玉石混合で面白い19世紀
杉本 いまの話を聞いてると、余談ですみません。フォイエルバッハも何か過渡的にはなかなか良いこと言っているような。
森 まあ面白いことを言ってます。だからその時代というのは本当に玉石混淆というか、いろんなものが出てきた。フランスだと「スピリチュアリズム」という流れもあったりしたし。そのスピリチュアリズムの中でも最も神さま寄りの人もいれば、カトリック寄りの人もいれば、そうではない人もいたりとか。
杉本 それは、汎神論みたいな?
森 みたいな人もいますね。そういう人もいるし、もっと合理主義的なスピリチュアリズムという人もいたり。そういういろいろな層があった。ただその一方で19世紀だなと思うのは、唯物論が大きくなっていく中ですごくオカルト的なものも流行ったりとかして。だから僕が19世紀面白いなと思うのはいろんなものが湧いて出てるんです。
杉本 そうですね。ある種知的ルネッサンスみたいな感じだったのでしょうか。
森 当時の教育の制度のあり方も面白くて。普通の制度化された大学の中でもまだ「リベラル・アーツ」というものが生きていた時代でもあって、何でも勉強するんです。
杉本 なんでも。いや、そうなんですね。だから僕すごいなと思うんですけど、クロポトキンにしてもバクーニンに関してもそう思ったんですけど。この人たち教養人なんだよねと。大杉栄もそうでしょうけど。何でも読んでいるというか、自然科学から社会科学から全部総合して。だから個別専門的に見ると現代からみたら、『相互扶助論』で生物に関して実際どうなんですか?って聞いてみたい感じもあるんですけど(笑)
森 今となっては、たぶんダメなところもあると思います。
杉本 ええ。でもすごいですよね。「全体としてみるんだ」という。アナキズムの理論を作るためには人間を知らなくちゃいけない、人間を知るには自然を知らなくちゃいけない、全部了解していこうという。何でも分かっていこうみたいな。だからデカイですよね。論文としても長いし。いまの専門分化した学問の領域の狭く深く突っ込んでいくというんじゃなくて、幅広く大きく全体像を掴む、みたいな感じ。
森 もちろん今ほどすごく専門化されていなかったというのもあって。
杉本 うん。粗いぶん。
森 だから勉強すればだいたい全部分かったみたいな側面はある。ただそういった知的な土壌みたいなものがやっぱ前提としてあったという側面もあるし、一概には言えないですけど。ただ何にせよどの専門の領域も難しいのは難しい。それを全部理解しようと努めた側面ではすごいなぁと思います。
杉本 やっている側としてはワクワクしてやってるんじゃないかなという気がしますね。
リベラル・アーツの大切さ
森 そうだと思いますよ。ただ日本もね。つい最近までは残っていた気がするんです。例えば*『思想の科学』みたいな雑誌が何で可能だったかというのはそういうことですね。
杉本 80年代くらいまでですかねえ……。
森 専門分化した果ての人たちだったかもしれないけど、武谷三男と鶴見俊輔とか、ともすれば右翼の葦津珍彦とか。いろんな人が一緒に議論できる土壌、バトル・フィールドがかつてはあったと思います。そう、だからいろんな人が知的に同じ所で語ることができる土壌はあった。意見が異なる人などとも喋っておかないと、進むものも進まないだろう、と。あと、やっぱなんでも知りたいという。
杉本 知的な欲望がねえ。
森 だからいまはそれが分断化されてしまってなかなか厳しいですけど。でもそれは不可能ではない気がして。それも全部知ることって無理だねって言い聞かされてるからそうなだけであって。実は修士課程に入ってから*ホワイトヘッドちゃんとやろうと決めて、数学を中2くらいからもう一回やり直したんですね。で、大学数学くらいまでは、そんなに難しいものでなければ、少しは理解できるようにはなりました、ホワイトヘッドは物理学でアインシュタインとは別様に相対性理論を作っているので、それくらいは理解しなきゃと思って。いちおう理解できるというか。まあ頑張ってその気になれば、そう大変でもないというか。だから何かすごくもったいなかったなと。これまで数学をあんなにつまんなく教えてきた高校の時の数学教師は犯罪者だと思っています(笑)。一方で最近になって数学や物理学がなんて面白いんだ、思うようになった。
杉本 僕はもう学校に対しては何も言えないですけどね。自分から身を引いちゃった人間なので。
森 いやいや。でも実は何でも出来る可能性はあると思います。さすがにいまの量子重力論とか難しくて私は太刀打ちできそうもありません。専門分化が進み過ぎてしまったいまの時代だとやはり出来ないこともあるんだけれども、でもやっぱり全部知りたいみたいな要求はあります。それはやっぱり、欧米の教育のなせるワザだったのかなと。イギリスとか、いまでも海外の大学で良いところは、要するに大学ってリベラル・アーツを学ぶ場じゃないですか。専門課程というのは大学院行ってやるわけですね。
杉本 なるほど。
森 なので、むしろ日本とか韓国とかそういった所だけ最初から専門ばっかりやらせてて。なにかもったいないなと。
杉本 本当に実学方向に進んでますよね。キャリア教育みたいな感じになってきてて。
森 もったいないですよね。
杉本 一般的には「リベラル・アーツ」ってどういう風に?自由に学ぶということなんですか?
