不登校新聞の転機

 

杉本:それで、不登校新聞ってやっぱり新聞ですから、紙版で出しているというのが本業としてありますね。

 

石井:はい。

 

杉本:で、今はソーシャルネットもやってますよね。ツイッター、フェイスブック。そうすると情報が、不登校新聞のHPなどには情報がたくさん載ってて、かなり興味深い、時代に即したひきこもり情報とかもでてきますから、Web版で読みたいなという気持ちがあるんですよ。ちょっとこれはぼくの個人的な願望なんですけど。そこに関してはクレジットカードがないと難しいようで…。

 

石井:確かに。

 

杉本:カードがないとWeb版で読めないようですね。昔のアーカーイブも読みたいっていうのもあるんですけど(笑)。そこは?

 

石井:そうなんですよね。あれは我々がどうすることもできないシステムで。

 

杉本:あ、そうなんですか。

 

石井:作っている企業さんがそれしかダメということでやっていて。

 

杉本:なるほど。

 

石井:私たちとしても色んな形で読める方法は出したいのですが、全然ダメみたいですね。

 

杉本:そうするとクレジットを使えない人は紙版で読むということですよね。

 

石井:そうですね。

 

杉本:Web作る作業とかは外部の方に頼んだということ?

 

石井:そうです。システムに関しては外部で。ですから、クレジットのほうもちょっと素人が手を出せるところではないので。IT企業に勤めていた方がNPO用にWebマガジンを発行できるシステムを開発してくれまして。

 

杉本:あ~なるほど。

 

石井:で、今は運営会社は変わったんですけども、そこと一緒に立ち上げ時からずっと一緒にやってきまして、不登校新聞のWebマガジンを一緒に育ててくれたということですね。

 

杉本:なるほど。で、読者の層なんですが、まあ不登校経験をしてきた若い人とか、あるいは現状不登校していますという当事者の人よりは親御さんのほうが購読者が多いと?

 

石井:もう9割ぐらいが親の方だと思いますね。詳細な統計は出していませんが、私たちの調査では、読者は。おそらく14歳から17歳の子をもつ親が一番多いです。なので、年代としては40,50代の母親が多いのではないか、と。

 

杉本:そうですか。一時期は部数がかなり落ちたんですよね?800部台ぐらいくらいまで?

 

石井:そうなんですよ。820部ですね。2012年の4月の段階です。

 

杉本:そうですか。ユーストリームでみたことあるんですが、山下耕平さんと勝山実さんらがいて、結構石井さんにきつかったなという(笑)。

 

石井:なんかねえ。

 

杉本:あれは不登校新聞をもう一回盛り上げよう、みたいな企画でやった映像配信ですよね。あの映像配信も結構長かったですけど(笑)。

 

石井:(笑)なんかお互い言い合って終わっちゃった気が。なんかきつく責められて・・・

 

杉本:そうそう。石井さんが守りとして一所懸命しゃべっていたなあ。そりゃあ大変だもんなあって思って…。

 

石井:(笑)。

 

杉本:あそこでひとつ、私の中で「う~ん凄いな、石井さん」って。ドラマチックだなあって思って見てたんですけどね。

 

石井:あの頃が一番そうですね。休刊危機のことでいえば、1100部ないと存続できないと言われていて。で、私たちもずさんで気づいたら820部まで落ちていて。大きくいえばその前の年の震災が尾を引いて新規購読というのが少なくなってしまったのもありました。

 

杉本:わかりますね。

 

石井:でまあ、そもそも厳しかったんです。部数は、どんどん減っていって、820部まで落ちて休刊危機というか休刊宣言ですね。「9月までに300部増、1100部にまで戻せないと休刊しますよ」という宣言をしました。もちろん、それは9月までの半年間で「なんとかがんばりますので、ご支援を」という意味でもありました。

 

杉本:そこでいろいろな頑張りの具体的な作業が始まったわけですね。

 

石井:そうです。まさにそこからですね。そのときに決めたことの一つが「全部を正直に話す」という点です。あの動画でもそうですけど部数に関しても、本当に実売数で発表しています。これは出版業界ではあまりないことですが、聞かれれば、いつも一部単位まで答えています。

 

杉本:ああ、実数で。

 

石井:ええ実数ですね。で、業界的には実数の2~3倍ぐらい多い部数を「発行部数」と言ってもいいらしんですが。

 

杉本:(笑)そうなんだ。

 

石井:それは細かいことなんですが、ほかにも、休刊危機以降は、いろんなかたちで「読者の声を聞く」ことを基本線にして建て直していった、と思っています。声を聞くというのは、アンケートであったり、電話調査であったり、あの~、もう一つ大きいのが、Web分析ですね。

 

杉本:それはいつから始めたんですか?

