生命、不思議で面白い世界 若原正巳さん(理学博士)

 

 

 

利己的行動と利他的行動

杉本 「利己的遺伝子」とか。

 

若原 利己的遺伝子とか言うのさ。ところがね。利己的な行動だけではなくて、場合によっては利他行動もあるわけね。

 

杉本 はいはい。

 

若原 利他行動もあって。で、人間というのはやっぱり利他行動するわけ。

 

杉本 そうですね。

 

若原 その利他行動にもいろんな種類があるのがわかっていています。なぜ自分を犠牲にして相手を助けるか。昔はその理解がなかなか難しかったんだけれども、いまはある程度分かってきてて。ひとつは「血縁」なわけ。

 

杉本 あ、血縁。はい。

 

若原 「血縁進化」とか、「血縁淘汰」というんだけれども。血縁のために頑張る。でも非血縁でも利他行動はあるんだよね。人間が行っている利他行動の中でも真の利他行動。他人のために犠牲的になるということもある。

 利他行動は血縁のために頑張るという行動があり、次に非血縁なんだけれども、いま他人を助ければあとで自分も助かるかもしれないという暗黙の了解で非血縁的利他行動というのは発達してきたんだ。だから最初は血縁のためだったんだけれども、非血縁でもいま助けてやれば、という。だから互恵的なの。お互いに時間をずらして「いま俺困ってるからちょっと助けてもらって」「俺がちょっと余裕がでれば後で助けてやるよ」というような関係で行動ができるわけ。こういうのは動物界である。ところが本当の意味での利他行動というのはなかなか無い。これは人間。これが「ヒューマニズム」というものなんだけど。だから「どうしてヒューマニズムができたか」ということも生物学的に考えると非常に面白いことなんだけども。まず血縁の場合は「自分」っているじゃない?自分を1とする。自分の遺伝子1とする。自分の子どもは親が2人いるから子どもは自分と比べたら遺伝子は1/2になる。

 

杉本 そうですね。

 

若原 その孫は1/4なのさ。そうやって考えていくとね。子どもを二人助ければ、自分が死んでも子ども二人助ければ自分が残ったのと同じこと。

 

杉本 う~ん。なるほどなあ。遺伝子から考えればね。

 

若原 うん。遺伝子から考えれば。だから血縁の場合だと親子、孫、いとことかいるじゃない?いとこの場合は1/8なんだけれども、8人のいとこを助ければ自分が死んで犠牲になっても大丈夫なわけ。というので血縁のために犠牲的になるというのはまあまあ生物学的にも考えられるわけ。でも、それよりも進化していくと全然知らないやつなんだけども、いま助けておけばあとで助かるかもしれないという考えが出てきて。

 血縁はこれまでは生物学で理解できて、非血縁の利他行動も互恵的にやるとそれはできる。いずれは得をするということがあるからこれは説明できるけれども、本当に他人のために自分を犠牲にしてしまう行動は生物学的にはなかなか説明がつかなかった。どうしてか?それは脳が発達したからだ。これは脳が発達したから。それしか説明がつかない。

 

杉本 なるほど。それは教育の力?

 

名誉という欲望?

若原 うん、教育も。まあ、教育だけではないんだろうけれども。教育というシステムがいつ出来てきたか。教育的なものは昔からあるんだろうけども、例えば狩りに行くじゃない?ものすごくでかい動物をやっつける。すごく危険なわけ。すごく危険だけども、それをやるやつはいるわけ。で、戦争になっても、死ぬと分かってても行くわけだよ。それは親子兄弟だけのためじゃなくて、国ということもあるだろうし、最後は「名誉」なんだよ。

 

杉本 うん、自分自身のね。

 

若原 動物の狩りをするときに勇敢にやるやつを「ああ、あいつは勇敢なやつだ」という名誉。だから戦争もやっぱり名誉のため。あれは教育なんだけどね。そこであおられて。本来は死にたくないから、本当だったら行きたくないはずなんだけれども、あおられて行くわけだけども、それはやっぱり名誉から。名誉というのは脳の産物だから。だから「博愛主義」というものがあるじゃない?

 

杉本 はいはい。ありますね。

 

若原 困った人をみたら助ける。で、博愛主義の元はね。どこから来たかというのはなかなか難しいと僕も考えてるんだけれども、これがさらに発達するとヒューマニズムで博愛主義ですよね。

 

杉本 そうですね。

 

若原 犠牲的な行動というのはどっから来たか。僕は究極的には「他人から褒められる」ということではないかと思うんだよ。他人から褒められることをしたいということね。

 

杉本 ええ。それは非常に素朴によくわかることですね。例えば先の戦争もそうですけど、若い人がずいぶん死にましたよね?最終的には学徒動員という形で。学生で別に軍事的な訓練受けてなくても戦地に行けといったり、特攻隊とか。ああいうものが美談にされちゃうわけですけども、あれは彼女がいたり、好きな人がいてもそれもまた美談になるわけですが(笑)、愛する者と別れて。もちろん親もそうですけど。そして戦地に赴いてお国のために死にますっていうような、ドラマになっちゃうわけですけど、あれはやっぱり個人的な名誉欲なのでしょうか?(笑)。

 

若原 いやあ、あのね。そこもまた難しい。

 

杉本 (笑)。

 

若原 「愛国主義」というのがあるでしょ?

