自分が楽しいと思う学び方の実践
加藤:ですから、大学院はもうひとつ「犯罪社会学」を専攻されている社会学の先生の所についていました。二足のわらじみたいな感じです。
杉本:犯罪「心理」ではなく、犯罪社会学?
加藤:そうですね。ですから、心理学一本やりというわけではないというのはありますね。
杉本:最初から心理を目指してたというわけではなくて、周縁から?
加藤:そうです。ただ、心理学の中では精神分析はすごく好きで、フロイトとかはすごく読んでたんですけど。でも当時精神分析は主流ではないので。
杉本:う~ん。一貫して主流ではないですよね?
加藤:そうです。ですから外に勉強しにとか行ったんですけど。
杉本:精神分析を外で勉強するとどこら辺に行くんでしょうか。
加藤:え~とね。上智大学に当時※小川捷之(かつゆき)先生という人がいて、勝手にもぐりで出たりしてたんですね。あとは和光大学に岸田秀さんがいて。その人の授業も。ちょっと満員過ぎて入れなかったんですけど。
杉本:やっぱり岸田秀さんは人気があるんですねえ。
加藤:当時※『ニセ学生マニュアル』という本があって。
杉本:(笑)はいはい。
加藤:浅羽通明(つうめい)さんという方が書かれていて。
杉本:浅羽通明。うん、私も読んでましたね。
加藤:そうですか。ですから、割とああいうのにかぶれた人たちはいろいろな大学にもぐりに行ってたんですよね。
杉本:やっぱりもぐりを実践してたんですね?あの人の本を読みながら。
加藤:あれはいいガイドですよね。
杉本:僕、ひきこもってた時に読んでました、ははは(笑)。さっぱり分からなかったけど、何か斜めに構えている姿勢とか。あと、※呉智英(ごちえい)さんとかね。マンガの評論とか好きだったので。あそこら辺の読んでました。よく意味分からないけど、何かこの人たち、学問にしても、マンガの評論にしても違う角度から見てるんじゃないかな、と思いながら。自分の問題抱え込みながら(笑)。自己逃避のために読んでましたね。
加藤:ですから、あっちでいうと中野とか、※「中野ブロードウェイ」の中にある古本屋とか、そういうところに行って。いまのようにネットが発達していないので、そこで古い雑誌をいっぱい買い求めるとか、サブカル系の雑誌を買い求めて悦に浸っているみたいな(笑)。それが大学4年とかですよね。あとは修士の頃かな。
杉本:いやでも、そう考えると本当に楽しそうというか。遊びとして(苦笑)というか。遊びとしての学びですよね。
加藤:そうですねえ。
杉本:自分にとって楽しくなれる勉強の仕方。それって、そういうのが通用したのかな。そういう姿勢で行っても。
加藤:学部時代はそういうことを語れる友だちはあまりいなかったですね。
杉本:ほかのかたは皆さん、ちゃんと主流に乗って勉強をやらなければならない、みたいな感じだったのですか?
加藤:いえ。大学院に行ったらそういうものにも興味がある人がいて。
杉本:歴史が浅いのも良かったんですかね?却って逆に。
加藤:あ、ただね。社会学のほうは歴史があったんです。なので社会学の先輩とかはもうそんな生半可な知識で行くと「お前がいかにものを知らないか」ということで徹底的に痛めつけられるんですけど。でもそれは、「ああ、この人すごい知ってるな」とか。いろいろ教えてもらったりして自分にとってはすごく新鮮だったんですよね。向こうはたぶんやっつけてやろうと思ったと思うんですけど。
杉本:いやでも、いまの話ってすごい典型的に懐かしい話ですよね。
加藤:だと思いますね。
杉本:ねえ。こういう世界があるということがいまのような若い人の息苦しさから解放できるモードじゃないかなという気がするんですけど。
知識を跳ばす
加藤:そう。それはいまの研究に生きてるかなと思います。僕はよく「知識を跳ばす」という言葉を使うんですけど。
杉本:跳ばす?
