インタビュー第三弾目はこの秋に函館のひきこもり当事者会及び家族会を見学したあと、これらの会合をコーディネートしている野村俊幸さんにお話を伺ったものです。野村さんは不登校、ひきこもり家族・当事者支援を含め、いじめ問題やソーシャルワーク、フリースクール、若者サポートステーションなど、道南地域において青少年の総合的支援を行っている極めてバイタリティ溢れる人です。今回は不登校とひきこもりの話を中心にうかがいました。また、この第三回目のインタビューは大学院で臨床心理学を学ぶ吉田言さんとの共同インタビューでもあります。今回も濃密な内容ですので、ぜひご覧下さい。
杉本 まずこちらの函館に伺う際に、道南の活動に関して言えば、不登校、ひきこもり、ひきこもりの親の会、サポートステーション、フリースクール。それら全部に野村さんという人が関与されていらっしゃる。その辺りで、本当にすごい人がおられるなあって。前からずっと思っていたんです。そこで野村さんご自身を紹介させていただく意味で、まず最初に個々、個別のグループにおいてどういう活動をされているのか。そのあたりをお尋ねしたいんです。いままでも同様のお話はされてきたと思うのですけれども。
野村 いや、意外とまとめて話をする機会ってそうあるわけではないんです。では活動状況の説明という所から入りますね。資料はいま私が関わっている会の一覧です。まず不登校の親の会が「登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会」という会です。これはもう今年で21年目になります。私は途中からの参加なんですけれども、最初は「函館・登校拒否の親の会」って言っていたんですが、子どもが学校に行けなくなった・行かなくなったということで悩む親御さんたちが集まって作った会です。現在は親以外の方の参加も結構ありますので、名称を少し変えました。この会の立ち上げを中心的に行っていた養護教諭と親御さんが集まって会を作っていきました。私はちょうど下の娘の不登校の始まった頃にこの会に参加しました。基本的には通常の親の会と同様、毎月定例会をやり、年に1、2回講演会をやるという感じで「アカシヤ会」が格別他の地域と変わっている訳ではなくて、親が集まって悩みを語り合うという会です。でも本当にこの会に来て、元気になっていく親御さんはとても多くて。当事者の集まりの大事さとというものを私はここで実感出来たんですね。
で、今日参加していただいたのがこの下にある「あさがお」という会なんです。これは何故出来たのかといいますと、最初「アカシヤ会」に来る親御さんのお子さんはほとんどが小学校中学校の不登校でしたが、こういう会ひとつしかありませんので、だんだん参加する方々のお子さんの中から高校に行ったけれども行けなくなったとか、大学に行ってから行けなくなったとかという親御さんが増えてきたんですね。そうするとご存知のとおり、中学校までの不登校と、高校に行ってからの場合はちょっと状況が違ってくるんです。そこでなかなか「アカシヤ会」だけではその親御さんの悩みをカバーするのは難しいと言うことと、年齢が上がるとひきこもり的な状態とのセットみたいのが出てきますよね。それからやっぱり思春期から青年期ですから、精神的な疾患などが出やすい時期でもある。という事で「アカシヤ会」とは別に、この「あさがお」という会が出来ました。実は元々は精神科のドクターの呼びかけで始まった会なんです。ですから初めから精神科医とか、医療ソーシャルワーカー、心理カウンセラー、保健師などがサポーターとして入り、親が悩みを語り合うのだけれども、ある程度専門的立場からのアドバイスも受けながら運営を行うかたちで続いています。
アカシヤ会が1993年のスタートで、「あさがお」が2003年のスタートで、「あさがお」については事務局が私と、それから渡辺病院という精神科病院の医療福祉課とが共同事務局を務めています。この渡辺病院というのは北海道の精神科医療の中でも、とても先進的な取り組みをしている、北海道の精神医療ではとても大事な役割を果たしてきた病院なので、そこが事務局というのは対外的に信頼度が高いんですね。 そして「アカシヤ会」については6年前に私が道庁職員を辞めて、民間人になったということで代表をやってくれということになりました。そうこうしているうちに北斗市という函館の隣の町からも結構参加者があったものですから、北斗市のほうでもやっぱり自分たちの地域にこういう不登校・ひきこもりの親の会が欲しいということで、不登校の親御さんとか、それをサポートする学童保育などに関わっている方たちによって「昴の会~不登校をともに考える会」という会が5年前に出来て、私もお手伝いしています。
