この4月1日から「生活困窮者自立支援法」が施行されます。関心がある人にとってはいよいよ、という感じでしょうが、実際には耳なじみがないな、という人が多いかもしれません。
端的に言うと経済的困難や社会的困難で生活jの中で困りごとを抱えつつも、今まで相談する場を持てずにきた人に対し、行政が相談窓口を設け、困っている人たちの生活相談に乗り、適切な支援のアプローチを行う制度です。
行政が生活全般の相談支援を行うという点では斬新な立法となります。ただ、サービスは全国一律ではなく、地方自治体の裁量ベースになりますから、自治体によってその相談支援活動やサービスの質にかなりの幅や違いが生じる可能性も否定できないでしょう。今は助走からのスタートという感じでしょうか。
今回のインタビューは、釧路で同制度のモデル事業を全国で先駆けた一般社団法人に勤めつつ、本制度実現に関する厚労省特別部会の委員も勤められた櫛部武敏さんです。櫛部さんは、長く釧路市の生活保護行政のケースワーカーを勤め、生活保護自立支援モデル事業に関わり、先駆的に受給者の方々のボランティア的中間労働や、生活保護世帯の子どもたちの学習支援を行い、受給者の方も教える側にまわるという「支えられる側が支え、支えるものが支えられる」循環型福祉の『釧路モデル』を民間組織と協働で確立し、全国でも注目をされた活動の役割の中軸を担ってきました。その取り組みの成果が本制度の「官民協働」の取り組みへ参照されているといえます。
その櫛部さんに本制度について、そして今後の釧路市でのこの取り組みへの熱い思いと、後半はその「櫛部さん」という魅力的なキャラクターに迫りつつ、その豊穣な人生観まで語っていただいた濃密な内容となっています。ロングインタビューですが、是非ご覧になってください。 (編集:杉本 賢治))
生活支援体系としての困窮者支援
櫛部 生活困窮者自立支援制度というのはネーミングが良くないけれど、本質を言えば「生活支援体系」なんです。ですから単に経済的に困った人だけが対象ではないのですが、そういうネーミング故に何となく生活保護対策、という非常に狭く受け止められている傾向がありますね。
「ライフリンク」というNPOが自殺された人の調査をしたのですが、その結果、危機の経路というのがあるというのです。単に失職したらすぐ死ぬということではなく、例えばその間に仕事を起こしてみたり、失業したけど頑張ったのですが、それが上手く行かなくて借金になったとか。あるいは家庭不和になってしまったとか。そしてその結果としてうつになっちゃうとかですね。やっぱり「経路」と「危機」。危機にいたる経路というものがあるというのが1000人調査の中で明らかになったわけです。
■ はい。
櫛部 いままでの制度って人の断面だけ見ますよね。「失業したんですか?」。じゃあハローワーク行って仕事を探しますか。起業したんですか?起業をしたらこんな制度あるけど、ちょっとおたくの場合は当てはまりませんね、とか。ところが御本人にしてみれば自分の生活の中でひとつの線でずっと行っているわけです。いままではその線の間のある断面だけを見ていた。だから本当は危機の程度や、その連関というものをヨコで見ないと分からないわけです。たまたま制度に乗っかったとか、乗っからないとか、そのプロセスのなかのある時点にだけ少し関わったり、制度にはないからウチは関係ない、と言って終わっていた。それはその人の、自死に至る進行形を結局食い止められていなくて、その結果どうなるかというと、自死を考えて4年後に亡くなっていたり、女性の場合では約8年で、という結果が出てるんです。
■ なるほど。
櫛部 まあ、典型的ないまの様ざまな制度は、該当する人にはいいんだけど、しなくなった途端にもう「関係ない人」になってしまうんですね。そこをどうやってつないでいくのか。そういうことなんだと思うんです。
■ そうですね。