森 日本で翻訳されると「教養」教育ですよね。あとリベラル・アーツそのものは大学という機関がパリとかが中心に中世以降に出来たときに自由七学科といわれる、修辞学とか論理学とかがあって、それらを学んだ上で、哲学や医学、法学、そして神学を学ぶんです。それらを学ぶ前提として、教養としてのリベラル・アーツというのが元々あったんですね。その意味では自由七学科というか、専門を使いこなすための自由な教養というか。
杉本 なるほどね。
森 詳細は覚えていたはずなのですが忘れちゃいました。(笑)
杉本 いえいえ、すみません。僕のほうが話をずらしちゃって。で、ずらしてずらして申し訳ないですけど、このバクーニン、クロポトキン。このロシアの人たち。この人たちってそういう学びかたをされてるんですか?
森 やっぱり貴族の学校だったので。ロシアのエリートを育成するとなった時には外国語だって学ぶ。要はロシアの貴族階級って全員フランス語もドイツ語も出来たので。
杉本 で、学ぶレベルもやっぱりヨーロッパのフランスとかイギリス並みの?
森 ええ。高かったと思います。
杉本 なるほど。貴族階級の人はロシアでは相当のエリート、インテリだったわけですね。
森 そういった人たちが最初にロシアで蜂起運動とかするわけです。途中でナポレオンのフランスに攻められながらそれに対して逆に侵攻していったら、何だ?フランスとか自由じゃん、ということに気づいて。こっちでもちょっと暴れようぜといって、革命の端緒になったというのはあります。
杉本 ああそうか。フランスを見て革命をロシアのほうに輸入したというわけですね。なるほどなあ。イギリスは革命の方向に行きませんでしたね。
森 そうですね。その流れみたいなのは細かく見ていくとたくさんあります。一般論というか教科書的には革命起こしてもダメだったから、とりあえず反動でもう一回元に戻してその中で王様の権限とかをあんまり無い状態で動かしたら何となくうまく行っちゃったみたいな。本当のところは細かく見るともっとたくさんあると思うんですけど。あんまりそっちには行かなかったのかなと思われます。
杉本 そういう意味ではフランスが一番すごかったことになりますかねぇ。徹底してやったという意味では。
森 フランス革命があったことによってそれが伝播していき、その後の世代は、そのインパクトをモロに受けた人たちが革命を目指して近代なるものを作っていったという意味ではそうですね。フランス革命の影響というのはすごいですよね。
杉本 いいところも悪いところも両方あったということなんでしょうね。
森 日本は革命起きたことないですからね。右翼革命はありますけど。
杉本 ん?
