民主主義のためのアソシエーション
渡部(ス) その「仲間」というのも僕の中では目的達成のための仲間だけじゃないところをちょっと考えたいと思っていて。
田口 はいはい。長期的に一緒にやっていく場合ね。そうそう。ある特定の目的だけじゃなく。
渡部(ス) 目的のために集まることもあるけど、それとは別に。社会とか市民とか、使い方は良くわかんないんですけど(笑)。少なくとも同じような枠組みの中で生きていくつもりがある人達という。
田口 うん、そうそう。それはね。えっと、私がやっているヨーロッパの国はそういう考え方はかなり発達しているわけですよ。「アソシエーション」*1というのかな。アソシエーションを作る。あの、「アソシエーションとデモクラシー」というのは、あまり話さなかったんだけど、非常に重要なテーマで、「ひとりと国家」というのはフランス型なんだよね。
渡部(ス) ああ、そうなんですか。
田口 うん。そうじゃなくて、ひとりじゃダメなんで。グループを作ってそのグループで動いていくという。それが大事だということ。そのグループも労働組合なんかは、目的だけじゃなく、目的はあるんだけど、一緒に暮らしているわけだよね。「炭鉱住宅」みたいに。だから日常生活を一緒にやっているからね。ストライキのときは一緒にストするけれども、それ以外にいろいろやっている。すると、「仲間意識」が育っていく。それが大事なことなんだね。
渡部(ス) たぶんそういうものを少なくともなにがしかの形で考える必要がある気はしていて。それまでのままだと何か問題があるから、いまの形に自然に移行していることもきっとあると思うので。個人的には人間関係とか、かかわりを作る、集団を作っていったりすることのほうが極めて難しいので、もっとそこに力を注がなくちゃいけないというか。もっとその優先度をあげてもいいんじゃないかという気はしてるんですけど。「もっと意味のあることをしろ」というよりは。あの、最終的には何を言いたいのかよく分からなくなってきましたけど(笑)。
田口 ははは(笑)。何か哲学的にはあれでしょ?何だっけ?内的必然性だっけ?主体的必然性だっけ?
渡部(ス) 「主観的な必然性」(笑)というのを。感じたい、と思っているのですけれども(笑)。
田口 で、それと見合った形で自分が人とどう人との関係を作ってみるかという話だね。
渡部(ス) その主観的必然性をどこから持ってくるかということがまだよくわからなくて。未来からとか、その時間内での可能性とか、どっから取ってきたらいいかわからないですけど。とりあえず時間的なものは長くとったほうがいいんだろうという気はしてるんですけど。いま現在を切り取ってその中での合理的な必然性に従おうとすると、僕の中では客観的な必然性の分野に入っちゃって、そのことで決められることって、すごく短期的なことだと思うので。
田口 はい。客観的な必然性というのは要するに「振り回される」ということだね。
渡部(ス) だから、どんなにこっちが効率的だといわれても、「いまこの時は」でしょ?というか。
田口 うん、そうそう。
渡部(ス) それに従って生きてきた結果、十年後どうなったかというのはその選択とは何にも関係がなくって。
田口 うん。その通りだね。
再帰的近代と世界倫理
杉本 最近よく使われる言葉で「再帰性」という言葉が社会学なんかではあるみたいですけど、再帰的な傾向性が強くなってきているというのはあるんですかねえ?
田口 うん。それは文化がある水準まで行ったらみんなそうだと思うよ。
杉本 そうなんですねえ。うん、うん。
田口 あの~、えっと。ちょっと話が外れるけど、三浦 展(みうら あつし)という人が消費社会のことをやってるんだけど、その人が最近何かに書いてるけど、日本の大衆文化は「クラシック化」した、という話でね。どういう意味かというと、手持ちの材料で。だからカヴァーで次々とね。つまり手持ちの材料で間に合うくらい豊かになったという話なんだ。それは音楽の世界だけど、それ以外だって全部そうなってきてて、そうすると全部それは「リフレックス」(Reflex)なわけですよ。再帰性なんですね。
杉本 あ、それが再帰性?