加藤:はい。知的なものによって救われる人ってけっこういるんじゃないかな、と思ってるんです。でも中学生への支援とかいうと、すぐ人間関係に注目する。暖かい情愛に基づいた人間関係みたいなところで手当てをする。それはもちろん効く人はいると思うんですけど、それよりも「世界はそんなに小さくないんだよ」と言って、もっといろいろと見て来い、みたいな。あるいはもっと知的に、それこそ哲学みたいなものとか、思想みたいなものとかで救われる人たちもいるだろうと思います。ですから、いまやっている研究なんかは中学生にデータをとらせてもらうんですけど、それを彼ら自身に見てもらって、「何でここで男女差が出ちゃうんだろうね?」というのを逆に彼ら自身に考えてもらうという授業をやらせてもらったりしてるんです。そうするとね。やはり中学生は自分のことに関しては関心がある時期だけれども、自分ひとりで自分のことを考えちゃうと、「悩むことに悩む・・・・」みたいになっちゃって。その無限ループに入っちゃうんです。でも、それをデータという形にして一旦外側に出して、客観的にみんなで考えてみる。自分たちのことでこのようなことをすると、中学生自身も割とノリがいいですね。
杉本:そうですか。じゃあまあ健全ですよね。僕らみたいな感覚でいくと、一回そういうのでみんなの前に広げてみて、みんなで話しあってみない?みたいにすると、相当緊張すると思うんですよね。
加藤:なるほど。ただ、データ自体はクラスの平均値という形で出すので、個人が晒されるわけではありません。あなたのクラス全体は、みたいな形で出しますから。あと、帰ってくる感想で毎回でるなぁと思うのは、「悩んでいるのは自分だけじゃなかったんだ」みたいなものです。
杉本:ああ~。。
加藤:そういうのはすごく多い。
杉本:うんうんうん。
加藤:だからすごく何と言ったらいいんですかね。誰もが経験することなのに。つまりそれはパブリックなことだと思うんですよ。自信がなくなるというのは思春期にみんな経験するのだけれども、でもそういうパブリックなことをすごくプライベートに処理しちゃっている。例えば性の問題もそうです。自分だけが性的に異様に関心をもっていて、異常なんじゃないか?みたいな。でも外にこんな事例がありました、こんな事例もありましたと示されたら、自分だけじゃなかったんだ、みたいなことがわかりますよね。
杉本:そうですね。
加藤:やっぱりどうやってそれを外の世界につないでいくか、みたいなことでしょうか。思春期は自分で考えすぎて、外界と繋がるメディアを失っちゃっているような状態なので、そういうのを少し知的に処理してつなげていく。自分たちに関するデータをそれに利用するというような形です。
杉本:僕は一応精神分析というか、セラピーという形で入ったんですよね。いまはもうはっきりと雑談してるんだ、という風に仰って(笑)、そんな形で話をしてるんですけど。やっぱり最初の頃はよく言われました。自慰にしても何にしても、自分ひとりで抱え込んじゃうキャラクターの人が、なんと言うか、昔はひきこもるという言葉はないけど、対人恐怖とかにしてもね。別にそんなことは誰でもやってることなんだけど、他人に話せない。自分ひとりだけがやっている「秘め事」のように考えてしまうところがあって、それは実は誰もがやっていると知ることでホッとするものなんだ、という話はよくしてくださいましたけど。
じゃあそれをね。まあ個別関係の対話ですから、それをどうやって部外でシステマチックにやってみようか、という話は聞いたことないですけど。だからその話は一歩先を行ってて面白いですね。僕の先生は古い世代ですから自分ひとりで抱え込まないで、グループがあって、そこでワイ談雑談、自分の恥ずかしいことで、「何だお前もやっているのか、俺も」みたいなことがあるものだ、みたいな。まあ「あるものだ」というのが前提になっている感じがありますけど、いまの時代、それはなかなかちょっと難しいのかなと。
加藤:そうですね。
杉本:ただ、同時に情報社会じゃないですか?何でもネットで拡散してて。だから知識としてはみんな共有してるのかな、という気も。そう思うんですけども意外とそうなっていないのでしょうか?
知的なショックにひっかかるのが思春期
加藤:たぶんそれもネットだと自分で選んでいるので、言葉が悪いですけれども、より自分は異常なグループに行っちゃってるんじゃないか?という感覚がある。ところがそれが、例えば学問として成立してるんだとか。例えば「性科学」という分野があるんだとか。例えばそれこそ哲学的に※ジョルジュ・バタイユみたいな人が考察してるんだということに新鮮な驚きをもったりとか。読んでみようかと。そして読んでみると日本語でも分からない部分や文章がある。「何だこれは?」みたいなのが、10人いると1人か2人は食らいついてこれるようになり始めるのが思春期じゃないか。それで救われる子もひとりふたり現われる。これはたぶん小学生では無理だと思うんですよね。
杉本:それはもちろんそうでしょうね。それはまだちょっとメタレベルで考えるのは難しいですよね。
加藤:そう。仰るとおりメタレベルだと思うので、自分で自分を意識できる「自意識」の発達だと思うんですよね。でも、思春期は、自意識が発達することで、逆にその自意識に自分自身がからめとられちゃうような時期だと思います。
杉本:ええ。
加藤:いわばいろんな問題を個人内で処理しようとして、からめとられちゃう時代なので。
杉本:ああ、それは僕自身もそうでした。
加藤:で、その自意識それ自体は悪くないと思うのですが、それに対してちょっと言葉は過ぎるかもしれませんけど、教育が対応できていないと思うんです。
杉本:はい?
