ドミナント・ストーリー(支配的な物語)
杉本:まあ企業福祉って確かにもう全部当たっているというかね。うちは本当にそうだった。うちは何しろ父の職場が北海道電力だったんですよね。
関水:あっ、そうなんですか。
杉本:(笑)そうなんです。結果的として本当に福利厚生のしっかりした大企業に勤め上げたっていうことで。
関水:なるほど。
杉本:それも偶然なんですよ。うちの親父は戦中派なんで。もう90ですから。それこそ、北海道電力に統合される前のなんとか電工っていったかな。そこに友達の紹介で戦後のゴタゴタで入社して、それが三社ぐらい統合されて。送電設備とかなんか全部バラバラなものを統一して北海道電力になった後、結局ほとんど官営企業みたいな感じになっていましたから。またうちのおふくろも看護師とか保健師の資格を持っていて。それこそ戦前は、日本赤十字で看護師に。戦後は現場がいやだってことで(笑)、アメリカから輸入された保健師っていう制度に乗っかって保健師になったということがあるんで。やっぱり戦中世代っていうのは、戦争っていう危機の背景があったけど、戦争が終わった後に社会がフラットになった状況があったから、それにうまく乗っかった。そういう家に育った子どもだなあって。いま思い返すと思うんですよね。
関水:はい。
杉本:だから企業福祉に本当に守られてきたし、北電の何かの行事で、子どもの時は参加させてもらったりとか。保養所みたいなのがどこにもあって、北電の寮があって、夏休みに観光で行くとそこで安く泊まれたりとかってありましたからね。
関水:戦後の高度成長期にかけて企業福祉によって国民の生活の多くの部分がカバーされて、勿論カバーされなかった人たちもいた。いわゆる日雇い労働とかそういう世界というものも一方ではあったけど、それは見えにくくなって。
杉本:殆ど見えてなかった。
関水:政策的にも企業による生活保障に国民をうまく誘導していったっていう。
杉本:だから第一次産業などに関しては、国の助成みたいな形で降ろして…。
関水:そういう意味では、うまく再分配をしていたってことですね。
杉本:そういうことなんですよねえ。ただ、だから同時に中年以上のひきこもりの人たちでやっぱりおそらく多いだろうと思うのは、福祉なき日本社会に生きてきたのでなくて、企業福祉の安定と、社会保障も国際比較的にみるとずっと低かったんでしょうけれど、ある程度は完備されていた。企業がカバーしきれない社会保障的な役目を国が担う中で生活していて、その中で概ね家族間葛藤みたいなものがあって(笑)。それで、ひきこもり第一世代の人がでてきたっていうか。
関水:うん。
杉本:親子葛藤でひきこもりになったって人が多いんじゃないかなあ?っていう気がするんですよね。それはやっぱり子どもを大学、しかも三流じゃなくできればいい大学に行ってもらって、いい会社に入って、で、自分たちが過ごせた福利厚生のある企業社会、安定した企業に勤めてもらいたいっていう願望で一生懸命やったら、それに耐えられなくて不登校みたいになって。
関水:そうですねえ。
杉本:なお一層こじれてひきこもりになり、みたいなケース、多いですよねえ(笑)。
関水:う~ん。
杉本:多いですよねって人ごとじゃなくて僕もそうなんだけど。僕は親にはやられなかったけれど兄貴にやられて。
関水:あ~、そうですか。
杉本:兄貴が代理…先日もちょっと仲間との話の中で、そういう風に乱暴に決めつけちゃったんだけど。兄貴が父親の代わりにあまりにぼんやりしている俺をこう、「お前そんなんじゃ生きていけねえ」みたいな感じで。ぼやっとしてるんじゃねえよ、みたいな感じでいじめにかかられたみたいなことがあってですね。そういう意味では、あえて言うなら親から直接やられなかったけれど、代理的に兄貴からやられたなあ、みたいな。
関水:うん。
杉本:勝手にそう思ってるだけなんだけど。兄は忘れてるだろうから。
関水:私の本の第4章(「私」たちの人生の物語)と第2章で、企業福祉と家族福祉だけに依存してきた、もっぱらそれらに依存してきた日本社会という中での人生の物語ってのはどういう形になるのかっていうのを*ドミナント・ストーリーという言葉を使って書いたんですけど。まあ要は「支配的な物語」っていうことですね。
杉本:うん。
関水:正に、そのお兄さんが仰ったような学校、いい学校行っていい会社に行かないと、ちゃんとした人生歩めないんだぞ、みたいな。
杉本:まあ、うちの兄貴の場合はどっちかというと「体育会系になれ」みたいな感じでしたけどね(笑)。
関水:ああ、そうですか。
杉本:「なんかおまえ仕事できる人間にならないんじゃないか」って思われたんじゃないのかなあ?学校は厳しいんだぞ、みたいな。中学とか高校に入ったらそんな調子じゃやっていけないと。なにしろスポーツもダメ、勉強もやらない、ぼやっ~としてる(笑)。
関水:ああ(笑)。
杉本:本当にぼんやりしている子どもだったんですよね。友達が家の中で勝手にモノをいじっていても黙ってる。大人しく黙ってるから。むかついたんでしょうね。イライラして。
関水:なるほどね。少し強引にドミナント・ストーリーにつなげていうと、結局自分はそれに従って頑張ってるんだから、お前も頑張れというような押しつけもあったんでしょうか。終章に書いたような*「同化主義」的な。それは確かにそういう風に生きる水路付けが社会的になされている状況ではある面仕方がないかもしれないけど、すごく集団主義的な。個人っていう単位ではなく、やっぱりまずは集団という単位で考えちゃうっていうのは、日本のような社会の特徴なのかな?と聞いていて思いますね。
俯瞰してみたら、人々は多様だ
