることには変わりないんです。島で話を聞いていると、いろいろあるけど島のために頑張って来た人だと言う人もいます。狭い島で人間関係が政治関係であり、政治関係が人間関係みたいなところもありますから、人によって言うことも変わりやすいのですが。でもこの人が何で政治活動を始めたかというと、友人か誰かが倒れたとき、この島に病院がなかった。だからヘリコプターで運ぶ。シチリアの都市パレルモとかへ運ぶんです。1時間ぐらいでしたかね。救急じゃない救急ヘリしかないんですね。
杉本 はい。
北川 でもそれもかつてはなかったんですよね。それで亡くなってしまったんです。それでもういい加減、こんなのはおかしい、ヘリがいるだろ、病院がいるだろって言って。何しろランペドゥーザには小さな診療所しかないので。こんな経緯なんです、たぶん。二級市民扱いするなと。そんなことがあったので、彼女はすべての政党に手紙を送ったんです。唯一返事をくれたのが、北部同盟。こうしたこともあるので、あの人はいま北部同盟だけど、島のために一生懸命やってきた人やという人もいるのでしょう。でも、彼女は排外主義言説を垂れ流してます。
杉本 なるほど。
北川 移民がいっぱいやってくるから、子どもたちは怖がっているとか、連中はいらんことをしに来ただけだとか、移民の対応、収容、受け入れにばっかりにカネ使うのはおかしいとか。ただ、このような感情を高いところから頭ごなしに否定はできないと思います。この島の中で生まれるこうした感情。なんというか、物質的でもある感情のすべてが、排外主義によってつくられてるわけではないですから。でもマラヴェンターノの考えの枠組みに乗ってしまうと、完全に今の国家主義、人種主義の枠組みに乗っちゃうわけですね。
そんな中、ランペドゥーザ島の人でジャコモという歌手の友人がいるんですけど。彼は、戦争とか貧困とか、あるいはもっといい生活がしたいと島へ逃げてくる人たちというのは、俺たちとたいして変わらないよと言うんです。というのは、ランペドゥーザ島は離島であって、まず夏の観光で何とかなっているけど、病院もなく、学校や教育施設とかも全然十分じゃない。しかも移民への治安管理というか、防衛という名で警察や軍隊が増えてきた。もともと軍事化されていて、ずっと国家に利用されてきた島ですけど。このメッチャ小さな島に大きな軍事レーダーの数が増えていってるんです。イスラエル製のもあります。レーダーの集中による電磁波で健康被害の可能性も指摘されている。こうした島の現状、未来を考えると、そのうち俺たちも島から逃げなくちゃならなくなるだろう。こういう状況で移民、難民たちがアフリカから逃げてくる様子をみると、どうみえるか。もちろん違いはあるけど、全然違うわけでもないと。同じではないけど、違うわけでもないんだと。そう語る彼の示す想像力は、「おっ」と思いました。物の見方として、この島からのイメージの仕方として。
ジャコモは数人の仲間といろいろ活動していますが、こうしたアプローチなので、移民のことについてもちろん取り組んでいるのですが、さっき言ったよう軍事化とか不安定な社会生活などの島の問題についてや、自分たちのことにもかなり取り組んでいます。なので、いわゆる人権団体とかとはまったく違います。自分を抽象化というか、無色透明にして他者の人権を語るわけではないんです。それじゃ島民の欲求、欲望の物質性にふれられない。なかなか入り込めませんから。そうではなく、この島で労働して生活する中から、いわば自分自身や自分たちの問題を語りながらも、移民や難民の存在と結びついていく。「国民」と「移民」、「市民」と「移民」といった区別に、しっかり地に足ついたところから挑戦するような想像力かなと。
地中海を渡ってくる移民たちは、本土に移送されるまでの一時的な滞在であっても、当然、島の歴史の一部なんです。彼らの存在、移動は、この島の時間、空間を変容させ続けていますから。ぼくの印象ですが、ジャコモたちは、この島の生活や現実の中で移民たちに出会うわけですが、そこから彼らの地中海の旅を逆方向にたどっていくようなことをしているなと。地中海の旅はどんなものなのか、彼らのアフリカでの旅はどんなものなのか、出身地はどんな場所か、どんな歴史なのか。ジャコモは帝国主義や植民地主義といった大きな話もしていますが、それはこうやって、この島からたどられたもの、この島の土地に、この島の生活に根ざしたところからのものだなと感じるんですね。さらに言えば、地中海を南へたどった後に、また北へと戻り、ランペドゥーザ島をみたとき、それはどんな風にみえてくるのか。どんな場所にみえるのか。ジャコモたちはこんなことをしているのではないかと思ったわけですね。だからその意味では、地中海を渡る移民たちの移動というのは、地中海の北と南を接続する運動とも言えるんです。まあ当然、繰り返しですが、島民と移民の間にもいつも差異があり、それが消え去るとか、そういうことではないですよ。
きっとこういう実践はランペドゥーザ島だけでなくて、各地であるでしょう。でもこの島での話は、調査しているというのもありますが、すごい影響を受けました。
杉本 なるほどね。社会センターというのは今でもイタリアには?
北川 社会センターですか?ありますね。まあどちらかと言えば、北中部中心ですけど。
杉本 北中部中心ですか?
北川 南部にも最近は増えてるんかな。歴史的には北中部が多くて。社会センターと言えば、既成の制度左翼との距離や関係は様々ですが、議会外コミュニストのスクウォットというか、占拠空間を指すことがほとんどです。イベントやライブとかを重視する文化イベント空間の色が濃いものもあれば、もっと地域の政治闘争とかを重視してるものもあります。だいたいどっちもしてますけどね。歴史的には、保育とかもあった。社会センターによって、よく通う人たちの年齢層も違ったりしてます。古いところだと、昔のパンクスのおっさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんになってたりしてますよ。今もパンクスでしょうけど。でもね、年配の人が多いところでも、若い人もけっこういるんですよ。子どもがいることもあるし。
杉本 なるほど。でもあれですね。大人の居場所があればいいよな、と思いますね。
北川 ああ~確かに。
杉本 まあ、ひきこもりの居場所とかそういう分節化された居場所はいろいろ出てきてるとは思うんですけど、ざっくりとした「大人」の人たちがいろいろ言い合える居場所とか、そういうのはやっぱりあったらいいなと思いますね。
北川 ああ~。例えばまあこういう話をね。しているわけですよね。酒飲みながらそこで。
杉本 イギリスで言えばパブとか?昔で言えば労働者の人たちがそこでクダ巻いてるのでしょうけど。
北川 そういうのが絶対ベースとして必要だと思うんです。拠点というか、何でしょう。突然ボーンと表立って起こるものもあると思うんですけど。男性中心的な話になりがちですが、居酒屋が革命闘争の重要な基盤だったという歴史的なことがあるので。これも潜在する物質性ですよ。ただそれは今や居酒屋じゃなくても、カフェでもいいでしょうし。保育所や幼稚園の送り迎えの立ち話とか、そういうのも大事なのかも。どんな人でどんな状況かによりますが、それに応じた「居酒屋」ですね。
杉本 わかりました。大変長時間に渡り、貴重なお話ありがとうございました。
(2019.3.27 津市の喫茶店にて)