産業構造の変化と障害の関係
杉本 そこはもうやはり完全に世代としての、断絶があるんですね。そういう話を聞くとおそらく本当に違うのだなあと思います。行かないと卒業できないな、と思う程度の学生であって。それくらい大学に対してアバウトな気分で通っていたので、頭を下げるしかないですね。いまの学生さんには。
山尾 例えば私の勤めているところは小学校の先生になるとか、あと公認心理士を取得するというように、最初に目標がある形なので大学に入ってから何かを探していくという、まさにモラトリアム状態というのがあまりなくて、あらかじめ目標が定められていて、受験のときにこの大学では何の資格が取れるだろうか、みたいな形で受験生は探しますから。入ってきたらまずはそういう目標があります。目標に基づいてじゃあそれを達成するにはどういう風に学びますか?というのが決まってきて、その決まったものをこなしていく。そんな形なんです。だから「主体性のなさ」とか、そういうことでは説明がちょっとしにくいのです。つまりそういうシステムに入ってくるからこそ、そういう風にやるということだと思うんですよね。
杉本 そうですか。ある程度、専門学校化を……。
山尾 大学としてはその傾向はありますね。
杉本 『ポストモラトリアム時代の若者たち』(世界思想社・2012)の読書会をやったNPOの理事長さんが同じ歳なんですよね。ぼくは盛んにモラトリアムがあったと言ってたんですけど、その方は「私は短大生だったので、必ず学校に通っていて、2年間で幼稚園の先生の資格を取るので、忙しくてモラトリアムは学生時代にはありませんでした」と話してましたね。
山尾 そうですね。大学もそういう形の専門学校化、と言っていいのかどうかはちょっとわからないですが、学科によっては本当に必修だけで前期の単位は埋まります、みたいな。そういう感じになっています。特に教員を目指す学生は必修で完全にカリキュラムが決まっていますから。
杉本 それは昔もそうだったですね。教職を目指す人は。
山尾 心理系のものについても、公認心理師とかはもう国家資格ですから。もう全部決まっていて、そして公認心理師というのは学校出てからは取れないんですよ。在学中にきちんと単位をとらないとあとで取れないので、落とせないからもう一生懸命やる。
杉本 大学全体が高度化してる印象がありますね。話を聞くと。いまの学生さんは産業構造が高度化しているのに合わせて求められているレベルも高くなっているのでしょうか?
山尾 それは確かにあると思うのですけれども、前に村澤さんとも話したことなんですが、結局どういう能力が求められているかはまさに産業構造と対応するものなんですけれど、やはり第一次産業、農業とか、漁業とかは身体が資本なので、身体の力、身体能力が求められて、それが使えない状態だと身体障害みたいな感じで、社会にとって望ましくない状態と規定されていく。で、第二次産業になって、工業になると今度はもちろん肉体労働もありますけど、あるいは頭脳労働という形にもなってきます。いわゆるリテラシーですけど、読み書きそろばんをきちんとやる。いわゆる産業教育が一般化していく。そのなかでつまり知的な頭脳労働が出来ない状態として知的障害というものがクローズアップされる。そしていまは第三次産業で、人との関係をマネージメントする。コミュニケーション能力、その障害としての、ある種のコミュニケーション能力におけるさまざまな障害というかたちが生まれる。産業構造で求められる能力が、その能力の欠如の状態としての障害をつくってしまうという。
杉本 なるほど。でまあ、ぼくは本当に付き合いが狭いんですけど、狭い中ですから、どうしても似たような傾向性のある、でも知的な人なんかと話をするなかで、仮に社会的な適応性は非常に高く、マネージメントの仕方も上手いかもしれない。うまく場を回すことも出来るかもしれないけど、いったい、そういう出来る人がね。社会に対して「自分はこう思う」とか、「こう考えている」とか。「自分の胸の内はこうだ」とか。そういうあたりを考えているか。希薄な感じはないか?みたいな話をすることがあるんですね。そのさい、ぼくも現実を「逆にしよう」と思って言ってるかもしれないですけど(笑)。そういう話ばかりを受け止めて「うん、うん」と頷きたがっている人かもしれませんが(笑)。でも、そういうこともあるんじゃないのかな?と。だって、人間そんなに完全になれないというか。
ですから村澤さんも言ってました。政治向きの話がぼくは好きだから、おそらくいま杉本さんとぼくらが話していることは学生が聞いたら外国語を喋っているように聞こえるんじゃないかと(笑)。
山尾 ああ、それは(笑)。あると思います、はい。
杉本 それも出来たなら本物の知識人がすごく大量に生産される(笑)
山尾 そうですね。やはりそれはどうしてもあると思います。
杉本 だって政治向きだの、社会向きだのといった議論をしたくなっちゃったなら、そもそも「この構造、嫌じゃん」という話になってきそうじゃないですか?