 

石井:Webは2013年からです。Web版を発行して増やしたというより、Web版によって各記事へのアクセスが如実にわかったことは契機になりました。いったい何の記事が読まれていて、何の記事が読まれていないのか。

 

杉本:はいはい。

 

石井:それも一つの声として真摯に受け止めています。当然アクセスが少ない記事は書かないという意味ではありませんが、何が求められているのかは自覚しなければいけません。読者の声に向き合おうとしていってからは、自然と部数が伸びていったなと思ってます。

 

杉本:2012年の4月に休刊宣言をして半年後ですか。実質1100以上に持ち直さないと休刊しますということで、まあ持ち直しはしたと。

 

石井:はい。

 

杉本:ということで次なる戦略としてWeb版を次の年から出すと。

 

石井:はい。

 

 

 

不登校新聞とひきこもり

 

杉本:なるほど。貴重な情報ありがとうございます。で、ひきこもりに関してなんですけど。98年当時ひきこもりって、「社会的ひきこもり」を斉藤環さんが書いたのが98年ということであって。

 

石井:そうですね。正にそうですね。

 

杉本:まだひきこもりという問題があまり意識されていなかったと思うんですね。

 

石井:ええ。

 

杉本:だからやっぱり不登校っていうことにスポットを当てたのが不登校新聞創設だったんだなっていうふうに思うんですよね。で、その後にひきこもりのことも取り上げられる。そしていま「不登校とひきこもり」の不登校新聞という印象が非常にあるんですよ。もちろん僕の本も取り上げてくれたこともあるんですけど。

 

石井:ええ。

 

杉本:ひきこもりのことも問題として取りあげようと思ったのはいつぐらいから始まったことなんですか。

 

石井:そうですね。まさにその98年当時は、私自身は10代だったので、スタッフではなかったのですが、ずっと「ひきこもり」ではなく、「閉じこもり」と言ってた時期がありまして…。

 

杉本:ああ、なるほど。

 

石井:「ひきこもり」と「閉じこもり」という言葉を比べて、どちらを使うか悩んだ末に「閉じこもり」に不登校新聞の表記を統一していた時期がありました。

 

杉本:ということはそのころから、そういう人たちがいるっていう認識はもう既にあったと。斉藤環さんが言及して普及する前から。

 

石井:そうですね。不登校新聞の母体をさかのぼれば、代表の奥地が自分の子の不登校をきっかけに「不登校を考える会」をつくったことにつながります。設立は30年ほど前ですが、設立当初から20代30代の「閉じこもり」はテーマになっていたらしいです。ちょっとそれを証明する資料はいま手元にはないんですが、当時から「話されていた」と聞いています。もちろん、考える会は奥地が小児科医の渡辺位(たかし)さんとの出会いを契機にしており、小児という範囲が起点になっていたとは思います。

 

杉本:まあ入り口としては不登校新聞ですし、不登校がどんどん増えていく時期ともバッティングしていると思うんですが。

 

石井:そうですねえ。

 

杉本:正にやっぱりニーズはそちらに、っていうのは本当によくわかるところなんですよね。で、やっぱりひきこもりに関しても記事の中に込めなくちゃいけないと思ったのは2000何年くらいから意識されたことなのですか。

 

石井:え~と、はっきりと意識したのは2000年の新潟監禁事件・・・

 

杉本:ああ、早いですね結構。2000年。

 

石井:そうです。波がいくつかあるんですけども、私たちといいますか、これは私自身の考えですけれど。

 

杉本:はい。

 

石井:私自身の中で不幸だったか幸いだったかわからないですが、先ほどお話しした吉本隆明さんの取材が2001年です。私の就職直後です。吉本隆明さんの言説は、『ひきこもれ』(だいわ文庫)に書いてありますが、いわばひきこもりに対する大元の原理ですね。ほぼ「ひきこもり問題」を喝破している。私たちの取材に対しても「ひきこもらなければ人間の器は出てこない」と言っていました。いわばひきこもり肯定論の大原則を吉本さんは仰っていたんです。これを聞いたがためにちょっと、「ああ、ひきこもりへの取材はこれで終わりだな」と…。