櫛部 そういうところがまだあまり認識として一致していないから、一人ひとり懇切丁寧に「寄り添って」「伴走して」というようなことを言い続けているのはそれがあるからです。で、現行の制度だけ見ると、一人ひとりに寄り添う、というメニューはないんですよ。役所に相談に来た。う~ん、該当しないからちょっとウチではないわ、とお引取りになっておしまいなんです。
■ ええ。
櫛部 それではちょっと駄目ですよね、という考え方がまずひとつあります。それからもうひとつは、「共生型社会」ということがまだ日本の社会モデルとして認知されてない。国も「そうだ」と言ってない。まして地方自治体もそうだとは言ってない。そこが大きな問題だと思うんです。だから人によっては生活困窮者自立支援法というのは生活保護にしないためのものだという風に受け取られる。つまり「防貧」ではなくて、やや「救貧」的な形で受けとめている。積極的なものじゃなくて、保護に至る前のところでせき止めるんだ、というようなイメージ。そういう理解の人もいるのかなと思っています。それがいまの現状だと思います。ただ、それではこれからの地域を考えた場合、私もあと10年経ったら団塊の世代なので75歳になる。その世代が全国的に多くなる時代に入ったときに、やっぱり人は気づくんじゃないか。そういう気はしますけれど。
■ つまり「第二のセーフティネット」という言い方をされてますよね?仰ったとおり、それが「共生社会」のとば口になる制度にしていくのか。そうではなくて、生活保護に陥らないやっぱりネットなんだと。生活保護に至る前に何とかしよう、という形の支援というのでは法の理念とは違ってきますよね。ですから僕はちょっと理想主義的な発想で。やっぱり個人と社会の意識、関係を捉え返すというか。それは余りに理想主義的で(笑)法律に馴染まない発想かもしれませんが。ただ、今回の法制に関わった有識者の方々はそういう理想を持っているんじゃないのかな、と思ったんですよね。
櫛部 ええ。どんな人でも、例えば生活保護を受けていたり、あるいは障害を持っていたり、半就労半福祉的な仕事をされておられても、まあ様ざまなマイノリティの方々もそうなんですが、どんな人も認められて生きているということを認めていく社会ということなんだと思うんですよ。それが「社会」ということなんだと思うんですけれども、それがやはりいろいろな昨今の状況の変化で揺らいでいる。国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩さんが先日の日経新聞で指摘していて非常に面白かったのは、「社会の連帯」。それがこれから非常に大事だし、格差という問題を*ピケティ氏が提起して、もう一度日本の中に火がついた点でいえば素晴らしいことであるけれど、けして欧米のように1%の人が富のほとんどを持っていく構造は日本ではなくて、むしろ日本の問題は貧困層の拡大問題なんだと。つまり欧米ほどには日本は、まあもちろん富の集積は数%にあるでしょうけど、欧米ほどの酷さはなくて、むしろ生活保護を受けている子どもがまた生活保護を受けざるを得ないとか、様ざまな貧困の状態にあって、例えば食事からいろんなものが厳しい状態に置かれているとか、それが再生産される「貧困の連鎖」ですね。そちらの問題のほうが大事ではないか、と言っている。
■ ああ~。
櫛部 ピケティはどうしても富の集積のほうが大きいんだという。もちろんそれは日本にだってあるけど、日本は貧困の格差の問題だ、って阿部彩さんが言っているのは非常に素晴らしいと思います。
■ あの~、いまでもおそらく「中流幻想」って中年以降の世代って持っていますよね。だからこそ、ひきこもりの若い人とか、ニートの人に対してももうちょっと頑張れば何とかなるだろう、努力だよ、っていう風なことを簡単に言ってしまいがちになるのは、やはり自分たちの歩みの中で努力すれば何とかなった意識から抜けられないというか。つまりヨーロッパ的な生まれながらにして常に「持っている人と持たざる人」が固定化されている形である種の階級的連帯意識が出来ていくのはけして幸福なことではないですよね。それで、阿部彩さんが懸念されているのはだんだん日本もそういう欧米的な貧困の連鎖みたいなことが社会的な固定化となって、一種の文化伝統になってしまっては大変なことになる、という問題意識があるのかなあ?といま聞いて思ったんですけど。