開催日はずらしてやっています。「あさがお」は第2日曜日、それから「アカシヤ会」は第3日曜日、「昴の会」は第4日曜日。ということでどれに参加してもOKですよという形ですから、両方だぶっている会員さんもいます。それともうひとつ、一昨年から始まったのは第1日曜日に「ふぉろーず」という勉強会が始まりました。これは自閉症スペクトラム障害が成年期以降に、つまり大きくなってから分かったり、親御さんがそうじゃないのかな?と思い悩み始めた親御さんたちの勉強会を行っています。「思春期以降に」という条件をつけているのは、例えば乳幼児健診などで小さいうちに発達障害の診断がついた場合には、親子で一緒に「療育」という支援を受けてきた場合と少し状況が違うわけです。
杉本 そうですね。
野村 そういう場合と、親にしてみると大きくなってから本当に「突然」みたいな感じでそうなってしまうのとでは、相当違うんですよね。そこで、この学習会については思春期以降の親御さんに限定しています。当事者が入るとかなかなか親御さんも話しにくい部分もありますので、親御さん限定の勉強会ということで、これを第1日曜日にやっています。この主催者は当事者の親御さんたちです。ただ名前を公開するのは、まだ子どもさんたちが現在進行形ですから、いろいろ支障があるわけで、一応連絡先は私が窓口になっているということなんですね。ということで、函館は1,2,3,4と。日曜日ごとに何らか、こういう会が開かれているということですね。
杉本 はあ~。凄いですね。毎週ですしねえ。しかも第2は午前に当事者会もありますもんね。
野村 そうですね。第2日曜日は11時から「樹陽のたより」というひきこもり体験者の集いを開いています。それと「あさがお」から「ふぉろーず」に参加している方が結構いますね。
吉田 う~ん。ちょっと僕のほうで質問させて欲しいんですけど。
野村 はいはい。どうぞ
。
吉田 え~と、「アカシヤ会」と「あさがお会」の両方を主催という形で野村さんやってらっしゃるということですけど、あの、「あさがお」のほうに精神科医や臨床心理士、ソーシャルワーカーという専門家が同席して例会が開かれるということですが、どういう効果が生まれるのかな、って。入っていることと入ってないこととでは、運営する立場から見てどう考えていらっしゃるのかな?という点が僕としては興味があったんですけど。
野村 う~ん。おそらくですね。「あさがお」の場合はさっき言ったとおり、精神疾患の状態を現わすお子さんが結構いらっしゃいます。これはとっても乱暴な整理かもしれませんが、不登校の場合は中学までの場合は、親御さんが子どもが学校に行かない状態を受け入れるとグーっと良くなるんですよ。すると子どもも元気になって。で、高校受験もやってみよう、みたいな感じでね。本人も親御さんもそういう風に気持ちを切り替えていけると大概元気になっていくんですよ。極端に言えばおそらく多分8、9割は親御さんの気持ちの変化、そして「子ども」と「不登校」を否定しない、学校に行かなくても子どもは成長できるんだということを親御さんが納得すると大概の問題は解決します。子どもが結果的に元気になって、学校に戻る場合もあるし、戻らない場合もある。だから学校に戻るか、戻らないかは解決じゃないということをこの親の会の中で学んでいくことでほとんどの問題は解決しますね。
杉本 そこが成人期との違いですね。
野村 そうです。それだけ「学校に行かなければならない」という思い込みや圧力が非常に不登校の問題の大きなネックになっている。だから逆にそこがクリアされると非常に解決していくんですよ。ところが高校以上になると・・・。
杉本 社会人としてどうする?という。
