手を出すな、止めろ

 

――経済的損失が、ぼくは「国家のため」とつながったらやっぱり怖いなというか。実はすでにもうそうなってると思うんですよ。やはり人々も日本国にとってヤバいんじゃないかと。なぜだか知らないけど、国家観念がひとりひとりの中にも浸透していて。例えば国の財政が赤字で大変だというと普通の人までが同様に(笑)。本来俺たちと別に国家体制は関係ないはずなのに。。赤字が大変で生活保護の人たちへの受給額を下げますというと、みんなして「そうだ、そうだ」と思っている傾向がちょっと怖いですね。

 

原口:でも、すさまじい額の兵器を買ったりしているわけだから(苦笑)。つじつまが合わないじゃないですか。

 

――そうです、そうです。だから変ですよね。そっちのほうを考えなくちゃいけないと思うんだけど、何かそういうと「サヨクか?お前」みたいに言われちゃうみたいなね。疲弊しますね。

もうひとつ思うんですけど、アメリカと連動しちゃってトランプを怖いと思ってるんじゃないかと思って。ここまで来るともはや「属国」観念の話だと思うんですけど。そこまで来ちゃってませんか?ってたまにテレビで喋っている人間の話を聞いてて思う所なんです。

 

原口:ああ~。でも最近のテレビのコメンテーターやテレビの芸人にしろですね。たぶんまったくカッコ付きのちまたの庶民を代表して喋っているとはとうてい思えなくて。

 

――そう、何か庶民感覚を代表しているかのようなしゃべり口なんですよね。「私は難しいことは分からないけど」と言って。

 

原口:たぶんそれは庶民感覚なのかな?と思うことがあります。

 

――いや、そうですね。しこまれてる、みたいなね。

 

原口:だって関空が止まったときに経済的損失から心配するのは庶民感覚じゃないですよ。これでまた世界何位に落ちるとか、観光地に人が来なくなるとか。それよりもまず我々がビビっているのは突き刺さっている石油タンカーから石油が漏れないかどうかなので。一国も早く飛行機を飛ばすことが重要だとは誰も思ってないと思うんですけどね。そう思わされているということはあると思います。

 

実のところ、たぶん話の裏テーマになっているのはジェントリフィケーションというのはとにかく「変化しよう」というプレッシャーでもあって、でもじつはたぶん多くの人びとが求めているものは、なるべく変化しないこと、とどまることを求めているのであって、無理矢理に五輪の方向に動かされたりとか、そういうことを求めているわけではなく、「変化しない」ということにどれくらいとどまれるかということなのかなと思ったりもするんですけれども。

 

――昔々であれば成田闘争なんかは地元の農家のおばあさんとか、おばさんとかが自分の土地だから嫌だ、絶対動きたくない、という。水俣もきっとそうですよね。この間亡くなった石牟礼道子さんかな。要するに地元に根を張った者の抵抗ですよね。地元の言葉で、地元のシャーマンみたいになるという(笑)。

 

原口:たぶんあちらこちらで繰り返されているメッセージというのは、オリンピックもやめろですし、原発もやめろ、ですし。ジェントリフィケーションでは「手を出すな」ですから。基本的には無理矢理に動かされそうになるところをなんとか踏ん張って、一回もう「止まる」「止めさせる」ということがおそらく共通のメッセージになっていると思うんですね。すごく引いたところで何か共通のものがあるとすれば、石牟礼さんの話もそうですけど、共通の所で「手を出すな、止めろ」。一見すると保守的にも見えるけれども、そんなことはないというメッセージであって、たぶん僕らは何かラディカルなものを求めてるんだろうし、反ジェントリフィケーションや、さまざまな声にならない声、共通する響きみたいなものがその辺りに集約される。めぐっている気がするんですよね。

 

 

 

「変える」という言葉の空虚さ

 

――もう一回確認させてもらうようで申し訳ないですけど、2000年代の初めの頃、ジェントリフィケーションも新自由主義を駆動していた人たちって。なにかものすごくリベラルな感じに見えたりとか、「ネオリベ」と言うんですかね?個人主義的だけど、攻撃的に見えない、物柔らかいような口調で物を言う人たち。見るからに野蛮なキャラではない物腰で訴える人たちが。

 

原口:はいはい。2000年代の?

 

――2000年代くらいから、そのような動きがね。小泉純一郎という人もいろいろと矛盾を抱えた人物ですけども、ある面においては庶民的にも見えるし、でもやることは野蛮な民営化路線とか、新自由主義を推し進めちゃった人じゃないですか。だからこの辺りの「攪乱のされ方」と「目くらませ」のされ方ということもね。小泉政権の長期政権に通ずることだと思うし。けっこう今のアベさんって小泉さんのようなポピュリストの才能は全然無い人だけど、何か地続きの延長上の上に国家主義みたいなものを載せた。これは前に別の先生とも話したんですけど、民主党の鳩山政権って歴史的にどういう位置づけなんでしょうね?なんてね(笑)ちらっと話したんですけど。どう捉えたらいいのか?って思っているんです。結局自民党政権の別バージョンに過ぎなかったのかなと思ったりもするんですね。

 

原口:ああ~。この間にわかったのはひとつは「見せかけのマイルドさ」「腰の低さ」と、いざという時の警察力が矛盾しないことがありますね。もうひとつ共通するメッセージは、何かよく分からないんですけど、小泉以降変化する、変える、打ち破る、とりもどす。このあたりのメッセージは何をどう打ち破るのか。何を取り戻すのか。結局分からないまま、無理矢理に前向きな、それこそ…。

 

――何か革新的な。

 

原口:そうそう。内容のない進歩主義のスローガンですよね。

 

――ええ。ですから妙な話、リベラルな学者さんでも、「私は真の保守主義」みたいな人として出てくる人もいたり。

 

原口:(笑)それですら、反動の言葉もちょっとね、逆のバランス感覚をかならずとってしまうという。でも繰り返しテーマになっているキレイになっていくこととパラレルに思えるんですけど、変えることの内容のなさ。内容がないんだけどただ形式的に「変える」という言葉があふれている事態と、何が起こっているかわからないけど、ただひたすらキレイになっていくという、この本当に内容のない形式の表層みたいなことはどこかで表裏一体なんじゃないかという気がするんです。

 

――クリアランス、という話ですね。

 

原口:そうですね。

 

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コミュニケーションの濫用よりも、コミュニケーションの作法