 

杉本:はは(笑)。

 

石井:なんかね(笑)。吉本さんの話を聞くと、社会が導き出せないひきこもりへの問いを吉本さんに答えられ切ってしまったな、と。なんだか、これ以上の「ひきこもり取材は必要ないなあ」と思ったのが当時の率直な思いでしたし、実際に私の筆も止まりました。吉本さんへの取材の1年前、2000年に新潟監禁事件が起きたころはよく議論もしていたんですよ。新潟監禁事件の加害者に向けられた眼というのは「ひきこもりは犯罪者予備軍だ」というものだったと思います。なぜ、こんな過敏な反応をするのか、その点、よく山下と話していたような気がします。

 

杉本:はい。

 

石井:というのも、不登校に社会が過敏に反応するのと、ひきこもりに反応するのは質がちがうのではないか、と。不登校に対する市民運動の主張は「子ども時代は苦しくても、本人が支えられれば大人になれる、回り道をして大人になってもいいじゃないか」というふうにまわりから受けとめられていたんではないかと思います。運動している本人たちからすれば、もうちょっとていねいな言い方をしていたとは思いますが、一般的なイメージはそこまででしょう。こうした「回り道」に対する主張が多少は受け入れられていった背景には、「大人のありよう」「大人の生き方」は問われるべきではない、という共通理解があったように思います。つまり、どんな大人になろうがそれは選択の問題。しかし、子ども時代があまりにゆがめられてしまえば、「選択の権利」すら奪われる。ろくでもない大人になる権利も、立派な大人になる権利も同時に奪われる。どっちになってもいいが、その権利すら奪われるのは問題だろう、と。ここに不登校に対する問題意識が受け入れられていった土壌があったと私は思っています。ところが、新潟監禁事件や、「社会的ひきこもり」という話がでてきた中で「大人の生き方」「大人のありよう」も問われる社会になっていった。ひきこもりが問題になっていく段階で、私は社会のなかにすごく大きな蝶が出てくる感覚というか、今までみんなの深層心理にあった問題意識がブワーっとひきこもりという形で孵化して飛び出してくる感覚を、この2000年の初頭ぐらいに覚えました。

 

杉本:う~む。なるほど。

 

石井:その問題意識が、吉本隆明さんへの取材でいったんストップしたんです。

 

杉本:わかったぞ、みたいな。

 

石井:そうですね。もちろん、吉本さんの指摘は消化しきれなかった問題もあります。当時、吉本さんは、日本人の大半の人が「何らかの精神障害をもっています」と。

 

杉本:うんうん。

 

石井:池田小事件について聞いた際のコメントの一部がそれです。池田小事件についての見解を述べる前提として、吉本さんは、「日本人の大半の人が精神障害を、何らかの精神的な障害あるいは欠落をもっています」と仰られた。じつはその時、私はこの発言が信じられませんでした。まあ17、8年前ですけども。「大半」って言っていいんだろうか? と。私の中でどこか精神的な不安定や欠落がある人というのは「特別ではないだろうか」、という感覚があったということなんですね。今考えると非常に不健全な、恐ろしい様な精神論を自分の中に持っていて。それを吉本さんに言われてハッとした。ハッとしたけれども、消化できずにいました。こうした指摘も含め、ひきこもりの取材を改めて本格的に再開したのはニート論がでてきた2000年代半ばくらい。玄田有史さんころ頃からですね。

 

杉本:ちょうど大人の生き方は働くことともつながってくることでわかりますしね。

 

石井:そうです。

 

杉本:ニートの話はもちろん不景気で、就職できないという問題と。

 

石井:そうなんですよ。

 

杉本:若者問題がね、あの~、クローズアップされるという時期と繋がってくる。ニートとひきこもりということで、大人問題…。

 

石井:大人問題ですね。で、雨宮処凛さんらによる「生きさせろ」運動、プレカリアートの運動とニートの問題が重なってきた時期です。ひきこもりについては、2000年前後に斎藤環氏の指摘や新潟監禁事件で注目し、吉本隆明さんの取材で一つの区切りを経て、2000年代半ばにもう一回無視できない問題として注目していったというのが私の流れなんです。

 

杉本:どうなんでしょうね?石井さんだからそういうことでもあったと。

 

石井:うん、そうですね。こういう話はまとめて話したこと、なかったですね。

 

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