櫛部 うん、阿部彩さんの「格差分析」は貧困問題のことを言っている。格差の質がちょっと違った視点があるということと、したがって富める者と中間層の対決構造に流れるのではなく、16%の貧困層と将来世代を社会全体で支えていく、。その脈絡で「負担の覚悟をすべき」。社会の連帯を築くことが大事だと仰っていて、それは素晴らしく良い視点だなと私は思っています。
■ 最近出た櫛部さんへのロングインタビュー本(『釧路市の生活保護行政と福祉職・櫛部武俊』 以下、「福祉職・櫛部武俊})を読ませていただいてからずっと考えていたんですけれど。これは最後のほうでお話させてもらおうと思ったんですけど、あえて先に言っちゃいますけれども、やはりバランス感覚みたいなものをとてもお持ちだなあという印象が一番強い読後感だったんですよね。そこら辺をすごく感じるところなんです。
櫛部 いや、率直に言うとチャランポラン(爆笑)。
■ いやいやいや(笑)。なかなかでも、それは大変なことなんだろうと思うんですよね。
櫛部 ああ。はいはいはい。
■ あの~、方向性はこっち、みたいな風に考えちゃったほうが人間、揺らぎがないほうが精神的には楽といえば楽なところがあると思うのですよ。
櫛部 いや、その話の流れで行くと、ある人が65%の立ち位置が大切だと言うのです。役所に対しては官民協働といったって、役所とか公的な部門に対してはもうちょっと「こうじゃないか」ということはやっぱり言うべきだと。ただ、70%になってしまったらもう倒れてしまう。
■ 役所が?
櫛部 いやいや、反対側が。
■ ほう。
櫛部 もう「反貧困団体」みたいになってしまって、もうそれ以上起き上がれない。つまり協働は無理。だから65%という線を言ってて、非常に絶妙だなと思ったんです。
■ なるほど~。かなり微妙で、具体的なパーセンテージですね(笑)。
櫛部 だからそのバランスですよね。それくらい少しいろんなことがね。「公」としてはもっとここを知りなさいと。もう少しこうしなさいということはあってしかるべきです。いくら官民協働であるからと言って何でもうけたまわるように、あるいは委託/受託関係だから何も言いませんではなくって、自立的に言うべきことはちゃんと言っていく。但しそれは65%だろう。これが70%になるともう潰すといったら語弊があるけれど、一緒に手を組む相手ではなく批判する相手にしかならないという......。そのバランス論からいまちょっと思い出したんだけど。
■ うん。絶妙な間合いみたいな感じですかねぇ。
櫛部 うん、うん。それを僕はこの次の一年は、それがどういうことなのかということを、まさにバランスで見ていくということを凄く重要なポイントにしていますね。自分のコアなところとしては。
■ 最初のほうにひとつの結論をいただいた感じが(笑)。
櫛部 ははははは(爆笑)。それ、そこは重要ですよ。そのためにはただ表面的なやりとりじゃなくて、本当に役場が思っていること、役場が気づいていること、あるいは弱点もあるかもしれない。民間の側だって同じことが言えるわけです。それをちゃんとニーズというか、実体というか。それをよく掴みながら長く、お互いに合わせていくことがすごく大事で。それはなかなか苦手なんですよね。罵倒、打倒することはみんな得意なんですけど。でも、本当に議論して新しい文化をね。どう作るか?というのはもう困窮者支援制度、あるいは「生活支援体系」の非常に大事なバックボーンだと思っていますね。
* トマ・ピケティ(THOMAS PIKETTY)
フランスの経済学者。1971年生まれ。パリ経済学校教授、社会科学高等研究院(EHESS)教授。2013年出版した 『21世紀の資本』みすず書房)が世界的なベストセラーとなり、ピケティの格差社会論が昨年から日本でも注目される。