杉本:だから結果的にそういう風な家族思想みたいなものが強い国柄。また文化の話に戻ってしまいそうな感じもしますけど、それはそれで、やはり否定できないところはありますかね。あとやっぱり、そういう土壌の上に「核家族化」してきたってこともありますよね?戦後。
関水:うん。
杉本:うちも典型的にそうなんですよ。「核家族第一世代」みたいなところがあって。僕、5つぐらいまでは親戚筋も入ってた長屋みたいなところで札幌市の中心部の長屋に住んでたんですね。で、ぼんやりしてるというのはその時代、小学校に入る一年の夏休み前まで中心部の小学校に通うぐらいまでは本当にのんきにやってたから。あの、ちょっと関水さんが最初に仰ったような、なんだろう?明日が間違いなく来るのか。
関水:ああ。
杉本:そんなこと、これっぽっちも思わない子ども。
関水:(笑)。
杉本:あの~、「なんでそんなに疑わないの?」ぐらいな。全ては肯定的にあるもんだ、っていう。この世界(笑)
関水:へえ~。
杉本:そんなこと思いもよらない(笑)。そういう発想がなかったんですよ。当たり前のもんだ、所与の条件だみたいに思っていたから。なお一層ショックですよね。あの~、逸脱っていうことに関しては。
関水:はい。
杉本:なんか精神的におかしくなっていって、高校も辞めなくっちゃいけなくて、まあカウンセリングは行くにしても、学校に行けない間はこっちに通って下さいねみたいな、その精神科デイケアは、とても僕、この人たちと一緒じゃないよって言いたいような人しかいないってことの全体が自分でわからない。それぐらい無防備だったですよ。この世の中ってのは「なんで当たり前にあると思えるんだろうか?」っていう風に思ったことなんか全然なかった。それぐらいスキだらけだった(笑)。そんな人間だったなあって。関水さんはいくつぐらいの時にそんなこと、ふと思ったんでしょうねえ。
関水:う~ん、なんですかね。でも、それって別に自分でそういう風に考えようと思ったわけではないので。
杉本:それはそうですよね(笑)。やっぱり様々、資質っていいますかねえ。あるんだと思うんですよね。だって、そういう才能があるから、ある種哲学者になる人がでてきたりするわけで。そういう人たちのおかげで人間の多様な生き方みたいなことがわかるっていうかね。保証されるっていうか。
関水:う~ん。
杉本:体制のストーリーですか?それに違和感を感じてる人がそっちのほうで救われるということがでてくるわけだから、絶対必要な資質の人たちですよね。いや、それが苦しいというか、大変だ。日常で交わされる雑談の内容にならないっていうことはあるとは思うんですけど。それはでも、僕自身がひきこもりってしまった、対人恐怖症になってしまったってあの不条理な感じともどこか似てるかもしれない。
関水:うん。
杉本:世界全体が自分嫌ってるんじゃないか?みたいな。俺の顔が酷いからみたいな。醜形恐怖、関係妄想っていうは、正に今でもちょっとあの、すっきりしない問題ですよね。何でそうなっちゃたんだろう?ってことはあまり説明がつかない、自分でまだわからない領域というか。
関水:それもやっぱり資質ということでしょうか。
杉本:そうなんでしょうかねえ?表現の方法が自分でも意識化できない形で表現されてしまったのでしょうか。
関水:不登校の研究している貴戸理恵さんという人も、貴戸さんはご自分が不登校経験があって、けっきょく自分が何で不登校、学校に行けなくなったのか、自分でも未だに分からないと書かれていますね。結局なんというか究極的には、俯瞰してみたら、それこそ人間が多様だっていうことなのかな、って思うんですけど。集団生活に何も感じない、ストレスを感じない人もいれば、集団生活それ自体がストレスで仕様がないっていう人もいるでしょう、ということですよね。
杉本:うん、そうですね。
関水:人間は多様だと言ってしまえばそれだけのことだけど、それだけのこととして受け止められないし、そういう風に受け止められる社会の仕組みになっていない。
杉本:う~ん…だから、この繊細な感覚ねえ。正にそれが受け入れられていない社会の条件っていうようなことも含めてなんですけど、これは表現としてはやっぱり、「ひきこもり」って、あの~外国語で翻訳できない形で、受け止められてるみたいですよね?話を聞くと。フランスとか。ヨーロッパの人にはなかなか翻訳できない言葉で日本語でそのまま、「ヒキコモリ」っていう風に表現されるみたいですけど。そうは言っても結局西洋の人たちも、共有できない表現としてお互いに共通了解にならない“しんどさ”みたいなものはきっと領域としてあるんでしょう?おそらく。
関水:はい。
杉本:それとも、日本人が何かこう世界に先駆けて(笑)誕生した一つの表現でしょうかねえ?何か質問がすごく難しいんですけど。
関水:そうですね。この問題考える時、いつも難しいなと思うのは、社会的な条件、ひきこもるっていう形でなんていうかな?そういう社会との関わりを断って、家族の中にひきこもっていくことはある社会的な条件の中で起きてくる部分と、ひきこもるという経験の中身。その人がその中で何を経験しているのか?っていう部分とは、大きなギャップがある話で。ギャップというのは、家の中にひきこもってしまうことは、僕の考え方でいえばやはり日本の社会保障制度の後進性みたいなものの表れという風に捉えられるわけだけど。でも、その「ひきこもる」っていう経験の内実っていうのは、そんな言葉では全然届かないのではないか。
杉本:もう一面があるということなんでしょうね。
関水:でもその二つというのは、杉本さんが仰るように、切っても切れない。その条件下の中でそういうことが起きるので、結びついてしまっているわけですよね。