加藤:つまり、その時代に子どもたちは発達的にすごく飛躍するわけです。にもかかわらず教科という中の魅力度は淡々としていて。
杉本:ああ~。面白くないですもんね。
加藤:そういうところがあるので。で、たぶん知的に先生たちも上げたいと思ってるんですよ。にもかかわらず、例えばまあ本当に「死ぬこと」というのは何なんだろうか?というようなことを考えてみたりとか、中原中也の詩とかもポンと出したほうがいいんじゃないかと僕は思うんですけど、もう少し後から出てくるんですよね。
杉本:難しいですからね。
加藤:うん。でもそれで、ドーンとショックを受ける子とかもいるかもしれない。「ショック」というのは悪い意味ではないんですけども、知的にショックを受ける。
杉本:うん。それは大事な。
加藤:ですから、何かちぐはぐな感じがしますね。でも、例えば好きな小説家とか、エッセイストを読んで勝手に自分でいろいろなものに出会っている人とかいますよね。中学生くらいの時に。
杉本:そうですね。はいはい。
加藤:それは自分で自己教育をたまたま出来たラッキーな人たちだと思うんですけど、まあそれをあまり学校教育でやるべきかどうか分からない。こっそりとやるからいいのかもしれないですけど。でもそういう思春期の知的な力をもう少し信頼してみたいな、というのが私にはすごくあります。
杉本:おそらく何かそういう試みって、何か本とかでは出てた気がしますね。例えば男子高校生のために読んでもらいたい一編、みたいな。要はそういういろんな人の作品を編集したものをまとめたアンソロジー本とかがあったような気がします。
加藤:だから知的に高いということは逆に言うとお金に余裕がある家庭であれば、たとえば私立の有名進学校とかではたぶんやれるのだろうと思います。けれど、ふつうの公立の学校の子たちで、例えば私みたいな研究者がたまたま来ちゃったみたいな感じのことで(苦笑)、多少知的なものに出会うこともあるかもしれない。そして自分たち自身のデータが入ったデータを分析して、みたいなことで知的なものに引っかかってくれる子もいればいいなあくらいな感じでいろいろやっています。
※小川捷之―(おがわ かつゆき、1938年 - 1996年)は臨床心理学者。北海道生まれ。実験心理学から臨床心理学に転じ、関東におけるユング派分析心理学研究の拠点となった山王教育研究所を主宰した。
※『ニセ学生マニュアル』―浅羽通明による、学籍がなくても講義を聞いてみたい人のための大学研究者マニュアルで、全三部作。人文社会科学から自然科学まで、著名な研究者の所属大学、授業、教室名、授業時間がすべて記載され、このマニュアルさえあれば、教室変更などがないかぎり、目当ての授業を目にすることができる体裁となっていた。
※呉智英―評論家、漫画評論家。京都精華大学マンガ学部客員教授。「儒者」「封建主義者」を自称し、進歩的民主主義文化人などを批判している。著書に『現代マンガの全体像 待望していたもの、超えたもの』『バカにつける薬』など。
※「中野ブロードウェイ」―1966年に開業した高級マンションと商業施設を併設したユニークな建物。マンガを中心にした古書販売店、「まんだらけ」に象徴されるサブカルチャーの聖地となっている。「まんだらけ」ほか、自主製作本を扱う「タコシェ」や、古本やポスター、カード、ミリタリーグッズを扱う店などマニアックな品ぞろえで知られる店が多く入店している。世界的な前衛芸術家、村上隆らが出店したギャラリーがあり、展示会などを催している。最近は国際的にも有名になっており、外国人観光客の姿もよく目に付くようになっている。
※ジョルジュ・バタイユーフランスの哲学者、思想家、作家。ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えた。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆した。著書に『眼球譚』『エロティシズム』など多数。