ポスト・バブルの学生たち
山尾 それだとやはりその世代というか、時代の違いというのはたぶん確実にあります。僕らは、先ほどおっしゃっていた50年代、60年代に高度成長があって、で、70年代に入ってまあ勢いが止まってきたけれども、バブルがあって、バブルがはじけて、失われた20年があって、そして21世紀のこの20年代があるという、そういう流れを知ってますし、体験してますけど、いまの学生たちは「バブル後」ですから、経験をしてないので「日本がすごかった」というのはリアルじゃないんですよ。
杉本 ああ~。ふ~む。
山尾 言ったら「すごくない日本」が彼らのリアルなので。いや、すごくないという表現がもはや古い世代の物言いですね。その中で相対的にいまは雇用が伸びてきているという話ですから、「何が悪いの?」というのは当然なんですよ。
杉本 ああ。それはそうですね。
山尾 ええ。
杉本 あれ?そうするともう一回、「追いつけ、追い越せ」になりつつあるのかしら?
山尾 ふふふ。そこはね。いまは、今の安定を大事にしたいということなんだと思います。
杉本 そうですよねえ。追いつかなくちゃいけない目標もいま、特にそういう夢のある国とかというものもあまり思いつかないですものね。
山尾 ええ。
杉本 世界を見てもやっぱり先進国とかまあ、成熟してしまったともいえるのか、やはり「持続的な安定」みたいな話になってくるわけですよね。その持続的な安定というのも例えば毎日7時間ぐっすり寝て、ゆっくりご飯を食べて、5~6時間働けばラッシュを避けて家に帰って、いちおう淡々と過ごすという。そういう安定じゃないですよね?常に目標が定められている緊張感ある安定というか。そういうと言い過ぎでしょうかね(笑)
山尾 おそらく私たちの経験からこういう現状を見るのと、学生たちが現状を見るのとは、全く違った世界なんだと思うんです。知識として勉強してきて、何年にこういうことがあって、こういうことがあった。だからいまこうなっているよというのは知ってると思うんですけど。それを実際に生きているのか生きてないのか。すごく大きな違いがあると思います。
杉本 確かに皮膚感覚としてそうでしょうね。ぼくも戦中を知ると言ったって、やはり頭でしか分からない。学生運動だって、ぼくはテレビで小さいときは見てますけど、ぼくらの頃には全くないのが現実なわけですから。身体で知らないものは、どうしてもピンとこないですよね。団塊の人が“口角泡飛ばして”みたいな感じの中で、「世の中は」とか、「アベは」みたいなこと。時々はぼくらでさえ、ね。「まあ、そんなに熱くならなくても」みたいな人も(笑)。いらっしゃるみたいな話で。
山尾 現状では雇用状況が良くなってきているということは確かにあるので、それに対して学生たちが「良かった。就職できそうだ」という風に思うのは当然ですし、就職できることは本当にいいことだと思います。でもその雇用の内実はどうなのか?会社に入るということは、ちゃんと社会の中で自分は生きていけるということなんだということで、やっぱり就職しようということですけど、でもいま企業の社会保障はガタガタになっているし、いつリストラになるかもわからないし、労働条件が非常に悪いというような中で就職するということを喜んでいいのか?という風に思ってしまいます。