森 日本では革命が起きたことがない。民衆による革命というものがなかった。
杉本 ああ~。そうですねえ。いや本当にそうだなというか。だから戦後って僕、断絶してるもんだと思ってたんですけどね(苦笑)。実は断絶していなかった(笑)。しみじみと改めて最近思ってるんですけど。
森 むしろ中国とか韓国、朝鮮半島とか。もちろん、ベトナムとかもそうですけど、近代というのが強烈に持ち込まれた中で革命勢力みたいなものが沢山居たわけで、実際中国なんかは孫文が辛亥革命を起こしてそのあと袁世凱に持っていかれちゃった所があるんですけれども、そういった積み重ねといったものはある気がするし、韓国なんかは戦後だけみても民衆がすごい。
杉本 すごい蜂起しますよね。
森 力強い運動というのはずっとあるので。それはすごい学ぶべきというか。北朝鮮すら、みんな馬鹿にしますけど、革命起こしたわけですからね。核兵器も持ってるし。中国も北朝鮮も革命を起こした国であるという意味では全然日本よりは先進国ですよね。むしろあちらの方に先に近代が来とる。
杉本 だからその、何だろうな。あの~、「関心ないです」という森さんに仰るのは何かアレですけど、僕ら政治的な話とか全然出来んわけですよね(笑)。一般の人同士の間で。ほぼタブーに近いと言いますかね。だからなにかちょっと話したいなという気分の時にも出来っこないような感じがちょっとつらいなというのはありますね。やっぱり慣れてないって言ったらいいでしょうか。社会的なこと、政治的なこと、語り合うというのは。
森 まあでもサイトとかやってるとそこで話せる人が。
杉本 う~ん。でも口で喋るのと文章でやったり、例えばツイッターでリツイートしたり、ツイートしたりというのは、どうもやっぱり自分の中では違うなという気はするんですよ。やっぱり喋るというのも一種の運動だから。声を発するという運動だから緊張もするし、「これ言って大丈夫だろうか」。いまだってこう、話している質問の仕方も適切だろうかとやっぱり思う。だから一瞬の中で自分の中でいろんなことが起きているわけですね。まあツイッターは正直言って気楽なものですよ。「ああうまいこと言うね」と思ったらリツイートしちゃえばいいわけだから。そこに何か身体的なレベルでの感覚はほとんどないですからね。この辺の頭の先っぽのセンスだけでピッとやってる。やっぱり喋るとなるとセンスだけですまないですもの。
森 うん。政治の話はあまり。地元の人とも。
杉本 ちょっとしにくいでしょうね(笑)。
森 いやでも、何か聞かれたりして喋るみたいな。普通の時に「トランプ、大統領になっちゃったけど、大丈夫なの?」
杉本 政治に詳しい先生に、みたいな(笑)
森 「大丈夫なんじゃない?知らな~い」みたいな。やはり僕はそういうのが出ちゃうので(笑)。
杉本 さっきも友だちの家とか仰ってましたけど、こちらに遊びに来ちゃったりもするんですか?
森 頻繁に来ますよ。本とかもあげてますよ。『アナキズム入門』とかは。
杉本 元々、地元の人たちなんですか?
森 地元の人たちですね。
杉本 あ、そうなんですね。そこそこ識字率が高い人たちがいるということですか。
森 だいたい高卒とか専門学校卒です。大学行っている人は少ない。それは別にどの田舎もそうだと思うんですけど。
杉本 読むんですか?『アナキズム入門』なんて。
森 ああ~。だからいちおう彼らが読めるように、と思って書いたんです。
杉本 ああ~!なるほど~。
森 あと、それこそ若い子たちとかが読めるようにとか。
杉本 ああ、そうか。予備校の子も読めるように。
入試の勉強は土台としてよくできている
森 まあそんな宣伝してるわけじゃないですけどね(笑)。たまに「買いました。サインください」とか。「ああ、はいはい」と。「どう、読める?」と聞いたら「難しいっす」「え?これで難しいんだったらお前大学受かんねえよ」みたいな(笑)言ったりして(笑)。
杉本 あ、でもどうですかね?
森 難しいっすか(笑)。
杉本 というか、大学入試に出ます?アナキストなんて。
森 いや、わかんないですけど(笑)。
杉本 あ、内容ですか。内容がわからなかったらキツイよということですか。
森 (笑)これくらい読めなきゃダメだよという。もっと難しい文章が出ます。柄谷行人とか出ますからね。
杉本 えー!!
森 大学入試に出ますから。
杉本 本当ですかー!!
森 出ます、出ます。
杉本 なんでそれなのにダメなんです?(苦笑)。
森 (笑)いやそれはわからない。
杉本 マジですか。難しすぎませんかねえ?