 

杉本 ありますねえ。それもかなり洗脳的な色合いが濃いと思うのですけれども。

 

若原 愛国主義というものはね。つまり郷土を愛するという「郷土愛」っていうのはあるじゃない?

 

杉本 パトリオシズムはありますよね、はい。

 

若原 でね、どんどんそれが自分に近づいていくと、最後は家族愛なんだけれども。

 

杉本 そうです。

 

近しい関係、遠い関係

若原 で、近いものほど大事。

 

杉本 そうですよね。

 

若原 家族は近しいというか、大事なの。

 

杉本 そうです、そうです。

 

若原 郷土はもうちょっと遠いけども大事。

 

杉本 なんか分かるんです。その辺までは。

 

若原 で、国になるともうちょっと遠いけれどもやっぱり大事なの。

 

杉本 う~ん。

 

若原 という風に、人間が持っている特性なんだよね。でもそれをみんな持っているからといって、強調しすぎると戦争にもなるし、それは良くないのでね。それを抑えるにはやっぱり最終的に理性が大事。僕は「理性と教育」っていつも言うんだけども、これがないんだよね。でもさっき言った話は誰でも持っているのさ。だってどんな人でもオリンピックとかで日本人が活躍するとすごい喜ぶじゃない?

 

杉本 そうですねえ。

 

若原 みんなそうじゃない?サッカーで負けたら、みんな悔しい顔して。あいつがもっととか、本田圭介がもっと頑張ればよかったのに、ってみんながぐずぐず言うでしょう?そういうものはみんな持ってる。心の中に郷土愛、家族愛、愛国主義というのを。

 

杉本 それでですね。そこの部分なんですけどそれは例えば新聞とかテレビとかでまあ、日本が今日試合やるっていったらあおるじゃないですか?日本人ということを。そういった部分というのは環境の影響で愛国心というものが先ほど仰ったように持つのか、それともそれとは別に、例えばメディアが騒ぐ、メディアの中で騒いでいる人も含めて僕らの中にそういう感情が生まれるのか。どちらなんでしょうね?

 

若原 いや、全部二面というか、二つの面があると思うんだけど。

 

杉本 なるほど。

 

若原 僕はもともと持ってるんだと思うよ。

 

杉本 ああ、やはり。

 

若原 うん。遺伝子にどの程度書き込まれているかわからないけども、近しいものに親しみを感じて知らないものに怖れを感じる性格は動物もそうなんだけれども人間も持っている。

 

杉本 ええ。

 

若原 近しい関係の人は好きなの。知らない人は怖ろしい。そういう関係はあるんだよ。それを克服しなきゃいけないんだけど。それはあおられる。ジャーナリズムとか国とか何かによってあおられる。駆り立てられていっちゃうというのはあるんだけども、そういう基礎的なものはみんなもっているんだと僕は思う。人間はそういうものを持っている。だから差別は良くないというでしょ?みんな差別良くないと。でも差別する心はね。誰の中にもある。「差別意識」ではないんだよ。でも「知らない人」はやっぱり怖ろしい。それはいままでの人間が生きてきた個人だけじゃなくて人類の中で、負っているんだよね。そういう気分は。

 

杉本 生きものとしての。

 

若原 だからやっぱり知らないものは怖いのは間違いない。怖いから「嫌だ」ということになって差別する。それがだんだん広がっていって、肌が黒いから嫌だとか。あの~、在日の人は殺してしまえ、とかいう人間も出てくるでしょう?そういう極端な風になるわけだよ。そういう気持ちはいけない。それはなくさなくちゃいけない。それをなくすのは理性だからね。

 

杉本 理性ですね。

 

若原 教育だから。教育で何とでもなるんだよ。と、思うのがひとつ。

 

杉本 はい。

 

若原 それからもっと難しく話をすれば、これは「遺伝か環境か」ということとも関係してて、その~、例えば僕は『黒人はなぜ足が速いのか』という本でも書いたんだけれども「走る速さ」というのはかなり遺伝子で決まってるんだよね。

 

杉本 ああ~。なるほどね。

 

若原 もちろん訓練とか教育とかでは速くはなるんだけれども。ところが、僕が子どもの頃にものすごい練習したとしても、オリンピックで優勝することはできないんだよ。

 

杉本 (笑)。それは確かに。

 

若原 百メートルでは絶対に。ところが僕が子どもの頃に例えばライフル。エアライフルでもいいけど、アーチェリーでもいいけど、ものすごく練習すれば優勝できるかもしれない。つまり、ものによって遺伝子でかなり決まっている部分と環境でかなり決まっている部分とがあると思っている。

 

杉本 うん、うん。

 

若原 百メーターの距離を走るというのはもうほとんど遺伝子で決まるんだよ。僕の意見によれば。ところがサッカーぐらいになるとあれは集団競技だから、練習とか、アイコンタクトとか、まあいろんな要素が絡み合って遺伝子百パーセントで決まらない。これは環境とか練習、これが大きく関与している。野球とかサッカーはそういう側面がある。それよりもなお、ライフルとかアーチェリーとかはもっと練習とか環境とかが遺伝子よりも影響してるんじゃないかと思っている。遺伝子と環境がどういう風に関係してくるのかというとその物事によるんだ。遺伝子がある程度決めててそれをどう働かせるかということに関しては教育であり、環境だから。環境も非常に大事だなあという風に思うんだよね。何かいまの話はあんまりうまい話ではないかもしれないけれども。

 

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