でも、それは学生にとっては、やがて就職できるんだということで、「就職できなくてもいいんですか?先生」という風になるんですね。たいていの場合は。これは自分が見てきた世界で理解しようとするのと、学生が生きてきた中でそれを見るのとは、ちゃんと分けて、もちろん、ぼくとしてはこの雇用条件でいいか悪いかという判断をやめるわけではない。でも、その分、君たちはこんな低水準の条件で働かされて大変なんだ、という風に「上から」は言わない。それはすごく大事だなと思っているんです。
杉本 否定しがたい現実があるということですよね。
学生たちの位置づけが変わった
山尾 そうですね。だから学生にどう伝えるか?というのは常に悩みどころです。いろんなことについて。
杉本 でもほぼ主流がそういう状況だと、難しいところですね。伝えることも。じゃあこのアベ政治がずっと長く終わらず続いて、やはり若い人たちの支持が高いというのも……。まあ、あまり投票にも行かないんでしょうけど。
山尾 (笑)そうそう。
杉本 関心もあまりない。ただ、いまの政治が格段ぼくらにとって、痛みつけるものでなければいいという判断になるのは、必然性があるということなんですね。
山尾 経済的な側面とかで言うと、いま就職が良くなっている。それが続いて欲しい。それと、政治の体制とかが直結するのかは学生たちの中でたぶん…。
杉本 結びつかないでしょう?
山尾 ええ。たぶんそうしたとしても、あまりがちゃがちゃ動かされるのは自分にとって何かすごく損なんじゃないかと。
杉本 心理的なものもあるのかな。「安定」というのがすごく大きなキーワードになってきそうですね。だからあの民主党時代の落ち着きのなさというのは政治的には意味があった、反面教師的効果があったということでしょうね。アベさんの揺らがなく見せる、というの方法は。確かに民主党のときは景気も悪かったし、株価も下がったし、まあいろいろ内実的にもガチャガチャしてたと。でも、政治ってそういうものではないかなあとぼくらの世代なんか思っちゃうんだけど、あんまり不安定な国であっては困るというのは、別にくさすわけでも、低く見るわけではなくて、切実にそうであって欲しいということですね。
山尾 ええ、そうだと思いますね。あとはその、さっき言ったバイトもそうですけど、アルバイトの考え方自体がもう変わってしまっていて、いまの若者、学生たちをそれこそ自分たち上の世代がそれこそ社会の中でどういう存在として位置づけているのか?というのが変わってきていると思うんですね。「若者が変わっている」というよりも、その「若者を」私たちの社会が例えば低賃金で、でも「責任はちゃんと持って」もらうように働き手として認識しています。そういう働かせ方をしている。そうなるとよくありますけど、じゃあ今は飲みに行くかという風に学生に言っても、「先生、そういうことは一ヶ月前に言ってください。シフトがあります」。例えばそういう風なかたちになる。
杉本 ああ~。事実として。
山尾 そういうことなんですよ。じゃあ、それが学生が悪いとか、学生の問題というより、そういう風に働く仕組みがあるということをまず考えないといけない。考えないといけないというよりも、それはそういうものとして動いているんで、それをベースとしつつも、じゃあ良く働いたり、勉強したりということがどうやったら出来るか?やっぱりそれを考えなくちゃいけない。もちろんそういう働かせ方はダメだ、というのは当然あるんですけれども。
杉本 う~ん。これはちょっと聞きにくい質問のしかたなんですけれども、山尾先生として、この現状の中で、何というのかな。学生らしさというか、若者らしく自由なものを何とか取り戻してほしいと考えると、全体ひっくり返しちゃったほうがいいぞ、とラディカルに考えたくなることはありませんか?