森 う~ん。ねえ?何かイラッとするんですけどね(苦笑)。なんでこれ解説しなきゃいけないんだとかね。なんでこれが答えなんだ?と思いながら。
杉本 あ、答えが。
森 何でこれなんだろうと思ったり。
杉本 ああ~。センター試験に出るんですか。
森 センター試験とかも出ますし、私大一般入試でも出ますし。まあでも確実に回答は同定出来るように問題自体は設定してあるので、まあそれはそうだよねとしか言いようがないんですけど。
杉本 ああ、そうですか。間違いはないと。
森 間違いはないんですけど、「そこ聞くの?」みたいな(笑)そんな感じ、ありますね。
杉本 まあでも18歳の子にねえ。そんな深掘りしても(笑)。
森 でもたまに何か時間が余ってると。例えば内田樹なんかも試験に出るんですよね。
杉本 ああ、それは分かります。
森 で、僕、内田樹、大嫌いなので。
杉本 あ、そうですか(笑)。
森 内田樹を一通り解説して、ある程度君たちが導入として最初に読める本、社会的なものとかを語っている読みやすい本だと。「読んでみてね」といったあとに、「これはイカンな」と思って(笑)。内田樹を僕はいかに嫌いか。みんなが嫌いとかじゃなくて、僕が嫌いかと。最近は天皇がいいとか言い出してるから絶対に許せないとかという話とかしたりとかして。
杉本 うん。微妙なヒトですよね。
森 そういうこととかを語ったりはしますね。
杉本 鶴見俊輔さんとかは出ないんですかね?
森 出てるんでしょうけど。最近は見たことないですけどね。
杉本 読みやすいとは思うんですけどね。その割に奥が深いし。
森 たぶん出てるとは思いますよ。それこそちょっと前だと本当に良く出てたみたい。それこそ小田実さんとか。
杉本 そう、小田実さんね。
森 それこそ小田実さんは河合とかで教えてたんですよ。
杉本 石牟礼道子さんとか。まあ、私は読んだことないんですけど。
森 石牟礼さんはさすがにちょっと問題に出しにくいですね。日本語がおかしいから。要するに「石牟礼文法」なので。日本語でこれを何か同定するというのは非常に難しい。彼女の評論だったら可能かもしれませんけど。
杉本 そういう意味では日本語の国語、という標準は原則としてやっぱりあるんですね。
森 そうですね。むしろ渡辺京二さんとかは出しやすかったりはしますよね。
杉本 でもそう考えると現代的な批評家、評論家の人たちはちゃんと出てるんですね。
森 ある程度出てますね。
杉本 いや、不思議だな。僕、それくらいのね。いつもすごく思うんです。こんなに難しい問題解けて大学に入っているのにどうして政治的な話題、「わかりませーん」みたいな。街の、あんなものは編集してるからに決まってますけど(笑)。話聞いてもこのレベルなのか?ってやっぱりね。独学の僕のほうがまだもっと言いたいことがあるはずだ、って思っちゃうんですけどね。不思議だな。入試勉強だからそうなっちゃうのかしら?忘れちゃうとか。
森 それもあるかもしれないですよね。でも大学入試の勉強って確かにその大学以降の基礎に絶対なってるので。例えば政治経済にせよ歴史にせよだいたいわかっていればちょっと脚の生えた部分を研究してそこを肥大化させることになってるので、入試のお勉強そのものは基本的には別に間違ってないというか。問題には間違い云々あるかもしれませんけど、入試のお勉強そのものは土台としてしっかりしてるなあという気はしています。いざ自分が教える側に立つと良く出来てるなあと思います。まあ漢字だってそれなりに読めるようになり、文章の構造が掴み取れるようになり。
杉本 本当に若い人たちの潜在的、ポテンシャルは高いんじゃないですか?
森 うん。高いと思います。
杉本 センター試験にあれだけの問題が出て、解けているということを考えたら。で、50%くらい行ってるんですかね?もう。大学の進学率って。
森 う~ん。まあ。
*『思想の科学』―1946年から1996年まで刊行された日本の月刊思想誌。1946年、鶴見俊輔、丸山眞男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧、鶴見和子の7人の同人が先駆社を創立し『思想の科学』を創刊した。
鶴見俊輔は、丸山ら5人について、「その人たちは、この戦争反対する立場を持っているということだけで精一杯で非常に孤独を感じているから、大変に心を開いて彼女(鶴見和子)と付き合ってくれたわけだ。それが『思想の科学』のオリジンだね」と語っている。(ウィキペデアより)。出版社はその後建民社、講談社、中央公論社と変り、のちに思想の科学者から自主発行する。
*ホワイトヘッドー(1861~1947)。イギリスの哲学者・数学者。ラッセルとの共著「数学原理」で記号論理学の確立者のひとりとなった。晩年は「永遠の対象」を措定し、有機体論的自然観に基づく独自の形而上学を唱えた。