田口 うんうん。で、社会学の場合「再帰的近代」という言い方をしてて、近代は直線的に進歩するように見えて、実はそうじゃなくて、実はジグザグだったから。ジグザグの所でもう一回「近代」自体を反省して、また進んでいく。そういう話なんじゃないですか?ウルリッヒ・ベックとか、死んじゃったけど。彼なんか環境問題やってて、近代の初頭なんかは環境問題なんて全然関係なくてすんだけど、ある段階になったら考えざるを得ない、と。
杉本 ああ、それも再帰的近代の考えかたなんですね。
田口 そうですね。「再帰」というのは「リフレクティブ」ということだから、「反省」という意味もあるわけ。
杉本 うん、うん。
田口 振り返る、振り返ってみるということ。
杉本 確かにそうですよね。先進国になっていけばなっていくほど、そういう風なこと。「新しい倫理」という言い方も妙かもしれないが、何かそういう、モラリステックなことを提案していく。で、第三世界から「それは自分たちには即時に無理だ」みたいな。まあ、環境問題なんかそうなんでしょうけど、そういう風なのはありますもんね。これから先進国並みに物質的に自分たちも豊かにならないと大変なのに、環境のことを過度に要求されても困る、という風に第三世界の人たちは言うけれども、方向的にはいわゆる再帰性みたいな考え方が先に進んでいく、ということなんでしょうか。
田口 うん、そうだね。
渡部(ス) モラルというと、自分と自分の属する集団にしか求められないんじゃないですか?
杉本 場合によってはそれは言えるかもしれませんけど、結構モラルが広範に通用するもんだという流れもありますよねえ。
田口 あの、世界宗教、協力する運動という。前紹介した、キュングさんね。彼なんか「ベル・エートス」というか、世界のエートスというか、倫理の共通のものがあるはずだという。すべての宗教に。
渡部(ス) じゃあ、それを作るんであれば、世界の人が属す集団を想像しなきゃいけない。
田口 そうそう。「人類」だね。
渡部(ス) その「人類」を想像して、実際にそうできてる状態がないと、その倫理は成り立たないんじゃないか。
田口 うん。まあ、どうなんだろうね。まあ、人類80億、70億近くいるから、それを全部同じ倫理で同じになるというのはあり得ないわけだからね。だから「はみ出し」は沢山あると思うけど、だけど最低限、人は殺さないとか、そういうのはできるんじゃないのかね。
渡部(ス) その最低限の部分を共有するには、どうも例えばいまの資本主義の仕組みとかでは難しそうな気がして。それとは別のことも、もう少し考えてみる必要があるのかなと。
田口 はい。そうですね。経済の話もしてみようか。このキュングさんの話も。ああ、まだ日本語の翻訳は出ていないか。ちょっと検討してみますか。
渡部(ス) 前調べたときは翻訳はなかったですよね。
田口 うん。ドイツ語、やる?
渡部(ス) ドイツ語やるなら僕は全然(笑)。頭がパンクするかもしれませんけど。
杉本 うわ~(笑)。
渡部(理) (笑)。
渡部(ス) でも、やれる機会というか、こうやって話ができるなら幾らでもやります。
田口 ハンス・キュング*2さんの本、翻訳してみるか。
渡部(ス) やりたいです。
杉本 ありがとうございます。定義がちょっと難しい話だったかもしれませんけど。
田口 まあ、だって正解のない世界だから。いろいろ話してもね。
杉本 そうですね。ではこれを今回の座談とさせていただきます。ありがとうございました。
(2015年6月19日 NPO法人 Continueにて)
*1 アソシエーション 個々人の共通の関心や目的を軸として集まった機能的集団。会社や非営利組織などが該当する。一般的にコミュニティ、共同体の対義語である。
*2 ハンス・キュング (1928年 ~ )は、スイスのカトリック神学者。1970年にローマ教皇無謬論に異論を唱え、物議をかもした。神学者として改革的な立場を示し、離婚や人工中絶を支持した。
田口 晃 (たぐち あきら)
北海道大学法学部教授、北海学園大学法学部教授、放送大学客員教授などを歴任。専門は比較政治学。NPO法人NPO推進北海道会議代表理事も務める。
主著:『ウィーン』(岩波新書)
『西欧都市の政治史』(放送大学教材)
『ヨーロッパ政治史ー冷戦からEUへ』(放送大学教材)
など。