野村 そうです。このままだと就職できないよ、とかね。高校変わって別の所に移って次の進学を考えようだとか。大学の場合もそうですよね。即、次のことが問われるんですよ。この年齢は。それが二次障害という形で精神疾患の要因になったり、発達障害と言うけど、二次障害的に発達障害でよく見られるような状態、例えばコミュニケーションが上手く行かないとかの他の人への接触拒否などに関しては自分を守るためにそういう行動を取っている場合があるので一見発達障害に見られるようなこともあるんですよね。ですからその辺りの見極めなどはある程度専門家に入ってもらって、一緒に考えていったほうがより適切な支援が出来るだろうということで「あさがお」には専門家の方にも参加してもらっています。例会の話題でも発達障害とか精神疾患のような状態の子どもにどう関わるか、みたいなことがよく出ますので。今日のように医療ソーシャルワーカーが入ってくれて、そういう医療的な知識になるとコメントしてもらえるわけですね。
そしてとても誤解のある表現になってしまうかもしれませんが、不登校段階でなまじ専門家が入りすぎると病気でもない者が病気になっちゃう可能性があるんですよ。だっていま起きている子どもの行動、例えば朝起きてこないとか、昼夜逆転しているとか、何か言ったらすぐ荒れるとかいうと、そこの部分だけを見たら病気みたいな状態に見えますよね?そして親御さんもどうしても病気という方向に気持ちが行っちゃう。だけどそうではないと思うよとか、「親御さんの理解と関わりが変わっていくことが先なんだよ」、みたいなことはむしろ当事者同士のほうが話しやすくて説得力がある。
杉本 僕も読ませていただいた野村さんの著書『カナリアたちの警鐘』を読んでもですね。やっぱり野村さんのお子さんのお話と、あと不登校の部分の話ってやっぱり義務教育とか教育制度とか、社会とかとの絡みで考えたほうがいいなあ、と思ったんですよ。でもひきこもりの話になると僕も乱暴な話しますけど。ちょっとやっぱり複雑な要素が多くなってくるんだろうなという気がしたんですね。
だから本当にいま不登校の子がクラスに一人はいるような状況になってきてますから、まあ教育制度を責めたり教師を責めたりは出来ないと思いますけど、ちょっと全ての子にとっていい文化を築ける場所になってないだろうなという。制度側の問題と言うのは大きいんじゃないかなというのは思うところで。そこはやっぱり親御さんなんかも「ああ、そういうことなんだ」ということであれば受け入れやすいということはあるだろうなと思いましたね。
野村 「アカシヤ会」の場合はですね、学校との関係が整理つくと結構元気になっていくといいますか、つまりこれもとても乱暴な言い方だけれども、「学校に行かない」という選択をキチンと出来れば問題のかなりの部分が解決するんですよ。ですから親御さんがそういう風に思っていけることで「今度学校の先生とのやりとりでもこういう風に言ってみるわ」、という感じになってね。具体的な手がかりを掴んで帰りやすいんですよ。最後は笑顔になったり笑い声で話が弾んだり。やはり最初は、みんな身を縮めてますからね。例会の話し合いを進める中で実際そうやって不登校を体験した親御さんの体験談とか工夫を聞いて相当手がかりは掴みやすい。つまり学校との関係で無理に学校に行かないという選択肢がはっきりしてくれば結構解決していくんですね。
ところがひきこもりの場合が難しいのは「社会に出ない」という選択肢がなかなか出来ないわけです。不登校の場合「行かない」という選択肢ですけれども、ひきこもりの場合は「何かをしなければならない」ということの解答を常に求められる。親も、支援者の側も。で、答えが無いんですよ、それについては。そこの違いはとても大きいと思いますよ。
杉本 いや、明快ですね。その話は。うん。非常に深く頷きます。
野村 ええ。だからもう極論すればね。「別に働かなくてもいいんだよ」って。「一生家にいたっていいんじゃない?」って。極端なことを言えばですよ、そういう選択肢を本人も親も割り切って開き直って持てれば、だいぶ精神状態は良くなると思うんですよ。でもそれってとても難しいと思いませんか?
杉本 確かに難しいですね(笑)。
野村 まあ、非常に比喩的な言い方をすると、「行かない」「しない」という選択肢でかなりの部分解決するのが不登校だとすればですね、ひきこもりの場合は常に「何かやらなければならない」という解決を求められるのがあるわけです。
杉本 う~ん。つまりある意味では不登校の子の場合は親御さんが変わればだいぶ元気になる。ひきこもりは僕もずいぶん乱暴なことを言いますけど、親御さんが一生懸命勉強して、知識を得てもそう動きがない可能性もあるから、親御さんもなかなか徒労感が大きい、支援者の人も徒労感がある、というようなものかもしれませんね。