山尾 う~ん。ひっくり返すというのは……。
杉本 まあ無理だというのは当然あるんですけれども(笑)
山尾 ええ。まずそうするにしても、いま動いているものを「ダメだ」と言っても伝わらないな、という。そういう認識があるんですよ。いくらこの仕事、例えば求人票を見ると「これは大変だよ」と言っても、「でも働けるんです」という。“その何か”ですね。
杉本 切実さ。
山尾 ええ。それは越えられないというか。
杉本 なるほど。福祉が専門の先生に話を聞いた時、大学で学ぶ学生さんの多くは社会福祉士とか、精神保健福祉士を目指しているらしいんですけど。やはり半分くらいの人が日本学生機構から奨学金を借りているらしいんですよ。だからアルバイトを普通にやっていて、やっぱり就職は良くなってきている。1年半くらい前だったかな。就職は良くなってきているし、正規社員での採用をされてもいますと。ただやはり福祉の仕事で介護職が多いらしいんですけど、民間が増えてきてるらしいんですね。で、ぼくなんかは昔ながらの社会福祉法人が福利厚生がしっかりしているはずだし、その分給料は低くなるでしょう?でもやはり学生さんは福利厚生の部分よりも実際の給料の額に目が行くらしいんですね。社会福祉法人のほうが安定してると思うんですけど、学生さんとしては給料の額へ目が行くと。
というのは、家族のかたも、けっこうシビアな家庭があるらしいと。さっき先生がおっしゃっていた自分が心理的に悩んでいた時にカウンセラーにいろいろ救ってもらったことで自分も心理を勉強したい、社会の役に立ちたいという話。学生らしいピュアな考えですけど、その学部の学生さんたちもやはり家がなかなか大変なので、福祉を学んで困っている人のために学ぶ学生さんが多いらしく、大学を卒業して奨学金も返すし、家にも入れると。「これって、昭和30年代ですか?」みたいな(苦笑)。家にもお金を入れようと考えているので、やはり給料の額がいいほうが良いという考えで。でも民間会社だから倒産とか、福祉の現場でもやはり倒産とかあるじゃないですか?運営側によって。学生と家族を取り巻く今は、そういう状況なのかと思って。ちょっと考えちゃいました。
山尾 ええ。そうですね。労働条件はやはり絶対に良くしていかなくてはならないし、ちゃんと幸せな生活が送れるような保障をする仕事内容と、賃金を与えなくてはいけないし、それをベースにしないとそれこそ経済が回らないというのはあると思うので、そこに関してはいま「雇用がいい」ということと、「賃金がいい」というのは全然別の話で、賃金に関してはちゃんと上げるのは大事だと思うんですね。その点で、今の政策とか、政治のありかたというのが問題であれば、その観点で問題にするのは絶対に必要。単純にいまをひっくり返すというよりも、なぜそれを主張しなくちゃいけないかをきっちり示すことが大事かなと。それがないと「だって先生。いま働けてるんだから」というその一言には勝てない気がします。
杉本 そうですね。だからその、政治のセンスなんですけど、やはり学生さんがロングスパンでは見ることは難しいでしょうね。
山尾 ええ。それはそうでしょうね。
杉本 もちろんぼくも20代の頃は関心なかったし、なかなか20代にして10年、20年単位のことというか、まあ、いまでさえ10年20年先のことは分からない時代のわけですから、そこらへんは村澤さんたちや皆さんがよく考えている分野なんでしょうけど。
山尾 ええ。
杉本 やはりどうしてもいま、雇用先がある。給料もそこそこだ。そういう会社に勤めたい。年長者が社会福祉法人のほうが歴史もあるし、人間関係もきちんとしているし、まだ出来立ての運営会社は場合によっては気を付けたほうが良いよ、みたいなことはなかなか受け付けにくいでしょうね。
山尾 そうなのかもしれません。それでいうと、本当に大学の中で消費者教育とか、労働に関する教育とか、それこそベタに言うと、求人票の見方とか。そういうことはそれこそ昔の大学ではそんなことは大学では教えることじゃないんだという、「低俗なことだ」みたいな。そうじゃなくて、それは必要なことで。そのうえでちゃんとまさに高尚な学問というようなことになれば、ベストだと思うんですけどね。大事なことはやはり教えないといけないと思います。
杉本 ぼくは高校くらいから教えるべきだと思いますね。
山尾 やってるところはやってると思うんですけどね。それこそ進学校ほどそれを全然やらずに進学に必要な勉強ばかり、みたいな(笑)。何かそういう風になっちゃって。
杉本 でもどうなんでしょう。そうなってくると、結局大人の話になるのかな?と思いますが。
山尾 うん。まあ、そうですね。